アサヒカメラ1968年1月号-52013/01/06 17:45

 福島菊次郎氏は1960年の日本写真評論家賞特別賞を受賞と翌年の写真集の出版を機に上京します。時計屋を廃業し報道写真家としての活動を始めたのが40歳のときでした。

 アサヒカメラ1968年1月号の巻頭に≪回転展望台・25≫「プロ作家とアマチュアの差」と題して時の重鎮報道写真家稲村隆正が文章を書いています。
 「また、カメラ、照明機材、感光材料等の写真用品についても、以前は両者の差はたいしたものではなかった。」と書いています。これは広告写真が盛んになりそれ用のスタジオが完備されだした時代だと思います。しかし、スナップ写真(報道写真)の世界においてはプロもアマチュアも基本的には大差はなかったように思います。多くのプロフェッショナルは新聞社や週刊誌、月刊誌などの写真部に籍を置いた社員でしたから、必要に応じて大判のカメラや何本もの交換レンズ、耐久性の高い高価な機材を使っていました。しかし、35mmフィルムのカメラが徐々に万能になる時代でしたから大判カメラは出番が少なくなっていました。

 僕が学生時代に文藝春秋の写真部の暗室でアルバイトをしていた時にみたカメラマンの機材に特別に驚くことはありませんでした。違いは、月に一度くらいは定期的にメーカーの技術者が来社して機材のチェックや簡単な修理を行っていたことぐらいでした。僕が当時もっともうらやましく思ったのは機材よりもフィルムの持ち出しに制限がなかったことでした。ロッカーにメーカーや種類別に保管されているフィルムを何本持ち出すかはチェックがないおおらかな時代でした。

 写真はアサヒカメラの作品募集広告。「賞金総額100万円」とあります。また、「風俗的なもの、ユーモアを含んだものも結構。」とあります。
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