僕の45年間ー 1552011/07/10 21:08

 僕の書いていることは当時、つまり、1968、9年ころのことです。したがっていろいろな制度は今よりものんびりしていたのではないかと思います。

 さて、僕が郵便局で受け取った仮免許証の裏には注意書きとして「普通免許証を所持している者が助手席に乗っている場合に限り公道で何の制限もなく運転できる」と書かれていました。無論、僕はそれを承知で仮免許証を申請したのですが。

 運転免許の試験に落ちはしたものの、僕は運転をしたくてしたくてたまりませんでした。そこで免許証を持っている知り合いに頼んで仕事が終わった夕方に付き合ってもらいました。VW特有の決して静かとはいえない空冷エンジンの乾いた音を響かせて、ブライトンのメインストリートであるウエスタンストリートや大きなリゾートホテルが立ち並ぶ海岸沿いの通りをロールスロイスでも運転しているような気分でドライヴし、悦に入っていました。

 今は分かりませんが、当時の若人の間では中古のVWのヴァンをドイツで買って、外国人用の卵形をしたナンバープレートを付けてヨーロッパを自動車旅行するということが流行っていました。ブライトンでこの卵形のプレートを付けたVWのヴァンを見かけるたびに僕は羨望の目で、いつかは自分もと思っていました。僕はその夢に少しだけ近づいたような気分でした。

 ある日、パットさんのところに赤味の入ったオレンジ色に全塗装をして欲しいという依頼がきました。当時はそんな色のクルマは見かけませんでしたから、パットさんは気合が入っていました。その派手さは隣接している、前の職場である旋盤工場の人たちの間でも話題になり、異口同音に「スゲー」「面白い」と好評判でした。

 そのクルマの持ち主が仕上がったクルマを取りに来たときには大勢の人だかりができたほどでした。その若い人は、これこそ俺のクルマだ、と大変自慢気でした。

 翌日、パットさんが僕の顔を見ながらニヤニヤして「例のオレンジ色の塗料がまだ残っているよ」と言うのです。

写真はパリの通りで。2005年12月。
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