プラットホームが人生劇場2013/05/23 23:48

 今まで何度かパリを訪れています。そのたびに僕たちは(というのは妻の方から見ると僕の身勝手な話なのですが)僕の都合で方々へ移動します。つまり僕が写真を撮りたいと思うところへしか行きません。勢い、いわゆる観光目的の所へ出向くという機会は少なくなってしまいます。

 今回の旅行の主な目的は(つまり僕の目的なのですが)パリの地下鉄駅の乗降客を撮るということでした。日によっては朝から夕方まで、僕の集中力が続く限り、地下鉄に乗り、一駅ごとに降りては乗降客の様子を観察し、数枚の写真を撮り、また一駅乗り、降りてということを繰り返しました。

 僕には、パリの地下鉄駅のプラットホームが人生劇場の舞台のように思えるのです。駅のデザインはそれぞれ全く異なり独自色をもっています。登場する人物は白人だけではなくあらゆる色の肌の人々です。おのずと衣装もそれぞれの民族色が反映されていて画一的ではありません。

 プラットホームにBGMは流れていません。時折聞こえてくるのはプラットホームに通じる連絡通路で演奏される極めて上質なクラシック音楽やジャズです。ときどき投げ銭をする人もいます。

 大勢の人々が舞台の上手から下手から登場しては車中へ、出口へと消えて行きます。それは無声映画の一場面のようにも見えます。そこには孤独さを感じさせる静寂さえ流れています。
 僕は、パリという大都市の地下鉄駅の、偶然に居合わせた人々が織りなす人生のドラマを観劇し、写真に収めています。

 妻は、そんな僕のばかばかしいようなことのために一緒に行動をしてくれます。そして、妻もまた登場人物の一人になりきってくれるのです。
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