僕の45年間-1702011/07/26 12:18

 法廷は騒がしくなりました。官吏がいくら「Order, Order 静粛に」と叫んでも傍聴人席の話し声はなかなか静まりませんでした。中には「裁判長、弁護人の言っていることは正しい!」と大きな声で叫ぶ婦人までいました。僕はそれを聞いて僕の英語の説明が分かってもらえたのだという安堵感に満たされました。有罪無罪も大事なことでしたが僕にとっては僕の英語と思考回路が理解されたことはある意味ではもっと大きなことでした。それは例え有罪になって罰金を払うことになったとしてもそれはいっときのことで終ります。しかし、英語への自信は僕の一生のことだったのです。

「大坂忠は容疑者席に。皆さん、お静かにしてください」
「はい」
「あなたは容疑者として今の弁護人の弁明に付け加えることはありますか」
「はい。一言付け加えたく思います」
「では、どうぞ」
「英国はUnwritten Constitution不文憲法(成文化されていない憲法)の国家であると承知しています。また、common sense常識の国であるとも言われています。もし、国際免許証はfull licenseに該当しないということが英国の国民にとって常識なら僕はそれに敬意を表し、有罪でもいたし方無いと思います。以上です」

裁判長は検察官を呼び寄せてひそひそと話しました。そして、「15分間休廷する」と言い、木槌をコーンと打ち鳴らしました。3人の裁判官たちは大きなテーブルの後ろにあるドアから消えてゆきました。ドアのところに立っていた官吏が僕のところに来て椅子に座って待つように言いました。僕の気のせいか官吏が僕に片目をつむってウインクをしたように思えました。僕は思わず「Thank you」と言いました。


写真はパリのアーケード内。2008年11月

僕の45年間-1712011/07/26 20:58

 裁判が再開されるまでの間、自分の言葉を幾度も反芻し、頭の中で考えていたことは全部話せたと確認をしていました。僕は被告人として、また、弁護人としても話したいことは全てを話せたという満足感のようなものを感じていました。

 しばらくして、とは言っても僕には大変長く感じられた15分でしたが「Order, Order 静粛に」という声が聞こえてきました。
 
 裁判長と他の2名の裁判官が入廷してきました。
「これから話すことは我々3名の裁判官の共通した意見です。まず、大坂忠被告は無罪とします。我々は検察官と話しました。その結果、国際免許証はfull licenseに該当しないということが明文化され、仮免許証を発行する際に告知されているとは言いがたいと考えます。また、今回の容疑をもってして大坂忠を有罪とするには、氏が指摘したようにわが国のcommon sense常識には当てはまらないとも考えます。
 国際免許証がfull licenseに該当するかしないかを定めるのは、今後の政府の対応を待たなければならないと思います。
 なお、Mr. Tadashi Osaka大坂忠氏は日本人であり英語が母語ではありません。また、わが国の裁判制度になじみがないのにも関わらず自己弁護の制度を活用し、見事な弁明を展開したことに心から敬意を表します。以上を持って閉廷とします」

 裁判長は木槌をカーンと打って退席しました。同時に、傍聴席からは「well done, well doneよくやった、よくやった」という声と「パチ、パチ」いうまばらな拍手が上がりました。

 頭が真っ白になり僕はヘナヘナと椅子に座り込みました。官吏に「終ったよ」と静かに促されるまで座り込んでしまいました。
 外に出ても僕の頭はボーっとしていました。外は相変らず肌寒く小雨模様でした。

写真はパリのアーケード内。2008年11月

僕の45年間-1722011/07/26 22:25

 翌日、パットさんに報告をしました。彼は「ウオー」と声を上げて「Well done, Saka」といいながら僕に握手を求め、自宅に走ってゆき、第3の奥さんに大きな声で「Saka is not guilty!サカは無罪だ!」といって喜んでくれました。
 
 その日の昼食は僕の大好きなイングリッシュソーセージとフライドポテトでした。奥さんはたくさん食べて頂戴と太いソーセージを3本も僕の皿に乗せてくれました。第1婦人、第2夫人も来ていて一緒に喜んでくれました。口々に「Congratulations! Sakaおめでとう、サカ」と言ってキッスをしてくれました。
 その日の昼食は裁判の話でもちきりになり、結局、午後の仕事は無しになってしまいました。
 パットさんは「俺も裁判所に行こうとは思ったんだ。しかし、もし有罪になったらなんと声をかけようかと思い、結局いけなかった」と「告白」をしてくれました。
 
 食卓の皆は僕が被告人として、また、弁護人としてどんな話をしたのかを聞きたがりました。無論、パットさん一家の誰も裁判所の中へ入ったこともなく、知識は僕と同じくTVニュースとかドラマの裁判シーンだけでした。ドラマのように12名の陪審員はいたのかとも聞かれました。僕は、そこまで大げさな裁判じゃないと言いましたら、それはチョッと物足りなかったなとパットさんは勝手なことを言っていました。
 僕は自慢気に、そして少々大げさに、僕の弁舌を披露しました。皆、手をたたきながら「そうだ、そうだ」と合いの手を入れてくれました。

 裁判は僕にとっては2つの意味で「大事件」でした。後にも先にもこの経験しかありませんが裁判というものを傍聴者としてではなく当事者として経験したこと、もう一つは英語に多少の自信を持てるようになったことです。これを機に、だんだん、中学時代からの英語への劣等意識が薄れてゆくような気配を感じ始めたのは大きな収穫でした。

 写真はパリ・アーケード内のレストランの様子。2008年11月。
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