僕の45年間-1242011/05/30 21:07

 マリアさんとヨシさん二人がどんなキッカケで会って、意気投合をしてコペンハーゲンからブライトンまで来たのかは記憶していません。

 ヨシさんは「俺は大工だけれど本当は大七か大八だ」と自嘲気味に言っていました。

 マリアさんはやはりヨーロッパ人ですから当初は不便をしていましたがじきに英語だけで話ができるようになりました。つくづくヨーロッパ言語の人は得だなと思いました。ヨシさんは「俺に英語が分かるわけがないでしょう」と平然としていました。

 二人はマリアさんのウエイトレスのアルバイトで生活をしていました。しかし、僕と同じに日本までの帰国費用を工面しなければならないということでヨシさんも仕事を探していました。
 
 そんな頃、僕はローカル新聞の「工員求む」という広告を見つけたのです。ブライトンの東端で僕のフラットから徒歩で15分くらいのところでした。
僕は何を製造している工場かも知らず、ヨシさんと出かけました。

 目当ての住所はすぐ見つかりました。塀に囲まれた大きな敷地で、手前には自動車の板金工場らしく、デンマークで働いていた工場のようにシンナーの匂いあり、塗装途中のクルマ何台かありました。
 その奥には別の工場が見えました。
僕たちはどっちの工場が募集をしているのか分かりませんでした。大きな門構えの前でウロウロしていてもしょうがないと思い、門の中に入りました。その瞬間、大きなジャーマンシェパードが今にも飛びつきそうに、吠えながら奥の方から我々の方に向かって猛烈な勢いで走って来たのです。僕らはマズイと思いと思いながらも恐怖心で動けなくなりました。
 すぐさま、○○、come here!という声がしました。シェパードは僕らの目の前でピタリと止まりました。そして、う~んと唸りながら僕らから目を離そうとしませんでした。もともと犬は得意ではないので僕は心臓が止まりそうになりました。


 写真は前回と同じくパリのキリアド・ベルシー・ホテルのセルフサーヴィスの朝食。ここのパン、ハム、チーズは僕らにとっては一番の馳走でした。2005.12
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