青森ー12011/10/30 22:44

 久しぶりに青森の実家に来ています。
 津軽海峡を渡るとこんなにも違うのかと思えるほどに風が暖かく感じられます。青森空港は山の上にあるのですが、それでも紅葉の進み具合は札幌の比ではありません。木々の葉はまだまだ緑り緑りしています。


 家にはまだ戦前に撮られた写真のアルバムが何冊も残っています。今日はそのうちの一冊を書棚の奥のほうから取り出して眺めてみました。かろうじて母の女学校時代だなと思われる写真を見つけて、どんな希望や夢をもって勉強をしていたのだろうかと想像をしてみました。


 どの写真を見ても日付がないので今となっては正確に「時」を特定することはできません。着ている物や背景からある程度の年代を見当つけることができる程度です。その意味では日付が記録されるカメラを考えついた人はすごいなと思いました。
 写真の記録性は撮影の日時が特定されるとその威力をもっと発揮するのだと改めて考えさせられました。時間が経つに連れて写真を撮った人も撮られた人も記憶が薄れてあいまいになります。誰かに聞けば見当がつくかなという程度の時の経過であればまだしも、世代が変わっていくとそれもままなりません。


 何ページも見ていくと突然、何かの拍子に混じったであろう新し目の写真に遭遇します。僕はそのたびにタイムスリップをしたような気分になります。
 それはアルバムに限らず、自分が育った家の中をうろうろしているとさまざまな「時」に出会い、時間が止まったような一瞬を何度も経験します。

 
 実家というのはそのようなものなのでしょうね。

コメント

_ nakky ― 2011/10/31 09:16

時代を遡れば遡るほど、「寫眞」というのはめちゃめちゃ貴重なモノだったのでしょうね・・・

_ 平田範子 ― 2011/10/31 14:34


私は実家から出ることがなく古い物にかこまれながら生活
していますが自分の幼い頃の事はやはり写真を見るのが
一番です。
写真の整理をすると思い出の中に浸って時間の経つのを
わすれてしまいます。
父の多くの趣味の中に写真もあった事に今はよかったなあ~という気持ちです。

_ 大坂忠 ― 2011/10/31 17:29

nakkyさん
投稿をありがとうございます。
>「寫眞」
母が14~5歳の時の、「寫眞」です。
つまり、80年くらい前のことです。

今日、実家のプリンターのスキャナー機能を使ってみました。

_ 大坂忠 ― 2011/10/31 17:34

範子様
ご無沙汰していました。
僕の母は大正8年生まれです。
千代さんは何年生まれでしょうね。
僕の父もカメラを含めてハイカラな物が好きでした。
そんなことで結婚してからの写真はたくさんありますね。

_ 坂倉順一 ― 2011/11/29 14:44

小学校の同窓生 伊藤俊幸を検索したら「大坂忠」がヒットしました。古川のパーマ屋の一人息子です。2009年10月東奥日報記事でご活躍を知っていたのですが、今日ここにたどり着き感慨深く…、少し浸っています。

_ 大坂忠 ― 2011/11/29 17:28

坂倉様
イヤ~、思いがけない方から。
有難うございます。
確か、中学1.2年までは正月二日に家族で挨拶に伺っていたと思います。多分、あれ以来ですね。
記憶ではおじさんが仏壇の前にあぐらをかいて酒を飲んでいたような。
今もパーマ屋さんをやっているのでしょうか。

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