診察 7 明日退院2016/05/27 17:21

 本日も大変多忙な日本列島です。G7伊勢志摩サミット関連、オバマ米大統領の広島訪問、舛添東京都知事の金銭上の疑惑、羽田空港での大韓航空のエンジンから煙が出た事故等々テレビのワイドショーは話題が尽きることなく、出演者はみな熱演をしています。憲法問題も首相のあほさ加減もみな等しくエンターテインメントと化し、世の中に日本以外の国は存在しないかのような錯覚さえ与えています。

*entertainment 人々を楽しませる娯楽。楽しみ、気分転換、気晴らし、遊び、息抜きなどが類語。

 ここ2週間の自分の生活は、文字通り自分しか存在していなかったと言える時間でした。尋常ではない痛みと絶食の渦中にいると、世界はおのずと自分が中心になります。2週間のうち10日間ほどは点滴のチューブに四六時中つながっていて、寝ても覚めてもチューブに異常がないかが気になります。
 絶食と聞いて当初はこれで減量ができるかなと思ったものの、浅はかでした。点滴液にはたくさんのカロリーが含まれていて、運動量が少ない分、増量になる危険がありました。
 ここ3日間ほどは点滴のチューブから解放されて、手を自由に使える状態になりました。その解放感は自分一人でニヤニヤとし出すような前向きな気分です。

 さて、僕は明日の午前中に退院をします。これで少しは外界とつながる生活に戻れるのではないかと思います。このブログを気にかけてくださっている皆さんにはご心配をおかけしました。ありがとうございました。
 今夕と明朝の食事を何とかすれば、家に帰れます。

 写真は今年の3月、大通り公園にて。

診察 6 採血2016/05/26 09:33

 昨日の朝のことです。
 6時少し過ぎに看護師さんが「採血ですよ~」と病室に来ました。
 僕は血管が簡単に見つからないたちです。筋肉質の兄も同じだと言っていましたから、もしかしたら家系なのかもしれません。そんなことでいつも看護師さんには迷惑をかけています。特に若い看護師さんたちは自分の技量のせいで血管が見つからないと思う節がありますから、僕ははじめから「血管が見つからない方です」と伝えるようにしています。
 時々、4~5か所もズブッズブッと刺されることがあります。それでも僕は、ここはどうお、こっちはどうかなと言いながら励まします。仕舞には手ではなく足を差し出すこともあります。
 さて、昨日の朝の担当看護師さんはまだ仕事をはじめて5~6年くらいの若い人でした。経験的にはやはり実務年数が長い人は安心できるということがあります。5~6年というのは微妙です。この方はゆっくり、ゆっくり僕の左腕の表、裏、手の甲を丁寧に触って、適当な血管を探していました。
入院以来、僕の両腕は注射針の跡だらけと言ってもいいくらいで、その隙間に新たに刺しどころを探すのは至難の業だと思えました。
互いに無言の時間が少しありました。僕はこの方は3回目くらいで成功するかななどと勝手にランク付けをしていました。そしたら「はい!見つかりましたァ!」と元気よく声を出し、つかの間の静寂を破りました。そして、自信ありげにズブッとやってくれました。それは感動的といえるほどの決断と迷いのない手技でした。僕は心の中で「お見事」とつぶやきました。
 
 9時ころになって、35~6歳の若い担当医がA4サイズの血液検査の報告書を手にもって病室に現れました。ニコニコしていましたので僕は「今日は合格ですね」と言いました。「はい」と医師。「良かったですよ。それにしても先回がなぜ異常に高かったのかわからない」と、しきりに悩んでいました。
 それから昼食までの3時間余りは大変厳しい空腹感との闘いでした。つくづく人間は現金だなと思いなおしました。広くはない病室を3時間ほどうろうろして時間が過ぎるのを待ちました。
 
写真は先週の15日(日曜日)以来、11日ぶりに口にした25日の昼食です。
5月26日
今朝も普通に食欲がありました。心配していた腹痛、つまり膵臓の炎症の再発の兆候はなく安堵しています。
ご心配をおかけしていますが、あと数日で退院できそうです。ありがとうございます。

診察 5 空腹の試練2016/05/24 21:24

 人間の3大欲求は食欲、睡眠欲、性欲であるといわれます。これは人間に限らずどの生物にも共通したことだろうと思います。よく食べてよく眠って、そうして生殖活動を行わなければ自らの種の維持は期待できません。

 そして、僕は今回ほど、健康でなければこの三大欲求を成就させることはできないと思ったことはありません。中でも食欲について痛切に感じています。これを書いているたった今も感じています。

 僕はこれまでに大きな手術を2回経験しています。58歳の時の腎臓ガンと今年の1月に受けた後縦靭帯骨化症です。幸いどれも後遺症のようなものはなくありがたいと思っています。しかし、術後の痛みは投薬で軽減さるとはいえ普通ではありませんでした。そして、当然ながら1~2日は食事を摂ることはできません。
 そのような状況下にあっても、僕は痛みが少しでも軽くなると空腹を覚えました。つまり、何かを食べたいという食欲の台頭は間違いなくありました。妻はそんな僕に「こんな状態でも食欲があるの。あきれた」と言いながら僕の口に氷のかけらを含ませてくれました。

 さて、この偉大なる僕の食に対する欲求なのですが、今回はその勢いはありません。先にも書きましたが、医師から絶食の宣告を受けたときには苦しい嫌な体験になることを覚悟しました。当初の絶食期間の見込みは3~4日、2回目の予想では1週間くらいということでした。しかし、不思議と楽勝でした。炎症が続いている間は生物の偉大なる欲求すら機能しなくなるということを経験したのです。

 昨日は9時ころに採血がありました。医師は「多分、問題はないと思いますから、昼食には多少のごはんを食べてもらえます」というお達しでした。僕の期待感は急上昇し、いきなりおなかがグ~と鳴りました。

 11時ころに医師がA4の紙を手にして僕の病室に来て「残念です。この数字が下がっていないので、今日は食事を出せません。いや~、申し訳ない」と。
 11時15分頃、担当看護師は「良かったですね。先生から栄養士さん宛てに大坂さんの食事の注文が出されていますと」と、移動用のノートパソコンを見ながら教えてくれました。
 で、僕は「え?」

 ここではすべての指示や発注はネットを介してなされているようなのですが、多少の時差は発生するようです。

 12時になって食事の介助者が大変うれしそうに僕の病室に入ってきました。「お待ちどう
さま~。お食事ですよう~」と。手にはおいしそうな食事のお盆が。

 賢い僕はすぐに分かりました。医師は僕の快復に自信があって、数値が出る前に食事を見込み発注したのだと。

 以来、僕の空腹感は最悪です。

 明日早朝6時ころには採血があるようです。

診察 42016/05/23 21:25

 病院での診察を受けて病名が確定したのが2016年5月16日(月曜日)です。痛みを覚えたのはその2日前14日(土曜日)の夜10時ころでした。
 その日はJRP日本リアリズム写真集団札幌支部の会食があり8時半ころに帰宅しました。それからの腹痛でしたから僕は会場の居酒屋でどんな料理を食べたかを思い出そうとしていました。すぐに頭に浮かんだのは桜肉のにぎりでした。僕にとっては人生初めてのことでしたから印象に残っといました。そなことはないだろうと思いながら、気持ちには引っ掛かりがありました。もしそうなら腹痛だけではなく、下痢や吐き気もあるだろうと想像しました。

 振り返ってみると、どの医師も食事のことは一切聞きませんでした。

 僕の個室は「準特別室」という大変立派な名称で8,640円となっています。16日に入院が決まった時点で空いている部屋をお願いした結果です。設備は洗面台・トイレ・シャワー室・電話・テレビ・冷蔵庫・インターネット環境となっています。面積は目見当ですが10畳くらいの空間があり快適です。しかし、事前にそれらのことを理解していたわけではありません。僕は早く横になりたいと思い、妻は必要な物品をあれやこれや考えるのが精いっぱいだったと思います。
 これまでの入院体験は、妻も僕も何週間も前から準備をしてのことでした。それに比べると今回は勝手が違っていました。本当に「急な出来事」で妻には助けられました。

 担当看護師さんは一所懸命に設備の事前説明をしてくれていましたが僕らは上の空で、早く終わってほしいなと願っていました。
 説明の中に僕の寝間着のサイズが重要話題となっていました。3Lか4Lかということらしかったのですが、自分の体重問題を差し置いて「早く決めて~~」という気持ちでした。妻も3Lに固執する看護師さんに多少疲れてきたようでした。

 病名を宣告され、まずはガンではないらしいことが分かりました。そして、そのとたんに浅はかにも僕の心配事は、絶食での空腹に耐えられないだろうなということに移りました。ガンでないことで十分なはずなのですが、自分の貪欲さには自己嫌悪さえ覚えました。

 「大坂さん、まずは着替えて、横になってもらいましょうか」と看護師さん。どうやら僕のサイズは確定したようでした。

 写真は14日、近所で。

診察 32016/05/22 19:58

 妻と僕は忍耐強く、先輩医師氏の音読の画像読解が終わるのを待ちました。医師の言葉を聞き逃がさないよに耳を澄ませて聞きました。「というわけで・・・大坂さんは急性膵炎です。これからすぐに入院をしてください。どうでしょう」

 僕は、こればかりは妻の同意を得るという手続きを省きました。医師の言葉にはやはり緊急性の緊張感がありました。すぐ入院加療をしないと命は保証できませんよ、と暗に言っているように思えたのです。それでも僕は「個室がありましたらありがたいのですが」と我がままを言いました。

 今度は入院の手続きの書類書きです。幸い、そのころには点滴治療が始まっていて痛みが少し楽になっていましたから「拷問」だとは思いませんでした。

 当然ですが入院のことは全く予想していませんでした。しかし、妻は慌てることはなく「なんでも病院にあるから大丈夫よ」といいながら担当看護師と打ち合わせをしてくれました。案内された個室は角部屋で、藻岩山が遠くに見えました。

 病院支給の寝間着に着替えてベッドに横になりました。痛みが軽くなると医師の説明が思い出されました。「ガンではないんですね」という質問もするべきだったなとも思いましたが次回にお預けです。当面、4~5日は絶対絶食で口にできるのは水やお茶であることが幾度も言い渡されました。僕の恐怖は痛みから空腹へと変更になりました。

写真は今日の夕陽です。

診察22016/05/21 20:17

 僕は眠れないまま、ベッドに横になり、早く9時にならないかと時計を何度も見ていました。妻はすでにいつもの食卓の上に3枚のプラスティックカードを用意してくれていました。

 救急病院で処方された薬を飲み切ったものの痛みは全く楽にならず、背中に冷たい汗を感じるくらいでした。

 僕は最近の大きな病院で診てもらう際の「紹介状が必要です。それがなければ初診料が○○千円になります」というは、今回はどんな扱いになるのだろうか、などと余計なことを考えて3枚のプラスティックカードを見ていました。
 まずは主治医だ、と当たり前のことですが電話をしてみました。受付を介しての説明ですぐに指示を出してくれました。
 JCHO(ジェーコー)北海道病院は2年ほど前に循環器内科の検診でお世話になったので、診察券がテーブルの上に出されていました。出かける準備は妻がすべて整えてくれていましたのでタクシーを呼んでそれゆけとなりました。
 15分もかからず受付に立っていました。しかし、さすが、地域医療機能推進機構という全国組織のいかめしい名称の一つの病院であり、地域の基幹病院です。加えて月曜日ですから込み合っていないわけがありません。僕は受付で「痛いんです。急いで診てほしい」と真剣に訴えて手続きをしました。記憶では少なくても3枚の用紙に必要事項を書かされました。僕はこれは拷問に近いなと思いました。
 ロビーは大勢の老若男女たちが、病人の表情をしながら、新しい番号が言われるたびに「まだか」という多少のいら立ちの表情を隠さず、しかし、忍耐強く待っていました。
 30分くらいしたら、急に名前が呼ばれて「救急外来」という表示の受付に案内されました。そこは先ほどの受付とは雰囲気が異なっていました。
 後で分かったのは、妻が、僕の表情が本当に痛みに耐えている風であったので一般受付に掛け合ってくれたようでした。

 大変若い医師でした。土曜日の救急病院での点滴の薬剤や錠剤の処方を妻が示し、何の効果もなかったと説明をしました。それを聞いて触診もせず、医師はすぐにレントゲンやCTの手続きをしてくれました。

 2回目に診察室に呼ばれた時には2人の医師がいました。先ほどの若い医師と一緒に先輩と思われる、少しだけ威厳がありそうな雰囲気の医師です。
 開口一番、膵臓の説明が始まりました。ここの白い部分が云々、ここの黒っぽい部分が云々と。僕はガンかなと思いました。妻の顔を見ることはできませんでした。

診察1 断食中2016/05/20 22:21

 写真のように、僕は絶食中です。

 71歳になっても日々新たな経験を積んでいるのですが、今回のは大変厳しい、絶食というか断食が伴っています。
 30歳代の時に教会の行事に断食会があって、参加したことがありました。3日間でした。あの時の苦しさは生涯忘れることはないと思いました。しかし、今回はすでに6日間を過ぎているのにたいして苦しくはないのです。

 土曜日の夜に外出から戻り、10時ころになった途端に腹部に激しい痛みを覚えました。
 深夜になっても下痢はなく、痛みは激しくなるばかりでした。何十年も腹痛を経験していないせいもあって売薬はありませんでした。
 「明日は日曜日だから今日のうちに救急病院へ行きましょう」という妻の声に促されて、タクシーで大通り19丁目の医師会救急病院へ。幸い先客は1~2名ですぐに診てもらえました。僕の腹部をあちこち押しながら「炎症ですね。点滴をやりましょう」と40代の医師。「飲み薬も出しますから、楽になります。もし、良くならなかったら普通の病院へ行ってください」
 僕はこれで一件落着、と思いました。今度は腹痛の薬も買っておかなければ、と思いながら少し安心しました。
しかし、翌日も痛みは緩和されず、月曜日の朝になりました。
僕は、誰でも同じでしょうと思いますが、痛いのは嫌いです。これまでにもいろいろな痛みを経験しましたが、今回は痛みに強弱が全くなく、左下腹が持続的に実に激しく痛みました。

 末期がんの患者のための緩和ケアが話題になって久しくなります。その痛みの激しさは「殺してくれ」と叫びたくなる場合もあると読んだことがあります。僕はそのことを思い出しながら、死ぬかもしれないという不安とも闘っていました。

開拓の村2016/05/01 23:25

 昼食を済ませて野幌にある開拓の村に出掛けました。車で40分ほどの距離です。ここは北海道を開拓した先人たちの苦労がたくさん詰まった、家々や道具が展示されています。北海道の方々から移築された家屋は当時の人々の苦労を追体験することができます。
http://www.kaitaku.or.jp/
 
 僕らの目的は散歩です。一巡すると3千歩くらいの歩行数になります。加えて、帰りにはスーパーマーケットに寄ったりするので帰宅までに5千歩ほどになります。1万歩には足りませんが、二人分で1万歩と勝手に思っています(笑)

 昨日の冬戻りをした天気とは打って変わって、晴天でした。正面には写真の鯉のぼりが元気よく泳いでいました。

 そうです。もう五月に入ってしまいました。今年の残りはすでに8ケ月になってしまいました。さて、今年はキヤノンなりペンタックスの公募に応募する作品ができるのかどうか危うくなってきました。

アホノミックス2016/04/30 00:03

安倍首相の訪露・欧は5月1~7日と報道されています。

僕はこの時期にね~、とあきれています。外相に任せてもG7の皆さんは理解してくれると思うのですが。無論、G7の皆さんはとっくに日本の首相が在民主権をはき違えて「在アベ主権」になっているということを分かっているとは思うのですが。あるいは、アベにあやかりたいと思っているかもしれません・・。
浜矩子氏の講演の一部を添付します。
https://youtu.be/ypqB9DbFWbY

池田まき氏の挨拶2016/04/25 11:01

 昨晩の開票速報のTV中継を観ていました。池田まき氏の表情は何か晴れ晴れとしていました。
 僕は、自分の人生の最終章に特定の候補者を応援する経験をするとは思ってもみませんでした。
僕は今回の「市民選挙」で多くの可能性を体験し、学びました。

池田 真紀
2016.4.25 9時ころのFBへの投稿
【北海道5区補欠選挙】

 朝も晩も寝る間も惜しんで「私の選挙だ!」と、必死になって、一緒に闘ってくださった皆さん、心の底から本気で応援いただいた全国の皆さん、想いや願いを込めて投じてくださった皆さん、本当にありがとうございました。
結果は、力及ばず、本当に申し訳ありません。本当に、悔しくて、悔しくてなりません。

 この1票1票には、私たち市民の想いがいっぱい詰まっています。

 誰ひとりおいてきぼりにしない、すべての人が「安心」できる社会をつくるため、 「夢をもっていいんだ」、「みんな、チャレンジできるんだ」ということを私、池田まきが挑戦することで、「生きる希望」に叶えたい、その強い想いでこの選挙戦、どんな理不尽な力にも負けず闘ってきました。
「見えない生きにくさ」という社会の課題も顕著になったと思います。この課題については、権利を擁護する福祉の専門家として、必ず、みんなが夢や希望が持てる社会へ、道をきり拓いていきます。

 また、今回の選挙は、市民が主体的に参加し、そして動いた、初めての市民選挙でもありました。市民ひとり一人の力は小さいかもしれないけど、みんなが動き、つながれば、必ず何か変わるという、大きな、大きな、はじめの一歩になったと思います。

 このことをすべての市民の「勇気」にしたい。そして、日本にいるすべての人の「希望」に変えたいと思います。本当に皆さん、ありがとうございました。

 池田真紀はあきらめません。
 諍い(いさかい)のない、争いのない、暴力・武力・権力に怯えることのない、すべての人が「安心」して「あたりまえ」に生きていける「平和」な社会を。
 一市民として、一ソーシャルワーカーとして、池田真紀として、私に託していただいた願いや想いを実現する道を見つけていきます。

 また、このことは新しい政治へのスタートラインでもあり、この出発点を大事にして、皆さんの想い、大切な財産を政治にも反映していきます。

ありがとうございました。
無所属新人 池田まき 123,517票 
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