あさこはうす―8 東京新聞その12014/05/03 16:25

 2014年4月30日付けの東京新聞朝刊の【特報】記事に下記のがあります。偶然でしたが僕があさこはうすを訪れた同じ時間帯に記者の荒井六貴氏が取材をしていました。幸い、東京のH・Oさんのご厚意で新聞を入手できましたのでここに掲載します。

 僕は「あさこはうす-2」で「あさこはうすは、現在の、原発を推進する政権や札束をばらまく日本電源開発株式会社という巨大な山に向かって『動け』と叫んでいます」と書きました。この荒井六貴氏の記事にはかすかにその兆しが見えます。何か、少しうれしくなりました。

 「推進一色に変化の兆し 函館市の原発反対訴訟に揺れる大間」
 電源開発(Jパワー)が建設を進める大間原発の地元・青森県大間町に動揺が広がっている。津軽海峡を挟んで対岸の北海道函館市が、建設差し止め訴訟を起こしたからだ。推進の立場を維持する町民の多くは反発するが、函館とは経済的なつながりが強いだけに、町や経済界は複雑な心境ものぞかせる。数少ない脱原発派は、頼もしい援軍の登場に勢いづく。現地を歩いた。 (荒井六貴)   
続きは画像で。

(長文の記事ですのであさこはうす―9に残り半分を掲載します)

あさこはうす―9 東京新聞その22014/05/03 16:29

 僕は「あさこはうす―4」で、たまたま通りでペンキの作業をしていた70歳代の男性が話してくれた言葉として、次のように書きました。
 
 「だいたい、財政が苦しいという自治体が日本中にあって、それでも何とかやりくりしている。大間町でそれができないから、即、渡りに舟で原発っていうのはおかしい。海で魚を獲って、畑で野菜作って戦争中も生きてきた。いまさら町があれも欲しい、これも欲しいというはおかしい。原発が動き出したら大間のマグロは風評被害で売れなくなるかもしれない。もちろん今でも少ない観光客が来なくなるかもしれない」と。
 もしかしたら大きな山が動く兆しがあるのかもしれません。

あさこはうす―10 ゲンパツって「麻薬」なんですよ。2014/05/05 23:01

 写真仲間のN・Hさんがご自分のフェイスブックに下記の文章を書いておられます。お許しをいただいたのでその一部を転載させて頂きます。
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たぶんね。
ゲンパツって「麻薬」なんですよ。わりと多くのヒトにとって。
「ぜったい危ないモノだ。ゆくゆくは廃人になるんだよ」っていうことをアタマではわかっていてもやめられないんですよ。
やめられないどころか、あらたに麻薬の量を増やそうとしているくらいでしょ。
取り返しのつかない廃人になっちゃった人見て、一時「ゆくゆくは麻薬は一切やめようぜ!もっと安全なクスリがあるだろう~?今は安全なクスリはちょっと高くつくけど、廃人になっちゃったらもっとコストかかるんだぜ」っていうのをアタマでは理解しようとしたけど、やっぱり麻薬の魅力に負けちゃっているんでしょうな。まだ今は麻薬ナシで暮らしているけど、そろそろあちこちで禁断症状に苦しんでる人、いっぱいでしょ。
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 現在の状況を大変分かりやすく短文で表現されているのでご紹介したいと思いました。

  写真は「それぞれ、やれることをやればいい。私はこの土地を守ること」と淡々と話すあさこはうすの小笠原厚子さん。

デモ行進に参加して2014/05/06 22:12

  「あさこはうす」が取り組んでいる原発問題をはじめ、憲法問題、特定秘密保護法問題、集団的自衛権の行使問題、あるいは保育園不足問題、介護問題など様々な分野の問題が新聞、TVを賑わしています。しかし、僕自身は恥ずかしいながらこれらの問題について、具体的な行動を起こしたことはありませんでした。何が積極的な行動なのかはいまだに分かりませんが。

 昨年、機会があって福島の原発被害区域を訪れました。そこで地震による被害は大きくないのに放射能汚染のために住民が強制的に退去させられ誰も生活をしていない、しかし交通信号は点滅し、暗くなると街灯が道路を照らすという街並みを自分の目で見ました。僕はその時に初めて事故の重大さに気づいたのです。

 僕は、最近になって3回デモに参加しました。デモ行進をしていると自分の中に「何をどうしたら被ばくした子供達への謝罪になるのかと悩んでいる自分」と「デモ参加者を歩道から無気力に眺めている自分」の二人がいることに気付きます。
 言い換えれば原発事故を起こした世代の無責任な大人として子供たちに「ごめん。申し訳ない。僕たちは分別が足りなかったからこんな事故を起こしてしまったと謝罪する自分」と「被爆した子供たちが発症するころには僕は生きてはいないだろうから、まあ、いいかという考えの自分」の二人がせめぎあいをしているのです。
 しかし、それでも僕は、もしかしたら原発事故ゆえの健康被害のために、本来はできるはずの勉強をしたり、楽しいはずの運動が出来なかったりする子供たちや、そして、福島出身ということで差別をされるかもしれない彼らの将来像が気になるのです。

 僕はデモ行進をしながら考えます。「原発ハンタイ!」と叫んだところで本当に政府や与党を動かし、脱原発が実現するのだろうかと。一方、自分自身の生き方として、具体的な行動を起こさず、仕方がないと思う自分でいいのだろうかと。

 僕の10~5、6年の余命を次世代や次々世代、強いては地球全体のことを考えて生きるか、あるいはそれぞれの世代の人々に問題解決を託し、のんびりと余命を生きるのが賢いのか。

 広島・長崎の原爆ゆえに今も健康について苦しんでいる人々が大勢います。チェリノブイリ原発事故から28年経ちますが健康被害はますます重大な問題になってきていると思います。福島原発から3年がたちました。僕にはいまだに子供たちの健康に正面から向き合う政府の姿は見えません。

人口の減少と原発2014/05/09 22:55

 人口の減少は日本にとって大変大きな問題となっています。当然ながら各自治体においても同様で、食い止めるための様々な努力がなされているようです。それは、原発を誘致した自治体も例外ではありません。
 原発を誘致する際の理由に「原発の誘致で雇用を増やし、様々な原発関連の資金を活用して道路を立派にし、福祉関連のサービスを充実させて住民の生活向上を図り、そのことによって人口減を食い止める」というのがあります。自治体の首長たちは異口同音に唱えてきたことです。
 しかし、国全体の人口が減少している中、自分のところだけが良い目を見ようというのはあまりにも浅はかだと思います。掲載した図は毎日新聞WEB版2014年5月9日の記事です。これらの自治体は原発があるところです。

「消滅可能性:全896自治体一覧」
http://mainichi.jp/feature/news/20140509mog00m040001000c.html

 日本創成会議・人口減少問題検討分科会の推計による「消滅可能性」896自治体。数字は、2010年から30年間での20〜39歳の女性人口の予想減少率。
 詳しくは上記のサイトをご覧いただくとして、ちなみに、東京都豊島区は50.8%、札幌市南区は63.3%となっています。

記事の一部分です。是非、下記のサイトを開いて全文を。
 「消滅可能性:=原発誘致した17自治体 12が人口維持困難」
http://mainichi.jp/select/news/20140509k0000m040106000c.html

 「原発を誘致した自治体の多くが「消滅可能性」の危機にある、と指摘された。日本創成会議・人口減少問題検討分科会が8日発表した「2040年人口推計結果」。
 原発が立地する17自治体(福島県内を除く)のうち約7割の12自治体は、人口維持が困難になるという。誘致に伴う電源3法交付金や雇用増などを通じ、バラ色の未来を夢見た自治体には今、閉塞(へいそく)感が漂う。」

 「東京電力柏崎刈羽原発を誘致した新潟県柏崎市は、「消滅可能性」の定義にあてはまる。人口再生産の中核となる20〜30代の女性は約8900人から4400人弱に減ると推計された。」

「義男の空」=実在の小児脳神経外科医=2014/05/12 21:42

 私ども夫婦が心から敬愛する高橋義男小児脳神経外科医の半生を描いたドキュメンタリー漫画「義男の空」の八巻目が刊行になりました。
 下記のサイトの記事によると「重傷な水頭症や脳腫瘍、頭蓋骨外傷の子どもを38年に渡って治療してきた。全国から、わらをもつかむ思いの子どもとその家族から手術を依頼され、それに応えている。その数は1万人を越えた。」とあります。
北海道日刊スポーツ新聞社(2013年5月の記事)
http://www.northstyle.jp/features/detail.asp?id=245

<英語と高橋医師>
 僕が高橋医師と知り合ったのは20数年前のことです。当時僕が主宰していた英語学校に上下のジャージーにスニーカー、底が破れかけたスポーツバッグ姿で突如として現れて以来です。
 僕は或る日訊ねたことがあります。「先生、なんで英語会話の勉強をしたいんですか」と。一瞬考えた高橋医師は「オレさ、子供たちが大嫌いな治療を施して、きついリハビリを毎日やらせている。そこで考えたのさ。自分は何か嫌なことをしているのかって。オレはさ、この通りだから嫌いなことは嫌いだからやらないんだ。しかし、と思ってさ。オレにとって一番嫌なことって何だろうと。で、思い至ったのが英語の勉強さ。昔からこんないやな勉強はないと思っているから。まあ、子供たちばかりに嫌な目に合わせるのはどうかと思ってさ。」
 その日、レッスンが終わっての帰り際には、スポーツバッグの底に職員が差し出したガムテープをべたべた貼ってお帰りになりました。

<「にわとりクラブ」のこと>
 或る日、おしゃべりの中で高橋医師が、ご自分が主宰している「にわとりクラブ」のことを話題にしました。僕はてっきり鶏のことと思って聞いていたのですがどうも話の筋が見えませんでした。で、こんなことでした。
 『にわとりクラブ』の名称の意味は、「めんどくさいわ」「いやだわ」の「2つの(に)わ」を、また、「私にはできない」の「にわ」を取り除いて、障がい児だけではなく周りの大人たちも共に生きよう、ということでした。
 下記のHPにはこのように書いています。「(障がい児にとって)何が一番大切だと思いますか?それはスロープでもなく、エレベーターでもなく、『人が理解してくれること』だと私たちは思っています。」
http://homepage3.nifty.com/ikemaze-niwatoriclub/4.htm

 にわとりクラブ設立15周年記念のイベントが6/1(日)にチカホで開催されます。高橋義男先生がトークショーで登場します。
http://www.dybooks.jp/air_dive_blog/2014/05/15.html

「義男の空」はAmazon.comでも扱っています。
http://www.amazon.co.jp/dp/4907436017

大間原発訴訟原告2014/05/13 21:20

 僕は大間原発訴訟の会が第5次の市民原告を全国から募集中であることを知り、早速申し込み書類を送っていただきました。原告団に加わるというのは僕にとっては初体験です。

 国を相手に勝てるのか、無駄ではないかと自問もします。しかし、結果を先取りしてあきらめるよりは行動を起こし、自分に納得をして、必要なら活動を次世代に託し、ゆっくり死にたいと思う自分が勝っているようなので参加することにしました。大げさですが、スポーツ選手がよくいう「敵は相手ではなく自分です」という気持ちに似ています。
 
 この訴訟は函館地裁に提訴していますから、札幌から毎回出向くことはできないかもしれませんが、文字通りの枯れ木も山の賑わいということで参加します。

 先ごろ函館市が大間原発をめぐって国と日本電源開発を相手取って訴訟を起こしました。市長の工藤壽樹氏はあるインタビューに答えて次のように語っています。 

Q:函館市が速やかな結審を促し、しかも勝つために裁判の力点をどこに置いていますか?

「一番の主眼はたったひとつ。函館市の同意をキチンと得てほしい、ということだけです。原発が安全か?危険か?というテーマになると裁判は延々と続くと思うんですね。われわれはあくまで大間の建設の手続き、手順のいいかげんさで争います。しかも求めているのは建設の撤回ではなく、一時凍結です。それなら裁判官は結論を下しやすいだろうと思っています。これは、原発事故を起こしたわれわれの世代が急いで結論を決めるのではなく、次の世代に託しませんか?という提言でもあります。第一審の結審までは3年が一応のメドと弁護士とは話しています」
詳しくは下記をご覧ください。
http://yukan-news.ameba.jp/20140509-25/

 市民訴訟である大間原発訴訟の会が依頼したのは河合弘之弁護士です。また、函館市が依頼したのも同じ河合弘之弁護士です。河合氏は先発の市民訴訟があってこそ工藤市長なり函館市議会が国を相手取って訴訟を起こす決断に至ったと考えると語っています。

 河合氏の活動などは下記にあります。(「通販生活」のサイトです。たくさんの反原発の方々の記事が掲載されています。読みごたえがあります)
http://www.cataloghouse.co.jp/yomimono/genpatsu/kawai/

 今回の原告募集目標は1000人だそうです。原告、あるいは支援者になりたい方は、函館YWCAまでお問合せください。

あて先:大間原発訴訟の会 〒040-0003北海道函館市松陰町1-12(函館YWCA内)
電話/FAX :0138-51-9718
郵便辰替口座(口座名・番号)大間原発訴訟の会 02710-0-96583

映画 「ワレサ」2014/05/16 23:24

 久しぶりに札幌の名画座「キノ」で映画を観ました。「ワレサ 連帯の男」です。
http://walesa-movie.com/

 「1970年から1980年代のポーランドをはじめとする東ヨーロッパの国々は、ソ連邦の傘下、検閲や思想統制など社会的に束縛され、極めて厳しい状況にあった。その体制に対して、人々が自由のために闘い、未来のために議論し、力を合わせて抗したことを、ワイダ監督は映画に記して、後の世代に残そうとした。」と公式ホームページに書かれています。
 
 ポーランド共和国の第三共和制初代大統領のワレサのことですが、元々は造船所の電気技師です。ソ連邦が当時の東欧諸国を絶対的に支配し、言論の自由、結社の自由などがなかった時代です。

 僕の感覚からすればそれほど昔のことではありません。ワレサは1980年に「連帯」と呼ばれた独立自主管理労働組合の創設に参画し、10年という時間をかけて1990年の大統領選挙で当選し、国民が渇望していた自由化や民営化を実現しました。

 僕は、それまでの会社員の仕事を辞めて札幌駅前のそば屋の3階で英語学校を始めたばかりでした。起業をしたと言えども昼間の受講者は数人で、暇な時間がたくさんありました。そんな中、ポーランドのニュースが始終新聞やTV で報道され、僕は食い入るように「連帯」の動向を注視していました。連帯を意味するsolidarityを学んだのもその時でした。僕は35歳で、34年前のことでした。

○チェルノブイリ原子力発電所事故発生=1986年
○誰も夢想すらしなかったベルリンの壁が崩壊=1989年
○まさかと思われたソ連邦崩壊=1991年
○人類の夢、毛利衛がスペースシャトルで宇宙飛行=1992年

 35歳の、帳簿のつけ方さえおぼつかなかった、起業したばかりの僕は、これら一連のことを新聞で読みながら大いに勇気づけられていたことを思い出します。
 
 今日の日本においても様々な問題が起こっています。大きい小さいに関係なく、次世代が誇れる社会を築くには夢を持ち続けることだと、今日改めて思いました。
――――
<お時間があるときにでもお読みください>
●山村に出現した核ごみのピラミッド
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40690
――――
 映画が終わってから映画館の若い女性に「この映画のワレサを知っていますか」と訊いてみました。彼女は「学校の世界史で少しやりました」と。僕はチョットがっかりしました(笑)

渡辺謙さん、ダボス会議でスピーチ2014/05/19 10:51

 東京新聞 2012年1月26日
 【渡辺謙さん、ダボス会議スピーチ全文】
http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2012/davos/
 氏は最後に宮沢賢治『雨ニモマケズ』を英訳で朗読しました。
http://youtu.be/hvFEffacY5g

 長文です。じっくりお読みいただけると嬉しいです。しかし、お忙しい方のために少しだけ要約したのを下記に乗せておきます。

 スイスで25日(2012年1月25日)に開会した世界経済フォーラム年次総会「ダボス会議」で、俳優の渡辺謙さんがスピーチに立ち、各国から寄せられた東日本大震災の被災地支援への深い感謝と立ち上がる決意を語るとともに、原子力から再生エネルギーへの転換を訴えた。
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 初めまして、俳優をしております渡辺謙と申します。
 まず、昨年の大震災の折に、多くのサポート、メッセージをいただいたこと、本当にありがとうございます。皆さんからの力を私たちの勇気に変えて前に進んで行こうと思っています。(中略)
 私は「戦後はもう終わった」と叫ばれていたころ、1959年に農村で、教師の次男坊として産まれました。まだ蒸気機関車が走り、学校の後は山や川で遊ぶ暮らしでした。冬は雪に閉じ込められ、決して豊かな暮らしではなかった気がします。しかし私が俳優と言う仕事を始めたころから、今までの三十年あまり、社会は激変しました。携帯電話、インターネット、本当に子供のころのSF小説のような暮らしが当たり前のようにできるようになりました。物質的な豊かさは飽和状態になって来ました。文明は僕たちの想像をも超えてしまったのです。そして映画は飛び出すようにもなってしまったのです。

 そんな時代に、私たちは大地震を経験したのです。それまで美しく多くの幸を恵んでくれた海は、多くの命を飲み込み、生活のすべてを流し去ってしまいました。電気は途絶え、携帯電話やインターネットもつながらず、人は行き場を失いました。そこに何が残っていたか。何も持たない人間でした。しかし人が人を救い、支え、寄り添う行為がありました。それはどんな世代や職業や地位の違いも必要なかったのです。それは私たちが持っていた「絆」という文化だったのです。

 「絆」、漢字では半分の糸と書きます。半分の糸がどこかの誰かとつながっているという意味です。困っている人がいれば助ける。おなかがすいている人がいれば分け合う。人として当たり前の行為です。そこにはそれまでの歴史や国境すら存在しませんでした。多くの外国から支援者がやって来てくれました。絆は世界ともつながっていたのです。人と人が運命的で強く、でもさりげなくつながって行く「絆」は、すべてが流されてしまった荒野に残された光だったのです。

 いま日本は、少しずつ震災や津波の傷を癒やし、その「絆」を頼りに前進しようともがいています。

 (中略)日本には「足るを知る」という言葉があります。自分に必要な物を知っていると言う意味です。人間が一人生きて行く為の物質はそんなに多くないはずです。こんなに電気に頼らなくても人間は生きて行けるはずです。「原子力」という、人間が最後までコントロールできない物質に頼って生きて行く恐怖を味わった今、再生エネルギーに大きく舵を取らなければ、子供たちに未来を手渡すことはかなわないと感じています。

 私たちはもっとシンプルでつつましい、新しい「幸福」というものを創造する力があると信じています。がれきの荒野を見た私たちだからこそ、今までと違う「新しい日本」を作りたいと切に願っているのです。今あるものを捨て、今までやって来たことを変えるのは大きな痛みと勇気が必要です。しかし、今やらなければ未来は見えて来ません。心から笑いながら、支え合いながら生きて行く日本を、皆さまにお見せできるよう努力しようと思っています。そしてこの「絆」を世界の皆さまともつないで行きたいと思っています。

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<ふろく>
東電のあの人は今どこへ?
国民が知らないうちに海外逃走!勝俣恒久、清水正孝
http://matome.naver.jp/odai/2131287268645378701
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台所は生ごみで一杯で、虫が湧いている家2014/05/20 00:03

 政府は福島の除染作業が進んでいるといっています。しかし、僕は政府の言うことを信用していません。
 汚染された表土や作業員が着た使い捨ての防護服やマスクなどを袋に詰めて保管しているだけで、この世からなくなっているわけではありません。瓦屋根や雨どいを水で洗浄していますがその水がどこへ行くかを考えたら除染とは言えないと思うのです。場合によっては洗浄に使った水はトラックに積んであるタンクに回収されて、フィルターを通してろ過し、再度その水を洗浄のために使うこともあるようです。ここまではシステムが良くできていると思うのですが、そのフィルターは高濃度に汚染されています。その処理はどうするのでしょう。
 つまり、放射能物質を最終的に処理し、安全な状態にする方便はこの世にないのですから、永遠にいたちごっこをすることになります。それは原子炉から出るゴミ、いわゆる高レベル放射性廃棄物の処理方法がないと同じことです。いわば、家庭内のゴミを決められたごみの日に出して、ゴミ焼却炉で焼いて、結果、家の中は清潔になってさっぱりするという風にはいかないのです。
 いつまでたっても放射性物質で汚染されたモノは形を変えて、あっちこちに運ばれて、もしかしたら地中深くに埋められるかもしれません。しかし、それはやがて汚染された地下水となって人、動物、植物に影響を与えるのです。
 こんなことは原子力の専門家でなくても分かることです。昔から言われていますが、言い換えればトイレはなく、台所は生ごみで一杯で、虫が湧いている家に住んでいるようなものです。

 そんなことを考えながら、よくTVニュースで見かける茶や黒色の除染袋の耐用年数のことが気になりました。WEBでは「メディアインターナショナル株式会社」という製造元のHPがありました。実際、何社あるかは分かりませんが、この会社は福島の現場にも袋を提供しているように書かれています。
http://www.mediaint.co.jp/decontamination/#blackbag

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 「(前略)福島県をはじめとする被災地域における除染活動、復旧活動、公共事業で使用される廃棄物用容器は当初の一般型フレコン(ベージュ色)より、強度・耐候性のある黒色高耐候性フレコンバッグへの切換えが増加傾向にあり、今後現場では益々この黒色フレコンが主流になると思われます。
 上記クロス型黒色高耐候性フレコンバッグについても環境省「除染廃棄物関係ガイドライン」基準に適合した耐用年数3年タイプと耐用年数5年タイプを生産し、お客様のご希望に応じて納入コストを抑えた上でご提供させて頂たいております。
 (中略)具体的には耐候性能、耐水性能、防水性能試験及びJISZ1651相当の頂部吊上げ試験、圧縮/積重ね試験、落下衝撃試験を全て合格しております。」
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 僕は新たな疑問を持ちました。除染作業にこの袋が使われ始めて何年経過しているか分かりませんが、もし、耐用年数3年タイプが使われていたら、もうそろそろ交換の時期なのではないかと。WEBではすでに破損が始まっている袋があると書いているのもあります。

 僕には信じられないのでが、これらの一連の作業工程は、高等教育を受けた専門家が考えだし、一説には5兆円もかかるといわれる経費をかけて、第二次、第三次汚染物を作りだし、結果は元の木阿弥なのです。
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