アサヒカメラ1968年1月号-62013/01/07 21:31

 僕の文藝春秋での経験は63~64年頃でした。東京オリンピックの公式ポスターを制作したグラフィックデザイナーの亀倉雄策(僕の高校の大先輩)の出現を境にコマーシャル写真が盛んになりだしたころです。しかし、コマーシャル写真専門の方はまだ少数で、職業写真家は写真全般に係っていたと思います。そして稲村隆正は68年のこの雑誌に書くのです。
 「スタジオ用の高出力ストロボライトが従来のスタジオライトにとってかわろうとしている。これはアマチュアにはほとんど縁がないが、その効果は、300ワットや500ワットのフラッドランプとは比較にならない。」
 つまり、稲村も報道写真と同時に写真館の人物撮影を含めてコマーシャル写真も手掛けていたのかもしれません。しかし、徐々にコマーシャル写真はその分野の専門性が確立されつつありましたが68年の時点では稲村はコマーシャル写真とスナップ写真(報道写真)を同義としてとらえていたように思えます。

 職業写真家になる志を持って写真専門の学校へ進みスタジオ撮影や大判カメラの技術を習得した人もいました。反面、福島菊次郎のようにあることを表現したいという志が先行し生業を持ちながら写真を続け、その結果、職業写真家になったという人もいます。木村伊兵衛もその範疇であろうかと思います。木村は台湾で砂糖問屋に勤めていたようです。

 僕自身は写真専門学校へ進みたいとか写真家になりたいといった願望はなかったように思います。単純に「人の写真を撮るのは楽しい、面白い」と考えていました。

 写真はカンボジアの修業僧(2002年)。
 当時はまだ写真を再開する考えはみじんもありませんでした。
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