僕の45年間-1152011/05/18 23:15

 僕には手の込んだ料理は出来ませんでしたが見よう見まねで、少なくてもそのレストランのメニューに載っている料理の大方は、下ごしらえさえ出来ていれば出来るようになりました。

 曜日によってはレストランは閑散として手持ち無沙汰の日もありました。そんな日にはルイさんはビールグラスを片手に持ったまま、僕が夕食のときに陣取るキッチンの片隅で高いびきを決め込んでいました。

 ヒマなときに客が来るとフランス人ヘッドウエイターのミシェルさんが注文をとる前にキッチンへ来てルイさんの状況を確認しました。ルイさんがすでに出来上がっていると僕の顔を見てフランス語訛りの英語でウインクをしながら「Steak, all right?」といいます。数分後にはステーキの注文が入ります。
 
 僕はいかにも慣れた手つきで冷蔵庫からステーキを取り出し、ステンレスのバットに並べたステーキに塩コショウをまんべんなく振りかけ、いつでもどうぞと、準備をします。

 イギリスの高級レストランのウエイターやウエイトレスの固定給はさほど高くはありませんでした。収入の多くは客が置いてゆくチップでした。チップは「臨時の収入」ではなく、客が満足度に応じてウエイター、ウエイトレスに直接払う給与の一部です。レストランによっていろいろなやり方があるようですが僕のいたレストランでは夜の仕事が終わったらチップを入れる缶を空にして決められた歩合で分けていました。ヘッドウエイターが一番多く、その次が平のウエイトレスでした。キッチンスタッフは通常は分配の対象外です。 
 しかし、前述のように僕が調理をして、客が満足をした場合にはチップのおすそ分けをしてくれました。そんなときは僕も何かしら嬉しく、散財をしたくなりました。仕事が終わるのは11時頃でしたが、その後に僕はときどきインド料理の店に行ってチキンカレーを食べました。安くて量があって美味しく夜遅くまで営業をしているのはいつもインドカレーの店でした。中華料理店もありましたが僕の口には余り合いませんでした。

 写真はパリ北駅前のホテルの部屋での食事。パンとハム、チーズ、トマトがあれば幸せです。大きなバスタオルをベッドに広げてインスタントテーブルが出来ます。2005.12
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