「はやぶさ2」の打ち上げ ― 2014/12/01 22:42
WEB上の資料によると「太陽系の起源・進化と生命の原材料物質を解明するため、C型小惑星「1999 JU3」を目指します。C型小惑星に到着するのは2018年半ばで、1年半ほど小惑星に滞在して2019年末頃に小惑星から出発、そして2020年末頃に地球に帰還する予定です」とあります。
つまり、打ち上げられてから6年後に具体的な結果が分かるのです。 僕は76歳になっているはずです。
・札幌市は2026年以降の冬季オリンピック開催に立候補?
先の札幌冬季オリンピックは1972年2月に開催されました。この年の前年、つまり、1971年8月に僕はヨーロッパから帰国しました。そして、東京や仙台で仕事を探しましたがオイルショックの影響でどこにも就職が出来ずにいました。そんな時に札幌にいた叔父が札幌でオリンピックがあるから来ないかと声を掛けてくれました。僕は札幌オリンピックのことは全く知りませんでした。当時札幌には3軒の大きなホテルがあり、幸い、その一つ、札幌ローヤルホテルにウエイターとして採用してもらいました。そんなわけで札幌オリンピックのことははっきり記憶しています。僕は28歳でした。
以来、僕は札幌の住人になり、すでに42年も経ってしまいました。
2026年の2回目の札幌冬季オリンピックが実現するかどうか分かりませんが、僕は81歳になっているはずです。
ジャンプの葛西選手は「できれば選手で出たい」と語っています。実現すれば53歳で迎える五輪出場になります。
・菅原文太 氏が亡くなりました。
僕には特別な思い出とか記憶に残る映画作品はありません。
しかし、満81歳で亡くなったということは大変気になります。
写真は11月。晩秋の大通公園です。
整理し、処分し ― 2014/12/06 22:50
これまでは「将来必要になるかもしれない」という資料や本、道具類を大事に保管してきましたが、もう「将来」という時間はそれほど長くはなく、やれるであろうことも少なくなっています。また、僕が死んだあとの整理は妻に頼まなければなりません。その時が来たときに妻に「どうしよう」と考え込ませたり悩ませたりすることは僕の本意ではありませんから、自分でできるときにやっておかなければならないと意識しています。
しかし、整理整頓は僕の最も苦手とする分野です。小さい時から両親に言われていました。「忠は誰に似てこんなに散らかし上手なんだろう」と。
もう一度、あえて、しかし、と言うなら、僕が料理をした後の台所は全く違うのです。僕が一品か二品を料理して、妻に台所を明け渡すときには元の通りにきれいに片付いています。何故なのか・・僕にも分かりません。
僕の拙宅は67平米という小ぶりなマンションの一部屋で、且つ、僕の仕事部屋は四畳半と限定されています。つまり、整理整頓、不必要なものを処分するというのは重要な命題でもあります。
夕べは4~5年経った、もう使わないだろうと思われるカメラやレンズを元の箱にいれてました。そして今日はいつもお世話になっているカメラ屋さんに出向き引き取ってもらいました。一眼レフカメラやコンパクトカメラ数台です。その結果、以前から狙っていた一眼レフカメラを買うことができました。
いつもながらデジタル製品の進化に驚愕します。小型になり、高性能になりと、体力減少が激しい?高齢者にとってはありがたいことだと思っています。
今日の成果は・・、つまり、カメラと元箱の保管スペースが大幅に縮小されたということです。さて、明日の課題は・・あまり考えたくありません。
写真は11月5日の札幌時計台です。
駐車場で迷子 ― 2014/12/07 23:12
毎回、その駐車場のどこかに車を駐車しますが、入庫のときに、そして、車から離れるときに無意識でいることは大変危険です。帰る際に「さて、どこに入れたかな」と考え込んでしまうことになりますから。
大きなスーパーマーケットの駐車場などでも同じことです。一階だったな、と思い込んでいると二階だったりします。こういう場所は一階も二階も同じ造りのことが多いので、しっかり手掛かりになる番号なりの特徴を意識的に覚えない限りは右往左往することになります。僕は、めったにそのような事態に陥ることはありません。正確には、ありませんでした。40数年の運転歴でも1~2回くらいのことです。つまり、僕は自分の車を駐車した場所を忘れるなどという愚かなことはめったにしないという自負を持っています。スーパーマーケットの駐車場でも同じことです。買い物のときにはいつも助手席に妻が居ますが全くの頓着なしですから迷った時にでも当てには出来ません。おのずと僕がしっかりしなければという意識が働くせいだろうと思います。
しかし、毎回同じ駐車場に入れるという繰り返しのことをやっていると、情けないことに、今日の場所と昨日の場所の記憶が混乱を起こし始めました。プールで1時間なり1時間半過ごして200メートル足らずの距離を駐車場へ歩きます。その間、確信をもって一直線に、自分の車のところへ向かって行けないことがあるのです。
一、二度そんなことを経験して以来、「今日、車を停めたところは・・・」と考えながら僕は水中ウオーキングをしています。もっと無心にやるとか、このブログに何を書こうかななどという高尚なことを考えながらザブッ、バッシャバッシャとやれればいいのですが。
写真はプールのあるサッポロファクトリーの正面。今日は市街も真っ白な世界になっています。
執筆支援ソフト ― 2014/12/09 22:15
「パソコンでソフトを立ち上げると「あらすじ」「登場人物」「場面」の3要素を筆者に質問してくる。例えば「あらすじ」を選択すると、シナリオ理論を基に「物語が始まるきっかけは何か」「どんな試練があるか」といった質問が投げかけられる。回答欄には「突然」「だが」といった接続語が補助的に示され、発想をうながしてくれる。」
「小説『僕は小説が書けない』(KADOKAWA)は、自家製の創作ソフトを使って執筆された。芝浦工大と2012年から共同研究を続け、実用化したものだ。」
http://digital.asahi.com/articles/ASGC95RP3GC9UCVL11G.html
とあります。
文字は電子化され、コンピュータが意味が理解し、その上で小説に必要な要素、つまり、登場人物やトリックを作家に提案をしてくれるようです。
写真の場合はどうなのでしょう。写真の電子化はすでにデジタルカメラでなされています。将来、写真のドキュメンタリー制作支援ソフトなるものができるかもしれません。
写真作家の意図を理解して1000枚の写真から、写真の構図や色の調子、そして内容まで解析されて、「30枚の組み写真」と指示したら展示の順番も含めて提案がされる時代がじきに来るかもしれません。
特定秘密保護法が施行 ― 2014/12/11 05:37
朝日新聞・天声人語
特定秘密保護法が施行 2014年12月11日05時00分
真実でないとすぐにわかるウソなら、可愛げもある。つかれた方は笑ってやり過ごす。ついた方もさほどやましさを感じない。だが、ウソをあくまでつき通すとなると、事態は往々深刻になる▼1972年の沖縄返還をめぐる日米密約にかかわったのに、その存在を否定し、「国会で何度もウソを言っていた」。元外務省アメリカ局長の吉野文六(ぶんろく)さんは2006年、本紙にそう語った。「良心の呵責(かしゃく)を覚えなくてすむ」よう、自分のしたことを忘れようとしていた、とも。後ろめたさのある心中の率直な吐露だ▼72年、密約の存在を示唆する機密電文を手に入れた記者が逮捕され、後に有罪が確定した。一連の経緯から引き出した教訓を、吉野さんの告白当時に検事総長だった松尾邦弘さんが、きのうのオピニオン面で語っている▼いわく「国家権力は、場合によっては、国民はもちろん、司法に対しても積極的に嘘(うそ)を言う。そういうことが端無(はしな)くも歴史上、証明されたのが密約事件です。歴史の中で、あそこまで露骨に事実を虚偽で塗り固めて押し通したものはありません」▼自身も権力の中枢にいただけに、迫力と説得力がある。権力は時に真実を隠し、歴史を歪曲(わいきょく)しようとする。その本性(ほんせい)を改めて銘記しておく必要を感じる。吉野さんが密約を認めても、政府はなお文書は存在しないと言い続けている▼特定秘密保護法がきのう、施行された。松尾さんは、秘密漏洩(ろうえい)にはこれまでにある法律で十分対処できると見る。深くうなずく。
ピュリッツァーホテル 自由が丘 ― 2014/12/12 23:35
来夏のPENTAXギャラリーでの展の挨拶を兼ねての上京です。
今回は年末ということがあってホテル探しに苦労をしました。いつもはJR品川駅とか新宿西口などの周辺で確保するのですが、今回は山手線界隈でTWの部屋を予約するのは絶望的でした。シングルとかダブルの部屋は見つかったのですが。
一時間以上もWEBを徘徊して、ようやく見つけたのがこのホテルです。ちなみに名前に惹かれて選んだわけではありません。
東横線自由が丘駅から3分と書かれていたのが魅力的でした。
自由が丘には馴染みがありません。しかし、TVでは何かと話題になる街ですから興味はありました。
チェックインの際にフロント氏に名前の由来を尋ねました。説明では、オーナーがピュリッツァー賞、中でも写真部門が大好きな方だということでした(笑)
(ピューリッツァー賞(Pulitzer Prize)は、新聞等の印刷報道、 文学、作曲に与えられる米国で最も権威ある賞である。コロンビア大学ジャーナリズム大学院が、同賞の運営を行っている。)
http://matome.naver.jp/odai/2126404245962569601
幸いなことにこのホテルのTWの部屋は30平米もあり、至極快適です。窓も開閉でき冷気を取り込むのに好都合です。風呂場は一坪くらいもあり広々としています。
http://www.pulitzerjiyugaoka.com/
あえて言えば、渋谷でのJRとの接続に少し歩く必要があることぐらいが難点でしょうか。
自由が丘もいい街です。今朝は都心に出る前に駅前周辺を散策しました。対面販売の店がたくさんあります。気の利いた感じのレストランやキャフェが見受けられます。大変落ち着いた品のある街という印象です。
観光地とは言いがたいかもしれませんが、機会がありましたら足を伸ばしてみて下さい。
氷川丸 ― 2014/12/14 16:14
僕は21才のとき、つまり、48年前のちょうど今ころの時期に横浜の国際埠頭からフランスのマルセーユに向けて出航しました。船はフランス船籍で、名前は「カンボジア号」と言いました。その辺のことは下記のサイトに書きました。まだでしたら---お読み下されば嬉しいです。
http://tadashi.asablo.jp/blog/2009/12/01/4732755
これまで何度か公園には行っていますが船内の見学をしたことはありませんでした。幸いにも時間はたっぷりあり、快晴でほぼ無風ということで、乗船日和と思い、妻とタラップを上りました。
本来は乗船手続きをする多くの船客でごった返しているであろうロビーは小さな映画館になっていて、氷川丸の歴史を上映していました。
欧米との大型船建造競争に負けじと建造されたことや第二次世界大戦では病院船として用いられたこと、戦後は元のシアトル航路に投入され、多くの要人達が乗船したことなどが解説されていました。
僕らは一等の船室からはじまり、ダイニングルール、図書室、喫煙室などをみて周りました。喫水線の下にある機関室は、油の匂いが少しして、今にも運行ができそうな雰囲気が漂っていました。
最後に見たのは三等船客でした。二段ベッドが4台あり、洗面台も設置されていました。
僕は自分が乗ったカンボジア号のことを思い出していました。無論、僕のキャビンは三等ではなく、限りなく船底に近い、最も格安な船室でした。当時、ちょうど10万円でした。
氷川丸はシアトルまで二週間かかったそうです。カンボジア号はマルセーユまで、スエズ運河を抜けて30日の船旅でした。
未だに、何か、昨日の事のような気がしています。
パリ在住の西窪さんの展示会 ― 2014/12/15 21:00
今年の4月に札幌で行われた展示会を東京で再現します。
2015年1月13日~22日
日仏会館
〒150-0013
東京都渋谷区恵比寿3-9-25
JR山手線:恵比寿駅東口下車
恵比寿ガーデンプレイス方面へ 徒歩10分
東京メトロ日比谷線:恵比寿駅1番出口
アトレ・JR恵比寿駅東口を経由 徒歩12分
下記には4月に行われた展示会の印象を書かせてもらいました。
http://tadashi.asablo.jp/blog/2014/04/02/7264741
是非、お出かけください。
「霧の旗」 ― 2014/12/23 22:17
https://www.youtube.com/watch?v=c8x8m8MK9qs
見応えがありました。お金があれば実績のある弁護士に依頼できる、しかし、それがなければ・・。今日話題になっている医療も同じだなと思いました。
それにしても倍賞千恵子が演じる「桐子」の執念には凄味がありました。まだでしたらお勧めです。
僕は読んでいませんが、原作は松本清張です。映像化はこの作品以外にもなされています。テレビでもドラマ化されていたようですからご覧になっている方もおられると思います。
(ウィキペディアから)
九州の片田舎で発生した、金貸しの老女の強盗殺人事件。被害者から金を借りていた教師の柳田正夫が、犯人として検挙された。柳田は、殺害現場での借用証書の窃取は認めたものの、殺人に関しては無罪を主張する。しかし、殺人の物的証拠が揃い十分な動機も認められた状況の中で、柳田の主張は受け入れられず、国選弁護人も状況を覆すことはできなかった。
いつの時代でも「お金は物言う」という現実があることを否定できません。医療については保険があります。で、ふと思いました。法的な係争案件について保険はあるのかな、と。それがあれば良いということでもありませんが自前で弁護士を雇う費用は捻出できるかなと。
そんなバカな ― 2014/12/24 23:28
僕は考えれば考えるほど腹が立ってきました。何故、と問うても無論答えはかえってこないのですが、無性に腹が立ち、憤りさえ感じました。
東京への小旅行を終えて帰宅し、拙宅のあるマンションの郵便受けを妻が開けました。妻の第一声は「これ何!」でした。
東京のK君が今年の1月に亡くなり、新年の挨拶を控えます、ということが書かれてありました。差出人はK君の奥さんでした。
今回は夏に予定している新宿での個展の挨拶を兼ねての東京行きでした。K君に限らず何人かの学生時代からの友人に連絡をしようかどうかと迷った末、時間に余裕がないなと思い、夏には皆と会えるからと思いながら帰宅したのでした。
K君に何があったのだろうと想像をしてみました。彼は仕事を辞めて以来、毎日自転車に乗って近隣を走っていると、3年前に会った時に話していました。自由気ままに走ってもGPSの小道具があるから間違いなく家にたどり着くよ、と楽しそうに説明をしてくれたのです。そのことがあって、僕は「交通事故」だと思ったのでした。
その夜は時間が遅いこともあり電話を差し控えました。
翌朝、恐る恐る電話をしました。「何があったのですか」と問う前に「末期の食道がんで亡くなりました」というのでした。
僕はもう一度電話口で言いました。「腹が立ちますね!」と。電話の向こう側からも同じように「私も腹が立って」と。
K君、僕は君ともっと話したかった。
(これは12月15日の出来事です。K君、僕はまだ腹が立っています!)
(写真は今日の自宅近くで。一日中荒れ模様でした)
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