コーヒーを飲む2013/05/01 23:31

 注文をしていたエスプレッソ用のコーヒーポットが今日届きました。

 僕が学生時代に出入りをしていた喫茶店はどこも今のようにコーヒーの種類はなくコーヒーはコーヒーで、一種類だけであったように思います。当時住んでいた東府中に「ノア」というカウンターだけの喫茶店がありました。今は全く様子が違っているようですが当時は京王線の東府中駅から甲州街道を渡ると米軍の基地へ通じる並木通りがあり、その並木の始まりにこの店がありました。せいぜい7~8人がカウンターに座ると一杯になる小さな店でした。ここで固ゆでのゆで卵を食べてコーヒーを飲むのが格好いいといきがっていたのが、大学生になりたての僕でした。母親と娘が交代で働いていました。娘は美保さんという名前であったと記憶しています。

 僕は、大学生はたばこを吸ってコーヒーを飲むものだと思っていたふしがあります。しかし、そうは頭で思っても僕の腹具合は必ずしもそうではありませんでした。調子がいい時には問題がないのですが腹がぐるぐる言い出し調子が悪くなることが多々ありました。
ノアのトイレは店の外にあったので不便でした。

 それはコーヒーに限らず冷たい牛乳も同じでした。何かのきっかけで父とそのことを話した時に父は笑い出し「そうか、忠もか。変なことが似るもんだな」と。それ以来、いくつか父の「負の財産」を受け継いでいることを意識し始めました。
 
 閑話休題
 しかし、近頃はコーヒーも冷たい牛乳も何の問題も引き起こしません。今回のパリ旅行でもキャフェではもっぱらエスプレッソを美味しく飲みました。もっとも、普通の砂糖ではカロリーの摂取の方に問題があるのでもっぱらゼロカロリーの砂糖をポッケトに入れて持ち歩いています。
 旅行へ行く前はエスプレッソを飲むことはありませんでした。しかし、パリのキャフェでコーヒーというとエスプレッソが出てきますからどっぷりエスプレッソに浸かってきたということになります。
 帰国してしばらくたってから、無性にエスプレッソを飲みたくなりました。そこで、写真のポットを注文したのです。

 今日は説明書に従って自宅でのエスプレッソと相成りました。パリへ出発したのは丁度ひと月前になります。なにやらパリの北駅前のキャフェの雰囲気を思い出しました。

 加齢とともに腸の働きが鈍くなりましたから、これからは大いにエスプレッソを楽しもうと思っています。

コンコルド駅 Concorde2013/05/02 23:49

 写真はパリの地下鉄12号線にあるコンコルド駅Concordeのプラットホームです。壁面は無数のアルファベットのタイルで埋め尽くされています。

 パリの地下鉄駅はどこも大変楽しいデザインが施されています。そして画一的にどの駅も同じということとは正反対です。電車に乗っていてプラットホームに滑り込むたびに今度はどんな駅なのだろうかとわくわくします。

 コンコルド駅はコンコルド広場の最寄り駅です。この広場はフランス革命の最中には刑場として使われ、ルイ16世やマリー・アントワネットが処刑されました。

 フランス語が全く分からない僕にはこれらのアルファベットが何を意味するのか皆目見当もつきません。しかし、WEBで調べてみるとフランス人権宣言(Déclaration des Droits de l'Homme et du Citoyen)だそうです。原文はここにあります。
http://fr.wikisource.org/wiki/D%C3%A9claration_des_Droits_de_l%27Homme_et_du_Citoyen

 この宣言では「自由・平等・博愛の精神」が明白にされ、「国民主権・基本的人権の尊重・所有権の確立」などが盛り込まれたとされています。

夏タイヤに2013/05/04 00:41

 先日、ようやく夏用のタイヤに変えました。体力のある頃は自分で交換をしていましたが近頃はもっぱらガソリンスタンドへ持ち込んでいます。軽自動車の4本分で2千円と消費税でした。
 タイヤ交換は、僕の場合、うっかりすると腰痛の原因にもなり得ます。で、2千円は高くないなと勝手に判断をしています。

 せっかくタイヤも変えたことだしと思いながら久しぶりに運転をしました。旅行中の2週間と帰ってきてからもしばらくは必要がなく運転をしていませんでしたから、少しの緊張感を覚えました。

 旅行前の道路は積雪があり、道路の幅は半分でした。帰ってきましたらあれだけの雪はどこへ行ったのだろうと言わせるぐらいにきれいさっぱりと消えていました。思わず、これで札幌市の200億円超のお金(除雪費)が痕跡なく消えたのかとつぶやいてしまいました。

 雪がなくなり広々とした道路を運転しながら、改めて、冬の間はなんて窮屈な道路を走っていたのかと思い清々しました。反面、半年は幅半分の道路でそこそこに機能していた都市機能ですが、これが通年だったらどうなんだろうとも思ってみました。

 写真はまだ雪が少し残っていた頃の拙宅の窓からの風景。「ヴィンテージ」というモードで撮ってみました。カメラはiPhoneです。いろんな機能があってびっくりです。

子どもの貧困対策2013/05/04 21:32

 今日の朝日新聞に下記の記事が載っていました。
「貧困を背負って生きる子どもたち 仁の物語」

 Youtubeで5分ほどの前編と後編を見ることができます。お時間があるときにでも是非ご覧になってください。
http://www.youtube.com/watch?v=IWlmZN7t9JQ

 Youtubeのサイトから。
「このヴィジュアルノベル(visual novel)は、NPO法人山科醍醐こどものひろばが2010年夏から取り組んでいる『子どもの貧困対策事業』で出会った子どもたちの様子やエピソードをモデルにした作品です。
子どもの貧困を背負って生きていくことを理解する一つのツールとして視聴し、また活用していただければ幸いです。」

ハーブ&ドロシー ふたりからの贈りもの2013/05/06 00:25

 先日、自主製作のドキュメンタリー映画『ハーブ&ドロシー ふたりからの贈りもの』を観ました。
 この物語の主人公は、元郵便局員のハーブさんとその妻で元司書のドロシーさんです。長年自分たちが身の丈の価格の作品を収集し、老年になり4000点以上の作品を全米の美術館に寄贈しました。その記録です。

 現在、全国各地で上映がされていますからすでにご覧になった方も大勢いらっしゃるのではないかと思います。僕は前作の「ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人」を観て2人の人生に深い感動を覚えました。お二人の生き方はまさしく信念を持ったお金と時間の使い方であると思いました。

 また、僕にとってはクラウドファンディングという方法によって資金が調達されたことも興味を引きました。ウィキぺディアによると「不特定多数の人が通常インターネット経由で他の人々や組織に財源の提供や協力などを行うことを指す、群衆(crowd)と資金調達(funding)を組み合わせた造語である。ソーシャルファンディングとも呼ばれる。」とあります。つまり、ある事業を主にインターネットで広報をし、賛同者を募り、資金を集めるという方法です。映画だけに限らず営利事業にも用いられているようです。
 今回の作品について佐々木芽生監督は「915人の出資者から1,463万3,703円の援助を受け、日本における配給が実現した」と報告をなさっています。ちなみに佐々木芽氏はアメリカ在住なのですべてがアメリカから発信されました。
 
 「ハーブ&ドロシー」のハーブさんは残念ながら2作目制作の途中になくなりました。ドロシー・ヴォーゲルさんは今回の日本での公開を記念して来日されました。一般のTVでも報道がされていましたからご覧になっているかもしれません。終始にこやかな笑顔を絶やさない方です。

 お二人が人生をかけて収集したのは美術作品です。コンテンポラリーアート(現代芸術、現代美術)という分野ですが僕は詳しくは理解できていません。しかし、夫妻が作品を見つめ、語るときのまなざし、一人ひとりの作家に接する姿勢にコンテンポラリーアートを愛でる確信のある情熱を見ることができました。

 WEB上にはたくさんのサイトがあります。お時間があるときにでも参考になさってください。また、全国的に無料・有料の上演がなされています。是非、WEBで最寄りの会場をお探しになってご覧になってください。お勧めです。
公式サイト
http://www.herbanddorothy.com/jp/
フェイスブック
http://www.facebook.com/Herb.and.Dorothy.jp

うっそ! これ、鉛筆で描いたの?2013/05/06 22:13

 偶然に見つけたサイトが下記です。
http://www.roomie.jp/2013/04/70721/

 パリのモンマルトルの丘にはポートレイトを描く専門の絵描きさんたちたくさんいます。中には大変細密な画風の方もいます。しかし、これはそれとも違った作品のような気がします。

 あいにく実物を拝見したことがありません。モニターで観ている分では限りなくモノクロ写真に近く「これは写真です」と言われたら信じてしまいそうな気がします。 しかし、実物はモニターで見るよりははるかに「絵画」なのではないかとも思います。

 想像するに、描く際には写真を手元において写生をし、仕上がりは写真よりも画面すべてに焦点と露出が合い、完璧なライティングで、もしかすると写真よりも「写真」的なのかもと思ってしまいます。モノクロのポートレイト写真はかくあるべきだという理想を提言しているのかもしれません。

とうもろこし売り2013/05/07 23:08

 連休の悪天候は結局、最後までぐずぐずと続きました。暖かくなり暖房はそろそろお仕舞にしようかと、春の兆しを感じるのは連休明けというのが例年です。ですから連休中に何か春らしいことをしようと思う人は札幌では少ないのではないかと思います。ましてや今回のように道北の季節破りの降雪のニュースをTVでみるとますます気持ちが萎えてしまいます。

 昨日で連休が終わり、全国津々浦々の多くの人々は今日から仕事に戻り、日常に戻っているのではないかと思います。
 僕はというと・・いつもと変わらず、連休があったのかなかったのか、それをほぼ意識することさえなく、しかし、気を付けろ、今日は月曜日ではなく火曜日だぞ、燃やせるゴミの日ではないぞと、それくらいの意識しかありません。妻に言われて、今日は瓶や缶を出す日であることを確認し、無事役割を果たすことができました。

 夕方4時ころから大通り公園方面に散歩に出かけました。久方の太陽が大変まぶしく感じられました。
 公園ではスケートボードの練習をする若者たちが、まだ汗をかくには十分とは思えない日差しながら、しかし、久しぶりの太陽の暖かさを満喫しているようでした。
 また、どこかの温室で育てられた草花が真っ黒な土の花壇に植えられて、木々には全く緑の兆しがないにもかかわらず、すでに色とりどりに咲き誇っていました。

 写真は大通り公園で始まった「とうもろこし売り」の屋台。

ようやく春かな2013/05/08 22:39

 ようやく、という感じがする今日一日でした。昨日あたりまでは少なからず懐疑的でしたが今日の太陽の出現具合から、ようやくか、と多くの札幌人は感じたのではないでしょうか。
 僕は今日も大通り公園を散歩しました。心なし昨日よりも風の冷たさを感じなく、公園内を散策している人々も足取りが軽やかな印象でした。

 噴水は勢いよく水を飛ばしていました。秋の初めにはいくつかある噴水が止まり、ベンチが撤収され冬の準備に入ります。公園は突起物が少なくなり、心なしのっぺりした空間に変わります。今の時季はその作業が真逆になされて公園が本来の姿を呈します。

 札幌の春は大変短く、春になったね、という会話が終わるか終らないうちにいきなり夏になります。
 もう少しすると子供たちが噴水の水場で歓声を揚げながら遊びまわるのだろうと思います。

 拙宅のマンションの集中暖房は今月15日で終わります。いつもはそれから数日は何やら、気のせいか肌寒さを感じて過ごします。そして、ようやく本格的な暖かさを体感することになります。

青森12013/05/09 22:02

 今日から2泊で青森に来ています。飛行機で40分足らずの距離ですがやはり本州です。空港から乗ったバスからの風景は木々がうっすらと緑色を装っていました。昨日の大通公園では全く見ることができなかった様相です。

 また、桜は、地元の人の話では時季遅れながら今日からがちょうどいいということでした。しかし、花と葉が同時にその色どりを誇示し始めていて肝心のピンク色の桜がうっすらとした緑の葉っぱの間に隠れがちで、空中に浮いているような景色とは別物という感じがします。
 写真をお見せできれば僕の下手な説明よりも分かりやすいと思うのですが今日は残念ながら叶いません。

 日中は街中で22度もあったそうです。しかし、夜はそれなりに冷え込んできました。

青森-2 老いること2013/05/10 23:12

人は例外なく誰でも年をとり、老いるということは自明のことと分かってはいます。人類の歴史は、新生児が生まれ育まれ、大人の意識を持ちはじめ、そして、ある時期から急激な体力気力の衰えを感じ、それと同じ時期に、死への恐怖心を感じ始めるのではないかと思っていなす。
人はいつ頃から、どんなきっかけで死への気持ちの準備を始めるものなのでしょうか。
僕は女性の平均寿命をはるかに超えた、歳終えた母と会話にならない会話を一方的に押し付けながら、そのことを聞いて見たい衝動にかられるのです。
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