アサヒカメラ1968年1月号-9 ― 2013/01/11 22:55
そこで、掲載した写真にキャプションをつけてみたいと思います。
A
大坂忠氏の写真展が大阪のキヤノンギャラリー梅田で開かれている。60歳を過ぎてからの初の個展である。あいにくの天気のせいか来場者が少なく、氏は残念そうであった。
B
大坂忠氏の写真展が大阪のキヤノンギャラリー梅田で開かれている。60歳を過ぎてからの初の個展である。来場者はじっくりと一点一点の作品と対話をしている風に見受けられた。
この写真は実際に僕の人生の初の個展会場で撮ったものです。その説明の文章はAもBも事実です。来場者数は天気に左右されました。また、多くの方々はじっくりと文章も読んでくださいました。
僕がこの本を読んだのは大学1年生のころでした。具体的で生々しい実例を引用しての説明に感動し、同時にヨーロッパの状況も知ることができ、いつまでも記憶に残る本です。
それにしては自分の本棚にあるのか、ないのかさえ覚えていないずぼらさにあきれていますが・・。
初版本が世に出て、僕が初めて読んだ年から数えるとちょうど50年の節目でもありますから、もう一度読んでみようと思います。
アサヒカメラ1968年1月号-10 ― 2013/01/12 21:54
キャプションに「新春のモスクワは零下30度の厳寒だった。~。革命50周年を迎えて、新しい消費時代を迎えたソビエトの街頭風景である。」とあります。つまり、福島氏は1967年の1月にモスクワに居たことになります。
知る由もありませんが、氏は飛行機でモスクワ入りをしたのでしょうか。そうだったら飛行機代だけでも100万円以上はかかったのではないかと余計なことまで考えてしまいます。
もう一つの方法は、多分、この年あたりから始まったシベリア鉄道でのモスクワ行きです。横浜からハバロフスクへ2泊3日の船旅をし、それから7泊8日のシベリア鉄道の旅です。
僕がヨーロッパへ発ったのは1966年12月でした。その時はまだシベリア鉄道のことを聞いていませんでした。そのことを知ったのは翌年、コペンハーゲンで働いている頃に耳にした記憶があります。
僕は1971年夏に、モスクワに2泊した経験があります。当時の印象は酔っぱらいの多い街、警察の監視が付きまとう厄介な街というのでした。
意地の悪い見方をすれば、この写真は当時のソビエト当局が「ショー・ウインドウ」として用意をした状況のような気がしてなりません。80年頃にモスクワを通過したことがありますが福島氏のキャプションのように「消費時代を迎えたソビエト」という印象はありませんでした。ホテル周辺の食料品店でパンを入手することが難しく、高価なレストランで食事をせざるを得なかったことを思い出します。
数ページの掲載を期待していましたが、残念ながら1枚の写真だけでした。しかし、それはそれとして、この雑誌を通じていきなり、40数年前の1967年時代を再経験しました。
フェルメール 光の王国展 ― 2013/01/13 22:25
青空が広がっていて一日中晴れていそうな気配がしました。
先日来、バスで旭川へ出かけても日帰りで間違いなく札幌へ戻ってこれそうな日に「フェルメール 光の王国展」を見物に行きましょうと妻と話していました。
この旭川行きを思い立ったのは連日天候が荒れて、JRや定期バス、飛行機便の○○本が運休になりましたなどというニュースが続いていた頃です。
札幌の冬場の交通機関は何かと天候に左右され、思い通りにはなりません。いつだったか新千歳空港で5~6時間ものあいだ、機内に閉じ込められた経験があります。遊びで移動するのなら実害が少なくて済みます。しかし、仕事の人にとっては一大事です。ときどきTV で報道される乗客の困惑した表情を見ると気の毒になあ、と思ってしまいます。
ということで、今日は冷え込んでいましたが、早起きは三文の徳ということもあり、日帰りができそうな空模様でしたから即、旭川行きを決断し、実行しました。快速バスで約2時間半のバスツアーです。
その宣伝文句は「リ・クリエイト作品とは=最新のデジタルマスタリング技術によって、描かれた当時の色彩とテクスチャーを推測し、原寸大で再創造したものです。フェルメールの絵の特徴のひとつでもある鮮やかな青と黄色のコントラストも最新の技術で再現されています。」と。
何やら分かったような、分からないような説明です。僕なりに言い換えると「経年の傷みで再現が難しかった部分を、デジタル技術を用いて推測し、17世紀に制作されたときの色彩や絵の具の質感をほぼ再現することができた。」ということのようでした。
簡単に言えば美術館などに現存する作品の「状態」の複製ではなく、新品ホヤホヤの作品であった頃の「状態」の複製作品であるということです。
僕にとっては、デジタルマスタリング技術のことはさておいて、ポートレートを撮るときの光のつかみ方が大いに参考になりました。合わせて、展示の仕方もひと工夫されているように思いました。
http://www.liner.jp/event/4899/
雪は省略の道具 ― 2013/01/14 23:59
日本リアリズム写真集団合同展 ― 2013/01/15 21:32
また、3月に開催される合同展の打ち合わせもやりました。掲載のようにDM用のハガキのデザインもでき、いよいよ展示用の作品のプリント作業のことを考えなければなりません。
僕の出展作品は、これまでに撮ったパリの写真です。「=パリの街角ですれ違った人々=」という題を予定しています。
プリントサイズとか何点にするかなどまだ決めかねています。毎回同じですが、制限時間いっぱいにならないと僕のエンジンは始動しない悪癖があり、自分でも呆れています。
3月には、多少は暖かくなることを期待しています。札幌の方がおられましたら是非、お出かけください。
札幌支部のブログがあります。
http://jrps.exblog.jp/
写真は複製が容易 ― 2013/01/16 22:33
オリジナルプリントの写真の売買はどれほどの市場があるのか、僕にはわかりません。西欧や北米ではその専門のギャラリーが存在し、コレクターがいて美術品として流通しているというのを読んだことがあります。東京においても近年その動きがあるというのは聞いたことがあります。
写真作家が自分のオリジナルプリントを流通させることは、写真家の次の制作のための資金を確保するという意味において大変良いことだと思います。
反面、写真には他の美術の表現方法とは異なる特性を持っています。作家自身によるプリントとほぼ同じ複製を何枚でも作ることができるということです。特に現代はデジタルプリントが可能ですから、暗室での作業よりもはるかにオリジナルと同様の質を再現しやすくなっています。
写真集を出版することもそれに近いことのように思います。しかし、数千部の出版には営業が欠かせません。また、在庫を抱えるという危険性もあります。家内工業的に使える今日のプリンターはオリジナルの再現力に加えて、必要な部数だけを印刷すればいいという特徴があります。課題は製本をいかに簡便に行うかということだと思います。
考えただけでもわくわくします。製本の方法さえ見つかれば個展の会場で希望者が求める写真をプリントし、製本して、その方の編集によるオリジナル写真集を提供することができるのです。いつか試みてみたいなと夢想します。もっとも、選んでもらえる写真を撮ることが先決ですが・・。
カニもジンギスカンも ― 2013/01/17 22:02
多く出回っているタラバガニの多くはロシア産です。一説には道内に出回っている80%以上は輸入品だとも言われています。しかし、そのような説明はほとんどなされていません。理由は日本の漁船が獲るもロシアの漁船が獲るも同じ海であり、ロシアの漁船は魚場から直接北海道の港に運んでくるかららしいのです。違いはそれぞれの領海が違うだけという政治的なことであってタラバガニに違いはないと。
ジンギスカンも似たようなものです。北海道産のラム肉を食べようと思ったら多分、少し努力をして探さないと見つからないような気がします。値段も高いです。ジンギスカンに使われている羊肉の90%以上は輸入品のようです。
何しろ花見シーズンには「花より団子」ではなく「花よりジンギスカン」で、せっかくの桜もあのジンギスカンの匂いで汚染されてしまいます。
写真はすすき野にある専門店のショー・ケース。まあ、食べ方は北海道流なのかもしれません
「雲の上」の食べ物ではありませんが、ショー・ケースに雪が積もって「雲の下」のように見えます。
ノルベサ ― 2013/01/19 23:32
写真は16日の日中に撮りました。まあ、こんな日もたまにはあるのですが気温は上がりません。
NORBESA(ノルベサ)はすすき野の真ん中にある観覧施設です。街に出るたびに見上げていますが客が乗っているのを目撃したことがありません。
http://www.welcome.city.sapporo.jp/sites/norbesa
つらら ― 2013/01/20 21:49
小さいころはどこの家の屋根からも大きなツララがぶら下がっていました。長く丈夫なのを見つけるとそれでチャンバラごっこをして遊んだものです。また、ひと遊びをした後にはそれをぺろぺろと舐めたり、がりがりとアイスキャンディーの真似事をして食べて喜んでいたものです。今考えると当時のツララはたっぷりとストーブの油煙を含んでいたのではないかと思いますが大人に注意された記憶はありません。
また、遠い記憶には、軒下で遊んでいた子供の頭に鋭いツララが落ちてきてけがをしたというのもあります。
写真はすすき野で見つけた大変小さなツララです。
札幌の降雪量 ― 2013/01/21 16:35
1位は1995年で256cmだったそうです。Windows95が発売された年で、それまでの3.1に比較してその使い勝手の良さには驚愕した記憶が今でも鮮明です。しかし、雪が多かったかどうかの記憶は定かでありません。
当時は戸建に住んでいましたから多分、雪かきに悪戦苦闘をしたのだろうとは思います。しかし、日々の仕事に追われていて、且つ、体力は今よりもあったはずですから、あまり苦にならなかったのかもしれません。今の体力で戸建に住んでいたら、と思うとぞっとします。
写真は拙宅のマンションの裏通りです。まだ何軒かの木造家屋があります。
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