僕の45年間―175 パリでコタツ2011/09/05 22:42

 中村さんが先に僕を見つけて「よう、どうしてる」と声を掛けてくれました。相変らずひょうひょうとジタンをふかして、ニコニコしていました。彼得意の構図のテルトロ広場の家並みの屋根越しに見たサクレクール寺院をナイフで描いた絵を数枚イーゼルに飾って商売に励んでいました。彼は広場で描くことはせず、自分の部屋で描いたのを持ってきていました。しかし、他の絵描きさんたちも同じですが絵の具が十分に乾ききっていないのでも販売していました。キャンバスの四隅にピンを刺して薄いベニヤ板のようなのを乗せて包装をするのです。買った人が休暇を終えて家に戻る頃には乾いているという具合です。


 村上肥出夫さんの住んでいるホテルはじきに分かりました。ドアをノックをすると「だ~れ?」という声が返ってきました。「大坂です。お元気かどうかと思って・・」と言うとドアが開きました。村上さんの腰の周りにはバスタオルが巻かれていました。
 中に入ってみると一部屋の小さなところでした。部屋の真ん中にはコタツのようなものがしつらえられていました。
 11月のパリはそれほど寒くはないのですがしかし、暖房は必要でした。安ホテルの常で、村上さんの部屋のスチーム暖房はそれほど強力ではないらしく、部屋に入ったときに暖かさを感じるほどではありませんでした。


「お元気でしたか」
「いや、全然ダメ。この通り。お金はないし、絵は描けないし」
「村上さん、どうしました。だって、前に会ったときは東京の画廊がお金を送ってくれるって話していませんでした?」
「そうなんだけどね、大坂さん・・」
「で、どうなさったんですか」
「だけどね、近頃、送金がないのよ。今はね、倹約しながらホテル代を払っている始末」


 部屋を見回すと描きためている作品も見当たらず、床の上には小品の描きかけのが一枚見える程度でした。部屋は油絵の具の匂いとは別に、悪臭のようなものが漂っていました。僕は心の中で「どうしたんだろう。何か変だな」と思いました。


 キャフェのレシート。実際の料金とチップの支払いとが終わると、その印として半分ちぎるようにしてそのままテーブルに残していきます。パリにて。2008年11月

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