僕の45年間―180 キブツからの絵描きさん2011/09/11 23:49

 僕はモンマルトルの丘から石の階段を下って夕方5時に再度集合となっていた山田さんの滞在ホテルへ向かいました。サクレ・クール寺院の長い歴史を考えるとアベス方面に下る石の階段は1500年代から使われているのではないかと思えるほど真ん中が磨り減っていました。そんな階段を踏みしめながら、あと何回パリに来れるのかなと思っていました。
 

 山田さんの部屋には僕が一番早かったらしくまだ誰も来ていませんでした。僕は山田さんにイスラエルのことをいろいろと質問し、教えてもらいました。中でもやはり興味深かったのは第2時世界大戦後の英国政府とアラブ諸国との関係でした。
 
 
 後日、ブライトンに戻り、偶然でしたが「栄光への脱出Exodus」という映画を見ました。ポール・ニューマンがとても格好よく見えました。しかし、英語力不十分の僕には政治的状況を理解したとは言いがたく、消化不良で見終えました。
http://blogs.yahoo.co.jp/gh_jimaku/19342969.html


 当時の僕はキリスト者ではなく、聖書を読んだことさえありませんでした。ユダヤ人はナザレのイエスを裏切ったとして迫害されている民族であることすらうっすらぼんやりにしか理解できていませんでした。


 しばらくするとどやどやという音と共に皆が戻ってきました。勢い良く山田さんの生活費を調達しようと出かけたフラン語堪能氏の顔は冴えず、作品が売れなかったのが明らかでした。少し遅れて戻って来たイスラエル氏もやはり手元にまだ2枚の作品を持っていました。皆、さほど期待はしていませんでしたが、がっかりした気分を味わっていました。イスラエル氏はそんな皆の顔を見回して、やおらポケットから100フランという高額紙幣2枚を取り出し、説明を始めました。
 それによるとたまたま飛び込んだ画廊がユダヤ人の経営で、言葉の苦労が無かったこと。そして画廊主に文無しの日本人画家から預かってきた作品だといって見せたら、200フラン(当時の為替では約約14、000円)をくれて、言ったそうです。この画家に、このお金で絵の具を買って、もっと透明感のある派手な色彩の作品に仕上げ直して、もう一度持って来いと伝えるようにと。皆、どっと明るい気分になり、皆で安いレストランへ繰り出しました。
 その出来事は僕にユダヤ人の結束の強さを教えてくれたのでした。

 写真はパリのマルシェ。2008年11月
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