展の最終日 ― 2013/08/01 22:03
主催者三名、妻の手伝いを得て三時頃から梱包作業を始めて小一時間で終了させました。
僕と妻は福島の被災地を見学する機会があり、展の会場は主催者の方々にお願いをしました。
相馬市、南相馬市などを見てきました。数カ所では車を降りて倒壊した家屋や陸地に流された船舶などをまぢかに見ました。中でも居たたまれない気分になったのは、普通の街並みに見える住宅街でひと一人見かけることがない、しかし、交差点の信号は普通に作動して、街灯は通りを照らしている不気味なたたずまいです。この先5年10年と経ったらどうなるのかを想像すると、ゾッとしました。
写真は請戸小学校の床が陥没した講堂です。卒業式を待つばかりであったようです。幸いにも、この小学校では全員が避難できたということでした。
早朝 ― 2013/08/05 07:05
線量計 ― 2013/08/05 20:47
「ふくしま9条の会」の方々です。急なお願いにもかかわらず車の手配も含めてお引き受けいただき感謝に耐えません。
お話によると「9条の会」の関係者に限らず被災地を自分の目で観たいという方には協力をするということでした。下記のサイトを参考になさってください。
“東日本大震災・原発事故被害 現地視察”のご案内
http://www.geocities.jp/kenpou9jou_fukushima/
TVや新聞などで繰り返し被災地の写真を見ていますが、実際に現場に立ってみるとその印象は全く違うことを思い知らされました。
我々の車は福島市内を出発して、飯館村を抜け南相馬町へ入りました。同乗して説明をしてくださったYさんは南相馬町の方でした。現在は福島市内の借り上げ住宅に避難しています。
Yさんは福島市内を出るころ、おもむろに懐から写真のデジタル機器を出して「ああ、問題ないね」と僕らに示してくれました。最初は何を測っているのか分かりませんでしたが説明を聞いて、なるほどこれが線量計というものかと実物に触れさせてもらいました。南相馬町では住民の方々に線量計を無料配布しているということでした。
南相馬町に近づくにつれて線量計が示す数値は上がり始めました。Yさんは数値についていろいろと説明をしてくれたのですが僕にはさっぱりわかりませんでした。少なくてもその時は問題が無いということは確認をしましたが。
Yさんは、南相馬町の者はみんな放射線被ばくについて専門家はだしの知識があるよ、と言いながら自嘲気味に高笑いをしていました。
汚物の始末 ― 2013/08/06 21:36
黒い大きな樹脂の袋に入れられて積み上げられているのが方々に見られました。言い換えるなら、家庭で出る生ごみを適当に処置せず、生活している家の中に保管しているようなものです。
放射能で汚染された物質には匂いがありません。匂いもせず、目にも見えずの放射能で汚染されたのが、現段階の計画では中間貯蔵施設に搬入され、30年間保存されるということです。最終処分が何年先になるかも、どのような方法で対処するのかも見当がついていないのです。誰がそのような生ごみに囲まれて生活をしたいと思うのでしょうか。
TVでときどき「ゴミ屋敷」のことが報道されます。ゴミ屋敷のゴミは放射能で汚染されているわけではありませんが地域住民にとって大きな問題です。その何百倍も何千倍もの規模のゴミ屋敷を被ばくした地域住民は抱え込んでしまったのです。
我々は原発そのものがゴミ屋敷であることを認識し、その問題は特定の地域のことではなく日本全体、あるいは世界全体のことであることを知るべきだと、被災地を見てつくづく思いました。
被ばく/ 被爆 / 被曝 ― 2013/08/07 23:25
「被爆」は核兵器による爆撃を受け、その結果、放射能にさらされることを意味します。一方、「被曝」は核兵器ではなく核実験や原子力発電所などの事故で放射能にさらされることを意味します。
共通していることは、原因が核兵器であっても原発であっても生命に害を与える種類の放射能という、匂いもなく目にも見えないものにさらされるということです。
言い換えるなら、第2次世界大戦で広島と長崎を爆撃したのが原子爆弾で、その生存者は被爆者です。68年も経った今もその放射能の後遺症に苦しみ、おびえて暮らしています。そして、今回の一連の東京電力の原子力発電所の事故によって大気を汚染し健康被害が心配されている原因も同じく放射能です。
無論、放射線にはたくさんの種類や強弱があり健康に害を及ばさないのもあります。しかし、ここで問題なのは、人間はもとより動植物の命に害を与える種類です。
東電の事故が起きるまでは、「被爆者」と言えば原子爆弾の被害者を指していたと思いますが、これからは原発事故による「被曝者」も加わります。
僕が暗たんたる思を持つのは、これまでの日本政府や日本の政治家の広島と長崎における被害者への対応を考えると、原発の「被爆者」なり「被爆地」のさまざまな問題の解決には68年以上はかかりそうだということです。
写真はいまだに農地に放置されている船舶や家屋です。もし、放射能の問題が無かったら、すでに住民は地元に戻り、残骸を片付け、前に進んでいたと思うのです。残念無念です。
東電が汚している海 ― 2013/08/08 22:08
「東京電力福島第一原発の建屋近くの地下水から高濃度の放射性物質が検出されている問題で、政府の原子力災害対策本部は7日、1日あたり推定300トンの地下水が放射性物質で汚染され、海に流出しているとの試算を明らかにした。東電による汚染水対策は破綻(はたん)しており、政府は国費を投入して対策に乗り出す方針を固めた。」
僕なりに翻訳をすると次のようになります。
「東電は極めて有害な、放射性物質に汚染された地下水が海に流れ出ていた事実を、知らないふりをして国民をダマしていた。今になって隠しきれなくなり、あたかも新しい情報のように発表をした。
汚れた地下水が海に流れ出るのをくい止めるには、たくさんのお金が必要だが東電にはそのお金が無い。そこで私たちが選挙で選んだ、国民よりも電力会社の都合を大事にするように見える人達が、うど(東電)の大木は総身に知恵が回りかねていると考え、自分のお金ではなく私たちのお金を使って海が汚れるのを防ぐことにした。」
東電の原発から出る放射性物質に汚染された海水は、いつかは多くの国々の海岸にたどり着きます。そして、それらの国々は膨大な賠償金を日本国民に請求するだろうと考えるのは僕だけでしょうか。
廃棄物処理法とか海洋汚染防止法などに基づいて訴訟を起こす弁護士さんたちはいないのでしょうか。
写真は2011年3月11日以来、ずっと、これからもずっと「本日休診」を続けるだろう南相馬市のある医院。
冬支度 ― 2013/08/09 20:33
戸建では、雪国ですから雪はねをしないと一日の生活が始まりません。あるいは、家を空けるときの水道や便器の凍結防止には神経を使います。そして、夏の盛りが過ぎた頃には冬支度のことが頭をよぎり始めます。とりわけ気になるのは暖房器具のことです。新聞の折り込み広告には新型の器具が出はじめます。
拙宅はマンション全体の集中暖房のおかげで「他人まかせの暖房」です。しかし、ストーブの広告をみると、実際のわずらわしさを忘れて、赤い炎が見えるストーブの暖かさを感じてしまいます。
昨日、いつも写真の額装でお世話になっている旭川のラボ・フューズのブログを覗いたらいきなりストーブの写真が目に入りました。この暑さ真っ盛りの時季に、と思いながらも何だか嬉しくなりました。
無断で掲載をさせて頂きます。
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はるなつあきふゆ 額縁日和
http://www.labofyus.com/blog.html
[出番待ちの薪ストーブ]
以前使用していた普通のよくあるタイプの薪ストーブが老朽化していたため、新型のやや高級薪ストーブが仲間入りしました。
薄い鉄板製だった以前のストーブに比べ、厚みのある重い鋳物のストーブです。早く着火の試運転をしたいと思うのですが、この季節では死活問題に発展しそうなため、しばらくは辛抱します。上手に着火出来るか、わくわくです。
(中略)
今日は、少し曇天の空模様。
一昨日のびっくりするような豪雨や、昨日の様なまとわりつく暑い空気はひと息なのか。予想では、32度らしいので油断は禁物ですね。
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*ラボ・フューズは工房の敷地に新規に店舗を設け、昨日オープンしました。おめでとうございます。
廃墟の街 ― 2013/08/11 13:15
南相馬市のHPには下記の資料があります。
http://www.city.minamisoma.lg.jp/index.cfm/10,853,58,1,html
<小高区>
平成23年3月11日現在「人口12,842人」
平成25年8月8日現在「居住者数 記載なし」
備考
一部帰還困難区域
一部居住制限区域
一部避難指示解除準備区域
この日は小雨模様でした。物音一つしないほど静かでした。震災前には1万2千人の人口があった街です。僕は10分くらいの間この通りを行ったり来たりしたと思います。しかし、人の気配は全くありませんでした。犬とか猫も見かけませんでした。
交通信号は普段と同じに赤や青に切り替わっていました。天気のせいか自動点灯の街灯もうっすらと点いていました。
きれいに清掃されたように見えた通りには、いかにも新しい家だと分かるのも散見されました。しかし、一軒一軒を注意深く見ると、少しづつ痛みはじめていることが分かりました。商店の中を窓越しに見ると商品が盗まれた形跡が方々に見えました。
僕はこの通りに立って思いました。これは廃墟だと。
ここの人々はあの日まで普通に暮らしを営んでいたのです。放射性物質の汚染が無かったら、人々は津波の被害から立ち上がって、すでに日常を取り戻していたはずです。
自分たちが営々と築いた街が目に見えない物質のために放置せられ、少しづつ朽ちていくのを見ることの無念さは、生首を絞められるようなものではないかとも思いました。
そして主は戻れない ― 2013/08/12 21:14
この炬燵のある居間の写真は自然災害の津波や地震による被害とは全く異質な状況を示していると思います。
家人が近所まで買いものに出かけて、寒い、寒いと言いながら戻ってきて、炬燵に入り、家族とみかんでも食べていた矢先に、目に見えない、匂いもしない放射性物質とやらが突如として空中を浮遊し始めたのです。そして、それは命を脅かし、自分の家から、街から人々を追い出したのです。
地震が起きたのは2011年3月11日14時46分。翌日、15時36分、東京電力福島第一原子力発電所第一号機の建屋で水素のガス爆発が発生。以来、南相馬市小高区は人間にも動物にも生活の場として危険な土地になってしまったのです。写真撮影日は2013年8月1日昼12時。今日は2013年8月12日。
放置された自転車 ― 2013/08/13 19:37
福島第1原発から約20kmの場所にあり、駅が再開される見込みは今のところないようです。
2011年3月11日の朝に鉄道の利用者が自転車を置き、それぞれ学校や職場に向かったのです。しかし、それらの人々が再び駅に降り立ち、自転車に乗って帰宅することはありませんでした。
以来、主を失った自転車たちは汚染された空気や雨水にさらされて、雑草に囲まれながら、人気のない駅の駐輪場に今日も立っています。それは異常な光景以外の何ものでもありません。
一度は、持ち主の「この色がいい、このデザインがいい、あっちのよりこっちのがスピードが出そうだよ」などというおしゃべりの中心にいた自転車たちですが、もう誰も振り向く人はいません。
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