院内散歩2016/09/20 11:06

さっき一階の正面玄関まで散歩をしてきました。
ここ2週間位、社会復帰のときのため院内を散歩しています。
玄関から表に出て外気にも触れて見ました。
休み明けのせいか、ひっきりなしに車に乗せられた患者が到着していました。
空は完全に秋ですね。

僕の体温は、日の半分ぐらいは平熱になってきました。
ゆっくりですが炎症が癒されつつあるのかなと、
主に感謝しています。

写真は一階のローソン前。

血液炎症反応と紅茶2016/09/13 17:47

CRP血液炎症反応のことは以前にも書いた記憶があります。
僕の場合、この数値を高くしている原因はすい臓に出来てしまった膿疱らしいのです。その炎症が、又、微熱が消えない理由でもあるようなのです。

今日は採血がありました。その結果、CRPは0.42でした。前回は9月5日で0.53でした。理想は0.3だと聞いています。
この下がり具合は、僕が記録している体温の下がり具合と一致しているようです。

主よ、投与されている抗生剤を祝福して下さい。

閑話休題
今日は医師に「紅茶はどうでしょう。水とか番茶に飽きてきました」。
そうしたら「あ、どうぞ。ダメなのは脂質ですから、ミルクティを除いてどうぞ」とあっさり。
ということで久しぶりに甘味のある飲料を楽しんでいます(笑)

三度目の食事2016/09/02 08:48

おはようございます。
たくさんの方々の励ましや激励に心から感謝します。有難うございます。

微熱がいまだに続いていること以外は、腹痛なく、順調です。

今朝は三度目の食事でした。
メニューは、もやし少々、シュウマイ三個、味噌汁、低脂肪牛乳、ゆず味噌、どんぶりいっぱいのカユでした。
ゆず味噌でカユを食べて、味噌汁で流し込みました。シューマイは一個で十分でした。最後に牛乳をイッキ飲みでおしまい。
やはり、カユは三分の一しかし食べることができませんでした。

それにしも、食べることがこんなにくたびれるとは(笑)

主に感謝します。ここまで元気にしてくださり有難うございます。
これからも闘いは続きですが、私達をどうぞ守り導いて下さい。お願いします。
主にあって。アーメン

少しいい兆し2016/08/30 19:26

 なかなか変化が見られなかった僕の病状について、少しだけ報告をします。
 解熱剤の点滴を1日に多い日は3度ぐらい行っていました。 しかし、 それをやめてから 48時間以上の時間が経ちました。
 血液が示す炎症反応の値が低くなったことが主な根拠のようですが、 今のところ 7度3分とか7度4分ぐらいの少し高めの 微熱が続く程度に落ち着いています。
 併せて抗生剤の点滴も 終わりました。 これはまだ半日ぐらいの時間しか経っていません。
 というわけで点滴の数は少なくなりました。
 絶食状態はまだ続いていますが、 回復への兆しが見えてきたような気がしています。
 たくさんの方々にご心配を頂いて、大変ありがたく思っております。 次回はもっと明るい知らせをお届けできればと思っています。

 主に感謝します。

落語会 大阪 保名倶楽部2016/08/28 22:58

僕は「玉撞き屋の千代さん」という写真展を、2009年にキヤノンギャラリー梅田でやりました。その舞台となったビリヤード店が大阪梅田にある老舗「保名倶楽部」です。昭和初期の洋館が今も使われています。
そのお店での落語会です。是非、お出かけください。
落語会
立川こしら落語会をお店ですることになりました。
10月17日 月曜日 18:00~
特別料金でしていただける事になりました。 お待ちしています。
先着順ですのでご予約は当店まで!
06-6622-6733
ビリヤード 保名倶楽部

写真をやっていて良かった2016/08/26 01:02

写真をやっていてよかった

今まで写真をやっていて、 いやー写真は楽しいなあとか、他の人に喜んでもらえてよかったなぁ、とか そういう事は度々経験をしました。
しかし、今回の「写真をやっていて良かったなあ」と 思ったとは全く別の性質のことでした。

僕がいつもお世話になっている旭川の額縁屋さんのことです。
週初めの月曜日のことでした。 病室の入り口の方から聞き覚えのある声が聞こえてきました。 僕はまさかと思いました。
しかしそのまさかが本当にまさかでした。角谷さんと伊藤さんが 大きな 包みを両手に持って立っているではありませんか、いつもの穏やかな笑顔で。
「病室ギャラリーはどうでしょうか」 挨拶もそこそこに二人は 病室の壁をチェックし始めました。 そして持参した 荷物を解いて、ダンボールから 額縁に入った写真を取り出し 一枚一枚丁寧に 飾り始めました。

壁が 美しい 額縁の写真で埋まっていくのを見ながら、妻ともども 深い感動を覚えました。
お二人の 思いやり、 あるいは もっと根源的に 美しい人間性 に深い感動を覚えました。

病室ギャラリーが終わった後も 、僕と妻は 今回の 展示について いくどもいくども 話をしました。そして感動を 覚えました。
角谷さん伊藤さん、心から感謝します。


神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。
ローマびとへの手紙8-28

ひとつきと一日2016/08/19 21:38

 今日で1ヶ月と1日が過ぎました。 病気の治療はゆっくりゆっくりですが進んでいるように思います。 一時苦しまされた腹部をえぐるような 痛みはありません。 また 高熱にうなされるということもなくなりました。
 現代医学の特徴である 色々な数値の 理解をして 病気を治す事すのには変わりはないようです。 医師の説明によると 徐々に徐々に 数値は好転しているようです。
 切ったり貼ったりする外科の病気と違って内科の治療には 多くの時間がかかるようです。
 近頃は医師に何時退院になりますかという質問はしなくなりました。
 血液検査は2日にいっぺんです。 また3日か4日にいっぺんにレントゲンを撮ります。
 僕の使える薬にもある程度の制限があるようです。それは僕の過去の病歴が あるためです。 僕は腎臓は一つしかありません 。ですから 腎臓にあまり負担のかかる薬は使いたくないという医師の気持ちもあるようです。 また糖尿病もあります。 つまり、今回気がついたことに 、病歴のない若い人が病人ならば医師が使える薬に幅があるのかもしれません。
 つまり、病気になるなら 元気なうちに病気になれ、ということなのかもしれません。
 僕の絶食はまだしばらく続きそうです。

 写真は僕の身体つながっている 管です。

完敗2016/08/10 22:47

 今日は、検査結果が良いならば固形の食物がを、大手を振って食べることができるはずであった。
 3週間ぶりの、僕にとっては大事件となるはずであった。

 しかし、検査結果は少し悪化を示してくれた。僕はガクンっと、崖からでも落ちるような気分で、その知らせを聞いた。

 嗚呼、米の飯、されど米の飯。ここは潔く、数値悪化の原因除去を思い、夕方から施術を受けることとしました。

 施術結果は良好で医師らの予想通り、少しづつ快方に向かっているようです。
 今度こそは、1週間か10日後には、吉報をお知らせします。

偉業2016/08/08 23:02

 イチローが打った、と妻は 病室に入るなり 報告をしてくれた。 僕はもうしばらく時間がかかるのではないかと思っていました。
 なぜそう思ったのかは特段の事情はありません。 まずはよかったよかったと 妻と話をしました。
 
 世界中のイチローファンは、待ちにまっていたことだろうと思います。

 本来なら僕はこのイチローの記録達成をもっともっと 共感を覚え 、何度も繰り返し、テレビの放映を 観たことだろうと思います。 しかし残念ながらそのような 心境にはなりませんでした。
 イチローの肉体的な 状況に比べると 僕の現在の肉体的状況が 文字通りボロボロです。
 やはりなんといっても最大の問題は 空腹感が 僕の精神的肉体的状況を完全に支配していると言うことがあります。
 僕の絶食期間は今日でまるまる21日目に入りました。 1日1回の 栄養ドリンクを支給されて飲む以外は 口に入るものは水か番茶だけです。 当面の 目標は 水曜日の昼 までです。
 医師の話では 水曜日の 朝の血液検査で 膵臓への 炎症が減少していることが確認できれば、食事にありつける ということです。

 僕自身の空腹感との戦いと、 イチローの 偉業達成と比較するほうがおかしいとはわかっていますが、 愚痴っぽい話になってしまいました。
 水曜日のお昼ご飯に 固形物の食事が 当たったならここで大々的的に報告をさせていただくということでご勘弁願えばと思います。
 今は、深夜11時半です。 水曜日の昼まであと何時間あるのか、一瞬考えようと思いましたが やめることにします。

体調と手書き文字2016/08/06 16:21

 入院して二日目位から、これは尋常じゃないのではという痛みが始まりました。
 そこで、妻は小型のノートを用意してくれました。僕は薬の名称や検査名、数値どを時系列でメモをし始めました。
 分からない表現がほとんどですから看護士たちに尋ね、医師に聞き、Webで調べて、という具合です。
 しかし、当初の文字を読み返してみても???ヌヌが多く、我ながら呆れていました。
 ところが痛みや体温が安定しははじめて、僕の乱雑な手書き文字は大分読みやすくなったことに気付きました。
 
 父は最後まで万年筆派で、惚れ惚れする達筆な人でした。それでも晩年80歳を過ぎて、「忠、自分の書いた文字が悪筆過ぎて、読めなくなってきた」と嘆いていました。
 僕は「今でも、自分の手書き文字、読めないよ」と言いそうになって、言葉を呑み込んだ記憶があります。
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