僕の45年間-1652011/07/22 21:56

 その日の夜に正式な裁判を希望する旨の書類にサインをして封筒に入れました。僕には裁判とはどんなものなのか全く見当もつかず、どうなることだろうと思いながら、深く息を吸いました。これから裁判に必要な単語を覚えなければならないのかと思うと多少頭が痛くなりました。

 仕事場までにある途中の最初のポストには投函しませんでした。大丈夫かなァという不安な気持ちが頭をもたげてきていました。二つ目のポストもやり過ごしました。そうこうしている内に仕事場に着いてしまいました。手紙をポケットに入れたまま、仕事にかかりました。そこで、思いついたのは裁判が先送りになればなるほど僕は罰金のための貯金をする時間を稼げるという単純なことでした。今日、投函しない方がいいという理由を見つけて気持ちが少しだけ楽になりました。

 当時のイギリスの郵便制度は、同じ市内であれば朝投函するとその日の夕方には配達されていました。
 今は分かりませんが当時、イギリスの人は電話で食事やお茶に他人を招待しても、改めて手紙で同じ内容のを書き、投函する習慣がありました。そんなことで僕は安全を見込んでも期限である2週間の一日前に投函すればいいと判断しました。

 毎日、新聞を読んで裁判の記事があると辞書を引きながら単語を覚えることを意識的にやりました。そうこうしている内に、投函すべき日はすぐにやってきました。僕は出勤途中の最初のポストに意を決して投函しました。

 ブライトンの暑い夏も終わりに近づき、海からの風は時々肌寒く感じる季節になっていました。僕のVWには両目のヘッドライトが付き、鮮やかなオレンジイルを誇示してフラットの前の路上に鎮座していました。僕は裁判が終わるまではあまり運転はしませんでした。2階の自分の部屋の窓から眺めては、ときどき腹が立ったり、ときどきいい色だなァと嬉しくなったりしていました。

 写真はパリの中心街で見かけたあまり手入れがされていないドア。2008年11月
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