脳の検診2017/01/17 12:58

 昨日は脳の検診を受けました。毎年10月にやっているのですがちょうど膵炎での入院時期と重なり昨日まで延期になっていました。

 入院中には三十九度もの発熱が一週間も続きました。その後も三十八度前後が数週間にわたり続いた経緯があり、脳も影響を受けているのではないかと気になっていました。年配者が入院後に認知症を発症したとか悪化したなどの話をよく耳にします。
 そんなことで僕はあれやこれや検診結果のことを想像をしていました。何事も同じであろうと思うのですが想像は悪い方へゆきがちです。僕にとっての最大の恐怖は・・認知症になっての暴力的行動です。これは珍しいことでなく僕の周りでも起きています。そんなことになったら妻にトンデモナイ苦労をかけることになります。できるなら避けたいと常日頃思っています。
 ある資料によると「65歳以上の4人に1人が認知症とその“予備軍”となる計算です。」とあります。僕は今度の4月で72歳になりますから可能性は高くなる一方です。どうしましょう。

 そんなことを考えながらの脳の検診でした。診察室に入るなり往年のお付き合いである高橋義男先生は「問題ないスね~。海馬にも・・はい、問題ありません」とあっさりでした。

 写真は数年前のです。僕はこれまでに撮っていた札幌の雪の風景の写真を整理しています。できれば34~5枚で公募に応募したいと思っています。
 その作業をしていて思うことは、本当に集中力が長く続かなくなったナアということです。情けないとは思わないのですが、老化を実感してしまいます。

謹賀新年2017/01/03 09:58

 新年おめでとうございます。今年もどうぞ宜しくお願い致します。

 今日は3日です。早くも2017年は3日も浪費をしたような気がします。大変に怠惰に過ごしている2日と12時間です。

 ときどき亡くなった父の年齢を思うことがあります。父が72歳のとき僕は何歳だったのだろうかという類いのことです。

 父は1914年、僕は1945年生まれです。歳の違いは31歳となります。
つまり父が72才のときに僕は41才であったということになります。
 当時、定かではありませんが父はまだ現役であったように記憶しています。日本で一番小さい普通銀行かも知れないと云いながらも、地域経済への貢献については強い自負を持っていた銀行家でした。父は僕が生まれるころには運命の仕業か、すでに頭取を務めていました。日本で一番小さい普通銀行で、合わせて日本で一番若い普通銀行の頭取でもあったようです。

 1986年、つまり僕が41歳であった年は、英語学校を始めてちょうど10年経っていて、多少は勢いを持ち始めたころです。
 その頃になってようやく多少の自信を持って父と話せるようになっていたような気がします。しかし、話す機会はありませんでした。同居するなり同じ街に住んでいれば別だったかもしれません。
 かといって、時折の帰省時にも、父も僕も口数の多い方ではありませんから父の若いころのことを聞き出すなどはしませんでした。
 
 僕が聞きたいと思うことは・・母と出会う前に勉強のこととか仕事のことにどんな夢や希望を持っていたのか、なのです。銀行家になったのは父の本意ではなかったと思われるふしがあるからなおさら興味が湧いてきます。

 父は20年前、82歳か83歳で亡くなりました。さて、と思います。その年まで僕は生きるだろうか、自分は何を最後したいのだろうかなど。

 取り留めのないことを書きています。これは老害かもしれません。

 改めて、今年もどうぞ宜しくお願い致します。

 写真は12月25日のあるホテルの前で中国からの旅行者。若い人たちにはたくさん旅をして、多くを学んでほしいなあ、と思います。

2016年12月31日2016/12/31 19:50

 今年ほど「早いもので」という枕詞に実感を覚えるのは初めてのような気がします。
 1月早々には後縦靭帯骨化症で整形外科に入院しました。もう手術はないだろうと思っていた矢先の5月には急性膵炎で、今度こそはと思ていたら、膵炎の再発で7月に再入院。初夏を多少楽しんだだけで10月半ばまで絶飲絶食の2ヶ月半でした。退院したときの札幌の季節は晩秋でした。多くの人々は暖房器具や除雪器具をどうしようと考え始める時季でした。

 そんなことで、文字通り早いもので、もうあと数時間で2016年が終わろうとしています。
 今年も僕のつたない写真と文章にお付き合いをしてくださった皆様に心から御礼を申し上げます。ありがとうございました。

 さて、2017年はどうなることやら、皆目見当もつきません。もう入院はしたくないと思ってはいますがどうなることでしょう。

 写真の方は、退院以来、近頃になってようやくやる気が起こり始めて少し取り組み始めています。
 3月には日本リアリズム写真集団札幌支部の合同展があります。今回は2009年にペンタックスでやった「下北半島」を少し趣向を変えて展示したいと思っています。5点をA1サイズで、残り20点くらいをA3ノビでと考えています。札幌の方にはぜひ見て頂ければと思っています。僕が19・20歳の時の写真です。
 もう一つは「雪の降る街・札幌(仮題)」で、写真を再開した60歳くらいの時からの写真を整理しています。僕の願いとしては、ペンタックスで展ができればと思っていますが・・・どうなることやら。

 このブログを訪れてくださっている皆々様におかれましては、どうぞお元気で、良い新年になることを祈願しています。

 一年間有難うございました。来年もまたどうぞ宜しくお願いします。

 写真は今日昼過ぎの狸小路です。

僕の干支2016/12/27 20:08

 2017年は僕の干支です。つまり、6回目の干支で72歳になるのです。今日妻にそれを言われて一番先に頭に浮かんだのは次回の酉年には生きているのだろうか、です。
 7回目の干支には84歳です。それまで健康に生活できればよいのですが神様はそうさせてくれるかどうか分かりません。
 71歳になった時には何とか80歳くらいまで活動が出来ればいいなァと思いました。翌年の2017年が酉年であるとは考えもせずにです。

 今年は3回も入院をしました。そのうちの2回は膵炎でした。これは腹痛が激しく、食事はもとより飲み物も絶対ダメという絶飲絶食が絶対的な治療法という病気です。2回目は2ヶ月半も入院しました。僕は高熱にうなされながら医師や看護師に幾度も懇願しました。「まだやりたいことがあります。何とか治してください。あと10年生きたいのです」と。
その甲斐があってかどうか10月半ばには退院できました。

 しかし、膵臓には脂質が天敵なのです。僕の場合、日に20グラムまでと制限があります。買い物行くと商品の裏面の表示に「脂質・・1g」などと書かれているのをチェックしたうえで買うかどうかを決めることが習慣になってきました。

 そんなことで2016年の殆どの時間を入院に費やしたので、大変悔しい思いをした一年間でした。

 先回の酉年には僕は60歳でした。べテル英語センターの授業を辞めて翻訳だけに絞り、写真を40年ぶりに再開し公募に応募し始めるなど、ある意味で節目の年でした。あれからの12年間僕は何をやってきたのだろうかとこれを書きながら考えています。
 今年の入院騒ぎは別として、老後の準備、写真の個展、住居を雪の心配のないマンションにするなどとそれなりに中身は濃いものであったと思っています。

 さて、年が明けると僕の干支です。60歳から71歳までと同じような体力や気力は期待できませんがボチボチといきますか。

 写真は2004年11月下旬、当時住んでいた澄川で撮ったのです。ちょうど12年前です。当時は自分が銀座や新宿で個展ができるとは夢にも思っていませんでした。

がんの新治療法 小林久隆医師2016/11/16 16:23

 腎がんを経験し、将来的に膵がんにかかる可能性もある僕にとっては大きな朗報です。

 『人体に無害な近赤外線を照射してがん細胞を消滅させる新しい治療法の開発が、世界の注目を集めている。「近赤外光線免疫治療法」と言い、米国立がん研究所(NCI:National Cancer Institute)の小林久隆・主任研究員が開発した。がん患者を対象にする臨床試験も順調に進み、2~3年後の実用化を目指している。皮膚がんのような身体の表面に近いものだけでなく、食道がん、膀胱がん、大腸がん、肝臓がん、すい臓がん、腎臓がんなど、全身のがんの8~9割はこの治療法でカバーできると思います。』とあります。詳しくは医師名で検索をなさってみてください。

小林久隆
米国立がん研究所(NCI)主任研究員
1961年西宮市生まれ。1987年京都大学医学部卒。1995年同大学院修了し医学博士修得。1995年よりNIH臨床センターフェロー。2001年よりNCI/NIHシニアフェロー。2004年よりNCI分子イメージングプログラムで主任研究員として、基礎研究開発部門を主導。専門は、がんの新しい画像診断方法とがん細胞の超特異的治療(近赤外光線免疫療法)の開発。
https://www.cancerit.jp/38789.html
http://mainichi.jp/articles/20160818/ddm/002/040/056000c

ニューヨーク州知事アンドリュー・マーク・クオモ2016/11/15 20:06

マイノリティへの攻撃が激しくなる中でニューヨーク州知事アンドリュー・マーク・クオモ(Andrew Mark Cuomo)が下記の発表をしました。(訳文は大坂忠です)

原文 (Facebook)
https://www.facebook.com/andrewcuomo/posts/10154295850033401

我がニューヨーク州には、この国の先進性を担ってきた誇るべき伝統があります。今日ほど、そのことが重要な意味を持つときはありません。
ニューヨーカーであるわれわれは選挙運動のなかでドナルド・トランプが唱えたものとは根本的に異なる哲学を持っていることを誇りに思います。
ここではっきりとさせましょう。是非知っておいてください。あなたが攻撃されていると感じたら、『自由の女神』を戴く港を持つわがニューヨーク州があなたの隠れ家であるということを。
あなたがゲイであるとかそうでないとか、イスラム教徒であるとかキリスト教徒であるとか、或いは、富める者であるとか貧しい者であるとか、黒人か白人か或いは褐色系かにかに関係なく、我がニューヨーク州はあらゆる人びとに敬意を表し、受け容れます。
これは、我々の信条と我々が何者であるかを示す最重要なことなのです。我々はただ口先だけでそれを主張しているのではありません。我が州法にその精神は反映されています。国家が何をしようとも我々はこの原則を支持し続けます。
連邦政府が移民を迫害するような行為を我が州内において行うことは許しません。
ニューヨーク州は、移民の州なのです。
我々は、最低賃金を15ドルに押し上げた州です。
我々は、家族休暇制を導入した州です。
我々は、平等な結婚を認めた州です。
我々は、ニューヨークそのものなのです。我々は、あなたの味方です。
そして我々は、そのためには決して妥協をしません。
安心して下さい。

Andrew Cuomo
11月13日
The state of New York has a proud legacy as the progressive capital of the nation, and that is more important today than ever before.

As New Yorkers, we have fundamentally different philosophies than what Donald Trump laid out in his campaign.

So let me be absolutely clear: If anyone feels that they are under attack, I want them to know that the state of New York – the state that has the Statue of Liberty in its harbor – is their refuge.

Whether you are gay or straight, Muslim or Christian, rich or poor, black or white or brown, we respect all people in the state of New York.

It's the very core of what we believe and who we are. But it's not just what we say, we passed laws that reflect it, and we will continue to do so, no matter what happens nationally. We won’t allow a federal government that attacks immigrants to do so in our state.

We are a state of immigrants.

We are the state that raised the minimum wage to $15.

We are the state that passed Paid Family Leave.

We are the state that passed marriage equality.

We are New York, and we will stand up for you. And on that, I will never compromise.

Count on it.

澤田教一 青森県立美術館2016/11/02 10:28

 1年ぶりに実家のある青森市へ行ってきました。

 下記の写真展は一見の価値ありです。
遠い方もお近くの方も、写真好きな方もそうでない方も、お勧めです。
沢田氏の遺作は戦争のむごさ、無意味さを赤裸々に示しています。

余談ですが会場の青森県立美術館は四季を通じて素晴らしい環境の中に立地しています。いつかここで展をやりりたいと思っていますが・・。

青森県立美術館開館10周年記念
「生誕80周年 澤田教一:故郷と戦場」

詳細は下記をご覧ください。
http://www.aomori-museum.jp/ja/exhibition/89/


 1936(昭和11)年に青森市に生まれた澤田教一は、1965年、戦火の絶えないインドシナ半島に赴き、カメラマンとして活躍しました。ベトナム戦争が拡大の一途にあった時期、激戦地での撮影を続けた澤田は、34歳で銃弾に倒れるまでの約5年間に、数々の傑作を世に出し、報道写真界の頂点に上りつめます。ピュリツァー賞受賞作に含まれる《安全への逃避》(1965年)では、戦闘で故郷を追われながら、必死に生き抜こうとするベトナムの人々の姿を捉え、世界中に戦争の過酷な現実を突きつけました。

 当館は、澤田教一夫人の澤田サタ氏から、2014年度より、フィルムや電送写真原稿など、多くの資料を寄託されました。この展覧会では、それらの調査に基づき、未発表のカットを含む写真や資料300点余りを展示いたします。写真に写し出された故郷と戦場、そこに交錯する生と死を通じて、澤田教一が身を賭して追いかけたものにせまります。

●会期:2016年10月8日(土)-12月11日(日)
●休館日:10月11日(火)、24日(月)、11月14日(月)、28日(月)
●開館時間:9:30-17:00(入館は16:30まで)

1966年
《安全への逃避》を含む一連のベトナム 戦争の写真で ピュリツァー賞を受賞。

1970年
10月、カンボジア取材中、プノンペン近郊で銃殺され、34歳で死亡。
カンボジアを取材した一連の写真により、 死後、1971年のロバート・キャパ賞を受賞。

夕闇の公園2016/10/24 23:06

 久しぶりに中央図書館に出向きました。入院中に発行されたカメラ雑誌に目を通しました。スナップ写真の被写体の肖像権についての記事が特集されていました。
 4時半ころに図書館をでて、隣の比較的大きな公園に行ってみました。5~6人の小学生らが野球の遊びをしていました。ピッチャーは体格のいい男子で速球を投げていました。バッターは半ばあきらめて、気の毒なくらい空振りばかりでした。そんな風景を僕自身の小学生の時のことを思い出しながら夕闇が迫るなかで眺めていました。

冬将軍2016/10/20 21:49

ついにというか、とうとうというか。僕には夏も秋もなくいきなり冬がやってきたという感じです。

これからの季節、皆さんもどうぞご自愛ください。

大通り公園2016/10/13 22:59

 久しぶりに大通り公園周辺を歩きました。

 今日は退院をしてちょうど1週間目です。2ヶ月半の入院生活で足腰の筋力が落ち、それを何とかしなければという思いでできるだけ毎日散歩に出歩いています。
 少しづつ歩く時間を延ばしているのですがなかなか思い通りにはなりません。

 入院をしたのは7月19日で、ようやく夏らしくなってきた季節でした。しかし、点滴のチューブつながって、毎日病室の天井を見ている生活でしたから季節を感じることはありませんでした。退院が決まってから病院の玄関から外に出てた頃はすでに風が冷たくなっていました。

 退院以来、僕は眼科の定期検診を受け、狸小路にあるいつもの眼鏡屋でメガネの調整をしてもらい、床屋に行き、昨日は歯科の検診がありました。

 今日は大通り公園を抜けて札幌駅前のヨドバシカメラまでを往復してみました。街を行く人々はすでにコートを羽織り、しっかり手袋まではめていました。

 この分だと僕の2016年は何をしたのだろうかという自己嫌悪に陥ってしまう間もないくらい、超高速で時が過ぎてゆきそうです。
 なにしろ、昨日の静かな歯科診療室にはジングルベルの曲がBGMで流れていましたから。

 まあ、今日の収穫は退院以来、最高の7,764歩あるいたということ、でしょうか。
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