額縁展示会 ラボ・フューズ ― 2012/05/16 22:14
ラボ・フューズの展示会でいつも思うのですが、額縁はそれ自体が芸術作品だと。無論、本来の使用目的は絵画なり写真なりを引き立たせ、それらの作品が傷まないようにすることなのでしょう。しかし、ラボ・フューズの額縁たちには別の命が宿っているような気がするのです。
気に入った額縁を、つまり、絵画や写真などが入っていない、いわば空の額縁を壁にかけ、日々眺めるだけで様々な物語が創られ、語られるような気がするのです。
日中は窓からの光が当たり濃い陰影を壁につくり、室内が薄暗くなり始める夕方の時間帯には自己主張をせず静かに壁の一部と化し、夜は少しの照明が当てられて、空のはずの額縁は家人の今日一日の様々な出来事に耳を傾け、すこしだけその存在を明らかにします。
会場は旭川駅前にある市民ギャラリー(旭川西武百貨店B館11階)です。是非、お出かけください。
http://www.labofyus.com/exhibition2012.html
写真は展示されている額縁のほんの一部。
部屋の整理整頓-2 ― 2012/05/15 21:50
さて、整理整頓の続きですが・・。実はまだ終わっていません。実際は遅々として進んでいません。頭の仲では何を捨てるかという演習を何度も繰り返しています(笑)
僕の親は整理整頓に心がけていました。父の晩年に、青森の家に遊びに行くたびに家の中の整理が進んでいるのに気付きました。誰にでも分かるように衣類から書物、瀬戸物まで区分けされ箱などに入れられ内容物の説明が書かれていました。母は「私が入院したら」といいながらベッドの下の引き出しを指差して「ここにあるもので用が足りるはずだから」と僕に説明をしてくれていました。
それを聞いていて僕は思いました。親が居て子が居て、そして、親が逝くと子が親の身のまわりの物などの整理や処分をして、次の世代の子がその親の残した物を整理して、と世代が続いてゆくのだなと。古い家柄ですと、かくして民族博物館のごとく生活道具や書物が世代から世代へ引き継がれて行くのだろうと思いました。
僕ら夫婦には子供が居ませんから僕らの死後、全ての処分を誰に託したらよいのか考え込んでしまいます。といっても順番としては僕が先に逝くことになります。僕のカメラや今度加わる無線関係の機材、本などを妻に頼まなければなりません。妻に不必要な負担をかけたくは無いので、出来るだけ身軽に生活をしたいと思うのです。それが今回の整理整頓の主目的でもあるわけです。
理想的には「living out of suitcase(直訳:スーツケース一つに収まるだけの身の回りの物で生活をする。意訳:住所を定めずに暮らす、各地を転々とする、ホテル住まいをする」ことが可能なくらい身軽になれれば一番いいのでしょうがそこまでは難しいことです。少なくてもカメラ関係はカメラ屋さん、無線は無線屋さんに来てもらい引き取ってもらえば事が済むくらいまでには始末をしなければと思っていますが・・。
それともう一つ大事なことが。
僕は先日、「延命治療について」の僕の希望を書いた文書を作り妻に預けました。死んだ後の整理も大事なのですがそのチョッと手前の行事も大事だろうと思っています。妻とは度々延命治療について話しています。それと同じ内容なのですが一応、文書化して押印しました。
部屋の整理整頓 ― 2012/05/07 21:34
小さい頃には親に度々言われました。「もうそろそろやったほうがいいよ」と。それでもやろうとしないときには、僕が学校に行っている間に母が整理をしてくれていました。今どきの家と違って個室というのはなく、どの部屋も障子やフスマを開ければ大きな座敷になる造りです。与えられたのは「部屋」ではなくどこかの座敷の一角に机や本棚がおかれている程度のことです。ですから誰からも見える空間です。多分、親は相当に我慢をして僕の性癖に耐えていたのかもしれません。
僕は始終、勉強をするフリをして好きな「子供の科学」とか「世界の偉人伝」などを読んでいたように思います。
自分専用の個室を得たのは中学3年で東京に出たときがはじめてです。父の知り合いの家が京王線の桜上水駅の近くにあり下宿をさせてもらいました。甲州街道に面した2階の6畳間が下宿人の僕に与えられた部屋でした。考えてみれば至極贅沢な環境での下宿生活でした。当時のアパート代は1畳千円と云われていましたから。今のように高速道路が縦横に走る前、つまり1960年のことです。
桜上水では青森にいたときのように「勉強をするフリ」をする必要もなく、好きな本やオートバイの雑誌を思いきり読み、散らかし放題やりました。ときどき下宿のおばさんが部屋に来て「タダシチャン、そろそろ掃除機でもかけようか」と暗に整理整頓を言われたことは何度もありましたが。
さて、今の4畳半+納戸の仕事場は今までの僕の人生で最も狭い空間です。3度の戸建の経験、英語学校を経営していた頃の自分の仕事場のどれも今ほどの狭さではありませんでした。
この狭小拙宅に引っ越すことを決心したのはもしかしたら桜上水での経験があったからかもしれません。繁華街に近いところに住むことの楽しさは当時も満喫していました。今はそれ以上だと思っていますが。
さて、僕はこの歳になってもやはり整理整頓は苦手です。しかし、ある程度、机の上は目途が立ちました。ランダムハウスとか類語辞典、科学大辞典など書棚の大きな部分を占めていた大型本も「エイ、ヤ!」の掛け声で書棚から下ろしました。英語学校時代からたまり続けた文房具の中にホチキスが5個もありました。ボールペンなどの筆記用具は山ほど残っています。
今回の整理整頓は、以前にも書きましたが僕の平均余命10数年の間には使わないだろう、必要はないだろうというということが取捨選択の基準なのです。作業はまだ数日は続きそうです。
写真は4月27日のすすき野。暖かくなりはじめて、客引きの若いお兄ちゃん、お姉ちゃんたちも元気になっている風です。
電車で帰宅 ― 2012/05/02 21:49
昨日の夕方に用事の目途が立ち、早速に青森駅のみどりの窓口へ行き、札幌行きの座席の空き具合を確認しました。何しろ、時季がゴールデンウイークですから飛行機の予約は取れず、やむなく電車となったのでした。
長距離の電車に乗るのは久しぶりのことです。いつが最後の機会であったか思い出せません。
青森駅を出発して、久しぶりのゴットン、ゴットンという電車の音を聞いているうちにウトウトとしてしまいました。青森駅から函館駅までの2時間弱はあっという間でした。津軽海峡のトンネルを通過したことさえ覚えていない始末です。
青森駅10時半発の特急スーパー白鳥11号で函館まで行き、乗り換えました。電車は5分ほどの遅れがあるというアナウンスがありましたから、待ち時間は5分ほどしかありませんでした。急いで幕の内弁当をホームで買って、札幌行きの特急に乗り込みました。もしかしたら僕が手に入れた切符が最後ではなかったかと思われるほどに混みあっていました。
スーパー北斗9号が函館駅を出発したのは12時半でしたので、僕はそそくさと幕の内弁当を広げて食べました。隣の席の同年輩の男性は車内販売を予約していました。
テーブルはあいにく飛行機のより小さく多少は狭苦しいと思いましたが大して不便も無く食べ終えて、ごみを始末して、またもコックリ、コックリとなりました。
僕は車内で退屈をしないようにと思い2種類の新聞を買ってきたのですがそれどころではありませんでした。時計を見たら2時でしたが隣の御仁の注文したカニ弁当はまだ届いていませんでした。お腹がすいているだろうにと少し気の毒に思いました。
札幌駅に到着したのは夕方3時50分でした。で考えてみました。
飛行機の場合に比べたらどれくらいの時間が多くかかるのかと。青森駅から札幌駅まで約5時間30分でした。飛行機だと、と思いながらいろいろと計算をして見ましたが多分1時間か1時間半くらいの短縮になるだろうと思いました。電車の値段は飛行機の約半分くらいで済みます。次回はどうしたものかの考えています。
写真は弘前市役所の屋上から見た岩木山と桜並木
弘前さくらまつり-2 ― 2012/05/01 10:27
僕が小学3~4年生のころでしたが下唇が割れて出血をしては治り、また、出血をするということを繰り返していたことがあります。青森の方々の病院で診察を受けましたが原因が分からず、母は途方にくれていました。そんなときに弘前大学の病院を紹介をされて入院検査ということになりました。
夜、病室では僕はベッドに寝かされて、付き添いの母が僕のベッドの隣に布団を敷いて寝ました。母は僕の手首に布の紐を結びつけて、一方の端を自分の手首に結びました。そして、「おっかなくなったら紐を引っ張りなさい」といってくれました。
入院検査の後にも何度も汽車の乗って日帰りで通院をしました。まだ蒸気機関車の時代です。トンネルに入るとススが客車の中にはいらないように網戸を急いで引くことがありました。
病院の門を出て土手町という店がたくさん並んでいる通りを抜けて弘前駅に向かうのが常でした。母も僕も原因が分からないままその通りを幾度も通いました。
5年生になったころだと思います。医者は「大人になるにつれて自然に治るでしょう。ビタミンBの○○番の摂取機能が弱いようです。唇がまた割れたら蜂蜜を塗ってください」という結論に達して放免してくれました。
弘前にはそんな思い出があります。
その母はもう90歳を越えて僕の事をあまり思い出してくれません。
写真は昨日の弘前城公園。
弘前さくらまつり ― 2012/04/30 22:56
前日乗ったタクシーの運転手の話では青森市内からの道路は相当に込み合うでしょうということでした。朝7時には朝食をとり8時に兄の運転する車で出かけました。幸いなことに道路はまだ混んでいずスイスイと弘前市内に入る事ができました。
公園の目の前にある市役所の屋上が一般に開放されているということで早速市役所に。そこからは公園を一望に見渡すことができました。薄いピンク色に染まった幾つもの綿飴が空中にあたかも浮かんでいるように見えました。お勧めの見物場所です。
追手門から公園内に入りました。目前には美しく咲き誇った桜の木木が満面の笑みで迎えてくれます。
数年前に東京の上野公園の桜を一番の見ごろだと言う日に見たことがあります。そのときは桜の花はこんなにも美しいのかと感動しました。しかし、弘前城の桜はそれ以上だと断言できます。
幸いなことに焼肉やジンギスカンの匂いに邪魔されることはなく、公園の美味しい、かすかな花の香りを含んだ空気を満喫できました。
詳しい日程などは下記をご参照ください。
http://www.jomon.ne.jp/~ja7bal/info.htm
日々・その28 KJ6VVN ― 2012/04/21 20:53
僕の新しい、アメリカ生まれの名前は「KJ6VVN」といいます。始めまして、ですね。
朝日の「あ」と同じ要領でやるとK for Kilowatt, J for Juliet, Number six, V for victor, V for victor, N for Novemberとなります。
このコールサインは日本も同じですが申請順に機械的に決められます。今日WEBで見つけ、あ、いいコールサインだなと思いました。Vが2つで音として力があるような感じがします。
中には自動車のナンバープレートのように特定の気に入ったアルファベットが含まれるコールサインを欲しいという方もいるようで、そのための制度もあります。ヴァニティー・コールサイン(Vanity callsign虚栄心,うぬぼれのコールサイン)といいます。日本にはありません。
上級の免許保有者には短いのを選ぶ特権が与えられています。多分、しっかり勉強をして上級を取得して、技術や知識の向上を計って下さい、という趣旨のご褒美のような気がします。費用は15ドルくらいで機械的に発給されたのと交換が出来ます。人気の高いのもあって、複数の希望者がいる場合には抽選のようです。僕は・・当面はこのままでいいかなと思っています。僕の場合は上級免許ではありませんし、実際にこれを使ってアメリカら電波を出すことは無いだろうと思っています。
アメリカの制度では、有効期限は10年間です。つまり、僕が77歳になる直前まで使えます。その後は、さあ、どうなるのでしょうか。こればかりは僕の脳の侵食状況によるので考えないようにします。あまり考えると侵食が進むような気がするのです。
日々・その27 試験勉強中のDVD鑑賞 ― 2012/04/19 23:21
http://youtubetvdoramadouga.blog111.fc2.com/blog-entry-115.html
もう一本は「下町ロケット」という、やはり日本のTVドラマがDVD化されたのです。三上博史が町工場であるつくだ製作所社長。寺島しのぶが弁護士といった顔ぶれです。
http://www.wowow.co.jp/dramaw/rocket/
僕の勉強は必ずしも楽しんで出来たわけではありませんでした。僕にとってはほぼ苦行と言っても良いくらいの気持ちの重いものでした。何しろ日本語であろうが英語であろうが専門の語句の意味が分からないのですから。たとえば「Which of the following causes opposition to the flow of alternating current in an inductor?インダクタ(誘導原)の中で交流電流に反発するものを発生させるのは、どれか?」をどっちの言語で読んでも僕には電子工学の基礎知識がありませんから理解できないのです。これらの問題が全体の3分の2ほどを占めています。残りはじっくり読めば見当がつくかなと思える法律関係の問題でした。
根気良く問題と正解(4択の中から)を読み続けていると少しづつでも頭に残り始めることに気がつきました。電子工学の理屈を理解しようと思うと至難の技ですが問題と正解だけを記憶に留めることに時間を費やしました。1問を読み、回答を選ぶ作業の平均時間は約1分です。集中して1時間の勉強をしてもせいぜい60問と向き合えるだけです。初級と中級で850問ですから集中力と根気が必要でした。しかし、僕には2時間が限界でした。
そこで、気分を変えるのにレンタルDVDとなったわけです。疲れない内容で勇気を与えてくれそうな作品を選んだ結果上記の2本となったのでした。僕は、普段は日本のTVドラマを観ることは滅多にありません。決まった曜日と時間にTVの前に座るということは得意ではないのです。で、今回はDVD化されたのを妻の勧めもあって観たのでした。
「DVDを観る暇はないだろう。とっとこ問題に取り組め!」という声を幻聴のように聞きながらもこれらのDVDに励まされました。みなさんは気持ちが折れそうになったときにはどうなさっていますか。
日々・その26 試験×2に合格―2 ― 2012/04/16 21:10
僕は少なくても初級のために50時間以上は費やしていたのです。俄然、負けてなるものかと思いはしました。しかし、その若い氏は「僕は電子工学が専門ですから」と付け加えてくれました。僕はほっとしました。
VEの皆さんもお話を聞くとやはり理系出身の方ばかりのようでした。算数もおぼつかないような者は僕ぐらいでした。
初級の問題数は35問。そのうち26問正解で合格です。時間制限はありません。出来た人から採点をしてくれます。
上級の問題数は50問で僕のよりも多いのにもかかわらず「終わりました」と手を上げるのは1番最初でした。3名のVEが採点をし、確認をし、じきに「おめでとうございます」というVEの皆さんの祝福を受けていました。2番目は若い氏でした。同じようにVEの祝福を受けていました。
解答の●の付け間違いを3箇所も発見し、がっかりしていた僕が最後に採点をお願いしました。僕の心臓は口から飛び出しそうでした。10分ほどで「合格です」と言われて、フ~っとため息をついてしまいました。まあ、1回目の受験としては初級突破でよしとするか、と自分に言い聞かせました。
日本の試験の2級は高専の、1級は大学の電子工学のレベルと言われています。僕には分かるはずのない高度な試験なのです。その2級と同等とみなされるアメリカの中級Generalの試験が始まりました。中級の384問の中から35問が出されます。26問の正解で合格です。
隣にいる若い氏は大変速いペースで問題が印刷されたページを繰っていました。僕は心の中で「慎重に、時間はある」と言い聞かせながら苦しい、あっちこっちの記憶の扉を開けては閉める作業に必死でした。
若い氏は余裕のハイペースで「はい、終わりました」と。僕はまだ3分の2ほどまでしか進んでいませんでした。すぐに採点が始まり、がやがやと話し声が聞こえてきます。僕は初級のときよりも採点に時間がかかっているなと思いながらも集中力を絶やさないように問題とにらめっこを続けました。
VEのリーダーが若い氏に歩み寄って何かをメモした紙片を見せて「次回、がんばってください」と話しました。僕は電子工学が専門の若い氏が合格しなかったことに大きなショックを受け、僕もダメだなと思いました。
僕の採点の番です。随分と長い時間待ったような気がします。しばらくして、やはりVEのリーダーが前方から歩いてきました。ほんの5~6歩のことですがその一歩一歩のゆっくりなこと。スローモーションの映像を観ている様な感じさえしました。僕の前に立ったVEはニコニコして「おめでとうございます!」と。そして皆さんが拍手をしてくれました。全く予期しなかったことでした。電子工学が専門の若い氏が合格をしなかったのに僕が?と思って、失礼ながら、うっかり「本当ですか」と訊いてしまいました。
僕はすぐに妻に電話をしました。妻もにわかに信じられない風なでした。
日付が変わって、今日は試験の翌日です。これを書きながらも僕自身はいまだに信じられないのです。30年も前にあきらめた資格を67歳にもなって予想も出来なかった方法で取得することが出たことに、時代の変化を感じています。
すすき野も雪が無くなり、足元が軽そうです。
日々・その26 試験×2に合格 ― 2012/04/15 21:48
最後の復習は初級に絞って、これだけは何とかしなければここで報告をするのは気が重いナと思っていました。それがなんと、幸運なことに中級(General)にも合格をしてしまいました!
「今からしばらくの間だけですが、この空間はアメリカのアマチュア無線の試験会場となります。全てがアメリカで行われていると全く同じ様式で試験を行います」というヴォランティア試験官(VE= volunteer Examiner・上級資格保有者)の説明が始まりました。
アメリカの規則では最低3名のVEが出席していないと試験の実施は出来ないことになっています。今日は5名のVEが来ていました。受験者数は・・3名でした。
アメリカの会場と同じ云々というのは、シーンと静まり返った環境ではなく、VEの皆さんの話し声やら書類を整理する雑音がある、ということなのです。
その場で合格、不合格を判定し、アメリカの事務局に送る書類や受験者に渡す正式な合格証など、全てを行ってしまうのです。VEは文字通り無償のヴォランティアで、免許証を入手するまでの全てを含めて15ドルという安価な受験料なのです。
1時過ぎから試験が始まりました。最前列に陣取った1人は先月に初級と中級を取得され今回は上級のExtra試験に挑む方、2列目には30歳代の男性が右端に、僕は左端に座り、初級からの受験でした。
僕は思わず、訊いてしまいました。「いつごろからこの試験勉強を始められましたか」と。「はい、3日前からです」と簡単に答えられて、僕は愕然としました。内心「そんな馬鹿な!僕は何十時間も費やした!」と思うと同時に、やはり若い人にはかなわないナと自分の歳を思い知らされました。(続く)
写真:女性たちは分厚いコートにサヨナラをして、一足先に春を取り込もうとしているように見えます。










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