氷川丸2014/12/14 16:14

横浜の山下公園の埠頭に氷川丸が係留されています。
僕は21才のとき、つまり、48年前のちょうど今ころの時期に横浜の国際埠頭からフランスのマルセーユに向けて出航しました。船はフランス船籍で、名前は「カンボジア号」と言いました。その辺のことは下記のサイトに書きました。まだでしたら---お読み下されば嬉しいです。

http://tadashi.asablo.jp/blog/2009/12/01/4732755

これまで何度か公園には行っていますが船内の見学をしたことはありませんでした。幸いにも時間はたっぷりあり、快晴でほぼ無風ということで、乗船日和と思い、妻とタラップを上りました。

本来は乗船手続きをする多くの船客でごった返しているであろうロビーは小さな映画館になっていて、氷川丸の歴史を上映していました。
欧米との大型船建造競争に負けじと建造されたことや第二次世界大戦では病院船として用いられたこと、戦後は元のシアトル航路に投入され、多くの要人達が乗船したことなどが解説されていました。

僕らは一等の船室からはじまり、ダイニングルール、図書室、喫煙室などをみて周りました。喫水線の下にある機関室は、油の匂いが少しして、今にも運行ができそうな雰囲気が漂っていました。
最後に見たのは三等船客でした。二段ベッドが4台あり、洗面台も設置されていました。
僕は自分が乗ったカンボジア号のことを思い出していました。無論、僕のキャビンは三等ではなく、限りなく船底に近い、最も格安な船室でした。当時、ちょうど10万円でした。

氷川丸はシアトルまで二週間かかったそうです。カンボジア号はマルセーユまで、スエズ運河を抜けて30日の船旅でした。
未だに、何か、昨日の事のような気がしています。
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