大雪・除雪費パンク2013/01/22 22:10

 今日の朝日新聞朝刊に、道内各自治体の除雪費がパンクしているという記事がありました。その自治体の住民でなくてもどれくらいの経費が掛かっているのかが気になるところです。
 これだけの予算が雪解けの季節が来ると文字通り水泡のごとく消えてしまうのです。社会資産としては何も残らないのです。いいえ、苦情を呈しているのではないのです。ただ、これだけのお金が福祉に使われたらどれだけ僕の老後が安心か、と僕はいつも思うのです。

下記は参考までに。
◎留萌市:人口23,918人
 今回の大雪で路線バスが14日間も運休。予算は2億7300万円+補正予算5千万円
◎岩見沢市:人口88,662人
 累積降雪量は556センチ。
補正予算と合わせて16億7千万円を計上。
◎旭川市:人口350,878人
苦情や問い合わせが、ドカ雪だった2月3,4日には2千件に達した。
予算は20億3千万円。成り行きによっては補正予算が必要になる。
◎稚内市:人口37,638人
  2月分までの予算をすでに使い切った。作業員は休みなしで、健康面も心配と担当者。予算は5億2千万円+補正予算1億円
◎釧路市:人口182,287人
  3億5千万円の除雪予算をほぼ使い切ってしまった。補正予算を1億5千万円計上した。
◎札幌市:人口1,930,441人
  1月から行う運搬排雪を前倒しして12月から行っている。予算は149億円で50%強をすでに使ってしまった。

 写真は昨晩のすすき野。歩道はケモノ道に、車道は片道2車線が1車線にとすべてが大変窮屈になっています。

喫茶店2013/01/23 21:06

 学生時代には西新宿の喫茶店にずいぶんとお世話になりました。一人で本を読んだり宿題をやったりの時もありましたし、仲間と議論に花咲かせるときもありました。学校の仲間たちの多くは新宿経由で通学をしていましたから途中下車ができる新宿は便利でした。ジャズ喫茶を利用することが多かったように思います。格好をつけてコーヒーを注文していましたが、本当は紅茶の方がよかったのです。

 札幌に住むようになってからは喫茶店を利用する機会は、あまりことはありませんでした。しかし、日本リアリズム写真集団札幌支部(JRP)の会員になった昨年の9月からは月に1~2回の例会があるときに利用するようになりました。
 僕はコーヒー飲みではありませんし、味もわかりません。もっぱらジンジャエールを注文しています。

 それにしてもあまり割に合う商売ではないような気がします。5~600円のコーヒー一杯で1・2時間もテーブルを占拠するのですから。JRPの例会は、うっかりすると2時間半から3時間も居座っています。なにか悪いような気さえします。

 写真は昨年末で閉店した札幌の老舗喫茶店です。何年くらいの歴史があるのかわかりませんが、「声」という店名からして60年代の匂いがします。ちょうど最後の片づけをしているところでした。

自動販売機2013/01/24 21:05

 僕が自動販売機はありがたいな、と思ったのはコペンハーゲン近郊のリュングビューという小さな街に住んでいたときです。
 当時は貧乏の真っ盛りでした(笑)。パリにず~っといたかったのですが何しろ稼ぐ手立てはなく、日本を出発するときに持っていた500ドル(当時は固定為替レートで1ドルが360円)は、暖房も利かないような木賃宿に泊まり、キャンプ用のガスボンベで自炊をし、一日2食にして、キャフェに入るのは日に一回と決めていくら節約をしても日に日に減っていきました。その上に、欲に目がくらんだ僕は闇の両替商にだまされ泣きっ面に蜂の状態でした。21歳、最も寒い2月でした。
 そんな状態から脱すべく北へ職探しのヒッチハイクをし、たどり着いたのが、というよりは途中、アムステルダム、デュッセルドルフと、皿洗いの仕事を探したのですがどこもなく半ば漂流の最後の地としてのコペンハーゲンでした。
 そこで得た仕事は皿洗いではなく、自動車のナンバープレートを製造する工場で、鉄板に焼き付け塗装をしたできたてのナンバープレートを梱包する仕事でした。それがコペンハーゲン郊外のリュングビューという小さな街でした。

 僕の目標は1000USドルを貯めることでした。部屋代を払い、ジャガイモ、ジンジン、ソーセージ一本の自炊の夕食に耐えて、毎晩のように、貯まっていくお金の計算をしていました。パリにいるときの「餓死」の恐怖からは逃れられてひと安心と思える一時でした。しかし、ときどき空腹で眠れない夜がありました。そんなときには大奮発をして近所にあった自動販売機で甘いデニッシュペストリーを買って食べました。深夜でも食べ物を買うことができる機械は本当にありがたいと思いました。そんなことを10ヶ月ほどやりました。

 写真は雪埋もれるすすき野の自動販売機。札幌では菓子パンの自動販売機を見かけたことがありません。

アコーデオン演奏2013/01/25 21:29

 今日の夜の散歩は、あまりの寒さと路面が凍結していて転ぶ危険を感じたのでタヌキ小路のアーケードの中としました。日中にみぞれのような雨のようなのが降って、そのまま気温が下がりました。今冬、最も危ないと思われる道路状況でした。僕は新品の冬靴を履いて出かけましたが大した助けにならないくらいでした。
 そんな日はもっぱらタヌキ小路のアーケードの中を利用しています。無論、拙宅からアーケードにたどり着くまでは重々注意をしなければなりませんが。

 そんなことで、今日はタヌキ小路1丁目で折り返すという散歩になりました。その帰り、行きでは聞こえていなかったアコーデオン演奏が2丁目から聞こえてきました。僕は突然パリにいるような錯覚を覚えました。一瞬、モンマルトルの丘の石畳の歩道を歩いているような気分になり、アコーデオンの醸し出すパリの雰囲気に嬉しさがこみ上げてきました。

 今日は金曜日ですからたくさんの人々の往来がありました。しかし、足を止めて聴き入る人は皆無でした。たった一人の観客に弾いてもらっているような、至極贅沢な演奏会でした。僕は大変得をしたような気分になりました。僕は一人で3曲も楽しんだのです。それにしてもアコーデオンの素晴らしい演奏に足を止める人がいないのには不思議でなりませんでした。
 音楽の感性ゼロの僕にでも、路上コンサートをやるアマチュア演奏家ではないとわかりました。家に帰ってからWEBで調べ、演奏家のことが少しわかりました。青柳正太郎さんという札幌で演奏活動をなさっている方です。
下記のサイトで青柳正太郎さんの演奏が聴けます。
http://download.sound.jp/yagi55/s/01.mp3

(写真撮影はご本人の許可をいただきました。)

アルジェリア2013/01/26 20:19

 このたびのアルジェリアでの事件で犠牲となった方々のご冥福を心よりお祈りします。

 僕がアルジェリアという国名を意識したのは1966年だったと思います。小学校で教わった「暗黒の大陸」が少し身近に思える年でした。

 1月24日の「自動販売機」で少しだけ触れましたが、手持ち資金が乏しくなりパリを出て、職探しをしながらたどり着いたのがコペンハーゲンのユースホステルでした。
 今の時代のことは分かりませんが当時は2月の寒い中、北欧のデンマークを旅行する人は少数でした。やはり、ユースホステルも同じでした。通常であれば3泊もすれば、次の旅行者のためにベッドを空けるのが決まりでしたが、僕は2月近くも居座ったような記憶があります。資金的にそれができたのはアルジェリア出身のホステルの現場責任者ブライアンさんのおかげでした。
 ブライアンさんは文無しになりかけていた僕を週給50クローネで雇ってくれたのです。ベッドと3食付でした。ときには3時のおやつまで出してくれました。つまり、そのアルバイトのおかげで減り続けていた僕の手持ち資金が、少しずつ増えるようになったのです。
 面接のとき、ブライアンさんは自分もアルジェリア出身の外国人であることなど話してくれました。独立を成し遂げたばかりで仕事が不足しているから外国で働くアルジェリア人が多いとも説明をしてくれました。ちぢれ毛で口ひげをたくわえていました。30歳代半ばであったと思います。滞在者は皆若く、ときどき些細なことでいさかいもありましたがブライアンさんは上手に仲裁をしていました。

 そのころの僕はまだ、何ゆえに彼はフランス語を母語のように自由に話すことができるか理解していませんでした。

 僕はブライアンさんを通して、アルジェリアという国の存在を少し具体的に知ったような気がします。
 ちなみに、アルジェリアは1962年7月5日に旧宗主国フランスから独立をしました。

 写真は1月25日の夕方4時半ころの家の近所の風景です。陽が長くなりました。つい最近までは4時というともう暗かったのですが。

映画『みんなで一緒に暮らしたら』2013/01/27 19:58

 今日は1月最後の日曜日で、もう1月が終わろうとしています。つまり、あと数日で2013年の残りは11ケ月になるのです。

 平均余命の統計によると68歳にならんとする僕の残り時間は15.56年です。しかし、死亡する6~7年前には社会活動が困難になるといわれていますから、僕が何らかの、能動的な活動ができる残りの年数は10年を切ったことになります。
 そんなことを思いながらWEBであちこちをのぞいていたら「生活習慣病になると長生きする?」という表現を見つけました。実際の内容は寿命に関する統計とそれの使い方についてなのですが、僕は僕なりに別の意味で即、納得と思いました。
 生活習慣病保有者とは僕のことなのですが、その「長生きする」の意味は始終検診を受けるので余病が見つかりやすく、対処もしやすくということでだと理解しました。反面、たばこを吸う、吸った経験がある、がんを患ったことがあるなどの引き算をしなければならない要因もあります。
 さて、僕に残された活動できる年数はわかりませんが、交通事故に会わなければまあ、10年ぐらいが限度かなと思っています。

 ちなみにある年齢に達した人において、その後の生存年数の平均を『平均余命』といいます。平均寿命とは、0歳の平均余命です。

 この映画はその最後の部分をいかに楽しく生きるかというテーマを楽しく描いた作品です。
 ジェーン・フォンダ(1937年生)が40年ぶりにフランス映画に主演しています。原子炉事故を描いた「チャイナ・シンドローム(1979)」が強く印象に残っている役者です。また、チャーリー・チャプリンの娘であり「ドクトル・ジバゴ(1965)」に出演していたジェラルディン・チャップリンも出ています。皆、平等に年を取るものですね。お勧めです。
http://www.cetera.co.jp/minna/

山崎友也著「僕はこうして鉄道カメラマンになった」2013/01/28 18:47

 先日、札幌中央図書館で写真関連の書棚の中にこの本を見つけて借りてきました。まとまった時間が取れずようやく昨日、今日で読み終えました。

 小学生のころにすでに鉄道カメラマンになることを目標にしていたという方です。プロローグに「ボクは天才鉄道カメラマンの山崎友也。」といきなり書き始めています。

 僕は、氏が2011年8月にキヤノンギャラリー札幌他各地でおこなった「Railway Symphony」をみてすごい写真作家だと思い、都合3回も会場に行きました。妻も友人を誘って3回はみたようです。その後、11月の僕のペンタックスフォーラム新宿の「NY・マンハッタンの主たち」の展にお出かけくださいました。
 「こんちは。どうですか。こういうモノクロのもいいですね。」とおっしゃって2点の作品を額装のまま購入して下ったのです。僕はもう、ただびっくり。一瞬、無料で差し上げたいと思いました。しかし、それは何か失礼なことのような気がして申し出るのを止めました。

 山崎さんはこの本で鉄道大好き人間がいかにして職業写真家になったかを時系列で書いています。
 2002年に仕事仲間との初めての鉄道写真合同展をやりました。その会場である人に言われます。「何これ。ただきれいな写真を並べただけなの?」と。「一瞬ボクはその場に凍りついた。」と氏は書いています。「この件があってから、組写真ともいうべき写真展や写真集に関しては、テーマを明確に持つべきことの重要性を痛いほど思い知らされた。」と。
 それ以来、考えに考えて依頼仕事の合間を縫って「夜の鉄道写真」というテーマに取り組むようになったようです。その果実の一つが2011年に僕がみた「Railway Symphony」だったのです。
http://cweb.canon.jp/gallery/archive/yamazaki-railway/index.html

 どの分野の表現者も、それを職業にするということは、依頼仕事をこなしてライスワークとし、一方では自分のテーマを追求するライフワークを根気よく追求することの困難さをかかえているのかもしれません。

 写真は巨大な雪の塊に群がる自衛隊員。
 大通り公園でさっぽろ雪まつりの雪像が作られています。

映画「故郷の香り」2013/01/29 23:05

 これは中国のフォ・ジェンチイ監督の作品です。僕は昨日「故郷の香り(2003) 」を観ました。他に代表的な作品として「ションヤンの酒家(2002) 」「山の郵便配達(1999)」があります。

 僕は今までの写真展はキヤノンにしてもペンタックスにしてもカメラメーカーのギャラリーの公募に応募するという方法で実現をしてきました。
 A4にプリントをしてブック形式のファイルを作り応募します。まず40点ほどを選んで、作品説明を400字くらいで書きます。初めに苦労するのが選んだ写真をクリアファイルに入れるときに、その順番をどうするかということです。作品説明の意図をわかってもらえる順序を意識するわけです。
 次に、運よく審査を通過した旨の手紙が届いたら、展示の仕方を考えなければなりません。これまた難儀なことです。全部を同じサイズにするか、サイズで変化をつけるか、会場の図面をにらみながらあれやこれや考えます。幸い、その段になるといつも額装屋さんのラボ・フューズのお世話になります。

 僕の場合、テーマの全体が見えるような写真、細部を理解してもらえる写真などと、文章でいうところの起承転結のようなことを頭に入れて組み立てを行います。
 ところが毎回同じなのですが「これでいいのかな」と不安で不安でたまらないのです。つまり自信を持てないのです。文章ほど起承転結が明瞭でないということと、多くの場合、写真の撮り直しはできませんからなおさらです。加えて、僕が写真を勉強したのは1960年代のことですから、自分の知識が陳腐になっているのではないかということもその理由にあります。

 昨日DVDで観た表題の映画はそのような不安を少なからず払しょくしてくれるものでした。「今」と「10年前」の時間を行ったり来たりしながら物語を組み立てています。部分部分には物語の緊張を和らげる水辺の風景や台所の様子、人物描写も画面いっぱいのや遠くからの風景に溶け込んだのだったりと変化に富んでいました。
 どの映画作品もそういうことに気配りをして編集がされているのだろうとは思いますが、僕にとっては、「故郷の香り」がそのことを明確に示してくれました。同じ監督の作品に「山の郵便配達(1999)」があります。これも素晴らしい作品だと思います。僕が観たのは写真と今ほどに関わっていないころだったせいか、写真の見せ方について学習をさせてもらった記憶がありません。今度はもっとじっくり観たいと思います。

活断層?2013/01/30 21:17

 今日はほぼ終わってしまいそうです。で、明日一日を有意義に使いたいと思うのですが・・。反面、それほど大げさなことでないかと思ってみたり。明日は2013年の初月の最後の日です。嗚呼。

 閑話休題。
 日本国原子力規制委員会は、疑わしきは「停止」なり「廃止措置」の結論を早々に出すべきだと思うのですが。多分、そういうのは大人の仕事の仕方ではないのでしょうね。

 揚げ足を取るつもりはありませんが、原子力規制委員会のHPをちょっとだけのぞいてみました。「委員長プロフィール」には委員長の幼児期の写真から「-思い出の場所はどこですか?」「-どんな少年時代でしたか?」「-どんな学生でしたか?」「「-いまでもスポーツマンですか?」などというインタービュー形式の記事もあります。個人のHPではありません。れっきとした税金で賄われている公式のHPです。
 そこをみて、何かばかばかしくなって本筋のページを読むのを止めました。暇な方は下記がサイトです。
http://www.nsr.go.jp/nra/gaiyou/profile01.html

 こんな調子ですと威厳と確信をもって「停止」なり「廃止措置」の結論を出せるのは先延ばしになりそうですね。嗚呼。

 写真はどこかの活断層?この時季、札幌の方々にこのような活断層の図柄があります。何回降って、何回除雪機が入ったかが分かるような分からないような。

2013年の目標?2013/01/31 22:45

 今日で1月が終わりですが、今ごろになってようやく自分の今年の目標が見えてきました。いつもながら漠然とした目標です。しかし、しっかりとカレンダーに印をつけませんと時間はアッという間に過ぎ去ってゆきます。
 根気とか集中力が著しく減退していることが、自分なりに自覚していますから、そのことも時間の配分に織り込まなければなりません。WEBで調べごとをするにも時間がかかるようになりました。楽しいことの調べごとでしたら根気が続くのですが、そうでもないことであればすぐ飽きてしまいます。
 ここ3日間ほど写真の最終処理に使いたいと思っていたデジタルの作業の名称が分からず、WEBで調べては何度も空振りを繰り返していました。今日になってようやく「Drop shadow」という言葉であることが分かりました。3日もかかったことに自分自身であきれています。
 
 というわけで、今年の目標は、3月には合同展とキヤノンギャラリーへの応募、4月には・・と既に決まっている予定をカレンダーに書き込んでみると、今年も音速で時間が過ぎ去ってゆきそうな気がしてきました。

 さっぽろ雪まつりも、もうじきです。大通り公園では雪像が徐々にその姿を現し始めました。像制作のようすは下記のサイトでご覧いただけます。
http://www.snowfes.com/place/construct/index.html
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