教会でしばしの休憩2013/05/19 22:52

 今回旅行したパリにしてもアヌシーにしても、あるいは過去に旅をしたロンドンやニューヨークでも街中を長いこと歩き廻っていて教会を見つけるとほっとします。
 多分、他の都市でも同じだろうとは思うのですが、カソリックでもプロテスタントでもドアは常に解放されていて旅行者であっても祈りを捧げることができます。僕たちは数時間も歩いた後に教会を見つけると必ずと言っていいくらい立ち寄ります。

 石造りの重厚な建物はそれ自体がある種の安堵感を与えてくれます。重いドアを押して中に入るとまずその匂いに何世代も受け継がれてきた教会の歴史を感じることができます。合わせて、静寂さが、たった今まで歩き廻っていた街中とは異なり、知らない街を旅しているという緊張感をしばし忘れさせて気持ちも穏やかになるような気がします。

 石でできた通路の床の中央は100年、200年の間の人々の歴史を記憶するかのようにすり減っています。コツンコツンとその石の床を蹴る音や絹ずれの音を聞いていると今に存在する自分のちっぽけさを否応なしに感じます。

 曜日や時間帯によっては礼拝が行われていたり、パイプオルガンの練習か演奏を聴くこともできます。
 僕たちは旅の安全や家族、友人知人の健康を祈ります。そして、快適とは言えない固い木製のベンチでしばし休んで、また、大好きな俗世界に戻ります。
 
 写真はリヨン駅近くで立ち寄った教会。

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