裁判の傍聴-5(最終)2014/04/14 20:59

(少し長めの文章です。ご勘弁ください)
 検察官の論告求刑は、繰り返し同じ犯行を重ねているとして実刑4か月でした。弁護人は、被告は罪を認め反省もしているので情状酌量の上での罰金刑を主張しました。

 裁判長は椅子に座りなおすかのような仕草をし、一呼吸おきました。僕は判決を言い渡す日程が決まるのかなと思いました。
しかし、裁判長はいきなり「それでは判決を言い渡します。被告人は被告人席へ」と言いました。僕はまさかと思いました。被告人の人生を左右する決め事にもう少し時間をさてもいいのではないかと多少の義憤さえ覚えました。

 「主文。被告人XXXXに懲役4か月執行猶予3年を言い渡します。少し、説明をします。執行猶予3年という意味はこれからの3年間に再度逮捕されるようなことが起これば直ちに執行猶予は取り消され、あなたは刑務所に収監されるということです。その場合には今回の刑期に新たな犯罪の刑期が加えられて刑務所に入るという意味です。従って、重々、日々の生活を慎重に生きてください」

 僕は其の被告人が裁判長の方に向かって立っているので顔を見ることはできませんでしたが傍聴席から背中を注視していました。いわゆる中肉中背で、白髪が目立つその60歳の男の背中は不動のまま、ただ「ありがとうございます」とだけ言って頭を下げました。

 法廷を出て妻とエレベーターホールに向かいました。そこには先ほどの女性検察官、上司らしき中年の男性検察官、弁護士が文字通り談笑をしていました。
 その時ふと思いました。このような事案はまれなことではなく、罪状認否にさえ問題が無ければ多くの時間を割くことはなく、裁判官、検察官、弁護人のアウンの呼吸で出来るだけ速やかに、判例に従って一日で判決を言い渡すのが税金の有効な使い方なのかなと。

 被告人の男は法廷を去るときにはもう腰縄をされることはなく、刑務官も心なしか入廷した時の緊張感はなく、別室に消えました。
 開廷宣言から閉廷宣言までちょうど40分の出来事でしたが、当事者でもない妻も僕も多少の疲労感を覚えていました。

 僕らはエレベーターで地下にある食堂に向かいました。12時までには少し早かったせいか客は2~3人しかいませんでした。妻は山菜そばを僕は醤油ラーメンを注文しました。

 外に出ると幸いにも小雨が上がっていました。しかし、寒さは変わりなく僕はしっかり帽子をかぶりました。
 あの男は、と僕は妻に言いました。誰か迎いに来ている人がいるのだろうかと。
(5回の「裁判の傍聴」をこれで終わります。)

 写真は「週刊現代」2014年4月12・19日合併号に掲載された袴田事件に関わった警察、検察、裁判官たちのリストです。袴田さんの裁判を今回傍聴した裁判と比較するつもりは毛頭ありません。しかし、共通しているのは両方とも日本の裁判制度の中で行われたことです。

 人は誰でも間違いを犯す可能性を持っています。そして、間違いを犯したら謝罪をします。その方法の一つとして刑務所に収監されることです。では、警察、検察、裁判官たちが間違った場合にはどうなるのでしょうか。最も取り返しができない誤りは、無罪である可能性があるにもかかわらず死刑判決を言い渡し、それを執行することです。はたして国家賠償という制度だけで十分なのでしょうか。
 
 「疑わしきは罰せず」という裁判の鉄則を決して忘れてはならないと思います。そして、僕は、たくさんの国民が裁判の傍聴をすることは警察、検察、裁判官の「暴走」への抑止力になるのではないかと思うのです。
 退職し時間に余裕のある人は裁判の傍聴をし、格安の昼食を庁舎内食堂で食べ、もっと開かれた裁判制度になることに貢献しましょう。
 最後にお近くの裁判所の情報のサイトを記してます。
http://www.courts.go.jp/kengaku/saibansyo_joho/index.html
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