僕の45年間―176 パリでコタツ ― 2011/09/06 21:21
それに、なぜかベッドの脇にはコタツのような毛布をかけた箱が置かれていましたから足の踏み場はありませんでした。
その毛布がかかった箱には天井から電線が引き込まれていました。
「村上さん、この箱はどうしましたか」
「う~、ぼくのコタツ」
「コタツ?」
「大坂さん、痔の薬はないよね」
「痔ですか。持ってないですね」
「僕ね、痔が悪くてね。痛くて痛くてたまらないんのよ」
「・・・」
「ここは風呂はないしね、シャワーはあるけど、あまり好きじゃないし」
「で、このコタツと言うのは・・」
「電球でね、コタツにしたの。こうやって寝そべってお尻を温めたら楽になるかなと思ってね」
「そうですか。それは大変ですね」
薄汚れたタオルを腰に巻いた村上さんと僕は立って話しをしていました。やおら、痔の話をし終えた村上さんは床の上に腹ばいになり、そろうりとコタツにお尻を入れました。毛布が持ち上げられたときに異様な匂いが立ちこめました。
「村上さん、コタツはグッドアイデアだと思いますけど、気をつけないと火を出しますよ」
「まあネ・・」
「東京の画廊とは連絡が取れているんですか」
「手紙は何回か書いたけどね。返事がないし、送金もしてくれないし」
村上さんは青白い顔をしていて、いかにも体力が落ちている風に見えました。トイレに行くのが怖いからと、食べないようにしていると言うのです。
僕は痔が悪いと言うことはどういうことなのか経験をしたことがなく、何もして上げられませんでした。後年、30歳を過ぎたころだったと思いますが僕もそれらしきことを経験しました。そのときに思い出したのは村上さんの痔のことでした。こんなに不快で痛い思いをしていたんだと、あの時、何かして上げられなかったのかと悔やまれました。
写真は2008年11月のテルトロ広場。
60年代後半の11月のテルトロ広場は観光客は少なくもっと閑散としていました。
コメント
_ nakky ― 2011/09/07 00:01
_ 大坂忠 ― 2011/09/07 17:58
しかし、当時は自分のことだけで精一杯でした。
お金もなく、知恵もなく、今考えると、それらの人達に何の恩返しもできていないな、と自責の念に駆られます。
ま、これからの自分の生き方なんでしょうけれど・・。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://tadashi.asablo.jp/blog/2011/09/06/6090430/tb
そういえば、かつて思いっきり血尿が出てたヒトもいましたよね・・・
あのヒトは無事だったのかなぁ?・・・