僕の45年間-192010/01/13 17:11

カンボジア号の甲板は雨が降らない限り、デッキチアーに寝べったり、読書をしたり、手すりに身をゆだねてぼんやり海を眺めたりする大勢の人々で賑わっていました。いろいろな国の人々が、それぞれの国の言葉で、静かに話をしていたり、身振り手振りを交えて冗談らしきのを言っては大笑いをしたり、真顔で議論をしたりしていました。
中でもインドの人々はいつも散歩に余念がないようでした。あまり女性が散歩をしているのを見かけることはありませんでした。男性2人が、言葉の分からない僕が眺めている分には、至極難しそうな哲学か政治でも議論をしているのではないかと思えるような雰囲気で、楕円形に一周できる3等船客専用のデッキを何周も何周もしていたのが印象的でした。インドでは男同士でも話すことがたくさんあるんだな、と感心したことを覚えています。
それまでの僕の生活では見たことがない光景でした。高校や大学で、数人の仲間と喧々がくがくの議論をすることはあっても2人だけで話すことは無かったように思いました。2人で喫茶店に入っても話すことはさほど無く、腕組みをして流れているジャズを無言で聴いたり、互いに異なる本を読んだり、というのが「普通」でした。喫茶店を出たら「またな」とだけ言って、それぞれの電車の駅へ向かって歩くだけでした。

甲板で散歩をしている様子を注意深く観察していると、僕の思い込みではなく、やはりインドの人々の「2人で散歩」が圧倒的に多いと分かりました。他のアジア人や白人はめったにいませんでした。で、僕は「多分、これはインド文化だ」と合点しました。
彫りの深い、褐色の肌の、大きな目の男2人が、ゆっくりゆっくり歩きながら真剣に話している様子は、どう見ても世界観や宇宙観を話しているようにしか見えませんでした。
浅学な僕は、当時は知りませんでしたが後々、ゼロを発見したのはインド人であるというのを知った時には、さもありなんと思いました。

航海中は、位が低そうな船員たちが方々でペンキを塗る作業をしていました。所々に立ち入り禁止のロープが張られ、真っ白なペンキの刷毛を黙々と動かしていました。ときにはいつもの通路にロープが張られて、迂回している間に迷子になることもありました。船底には迷路のように通路が張り巡らされて、「DANGER」という文字もありました。
僕はある日、間違って大きな機械音がする通路へ入り込んでしまったことがありました。

突然に視界が開けて、そこでは大勢のアジア系の船員たちが大量の洗濯物と格闘をしていたのを目撃したこともありました。蒸気がもうもうと上がり、みな大汗をかきながら機械を操作していました。僕は職人が仕事をしているのを見るのが大好きですから、そこでも立ち止まって見入ってしまいました。中でも感動をしたのは大きなシーツやテーブルクロスを、回転する2つのローラーに差し込んでアイロンをかける作業でした。ローラーを通過した真っ白な生地は糊がきいて板状になって出てきました。2人一組でそれを待ちか構え、素早く折りたたむ様子は芸術的でさえありました。

今でも油性ペンキの匂いをかぐと、船旅のことを思い出します。

写真は、托鉢を終えて英語の勉強をする修業僧 カンボジア

驚きの孫の部屋<yasuna-club ブログ>2010/01/14 17:32

僕のブログの左下にいろいろなリンク先があります。
その内の一つにyasuna-club のブログがあります。
念のため漢字で書くと「保名倶楽部」となります。

そのyasuna-club のブログに「驚きの孫の部屋 2010-01-06 18:10」というのが掲載されています。「驚きの孫の部屋」は北米に実在する部屋のことです。
http://yasunaclub.exblog.jp/11913325/
この説明文を読み、僕はどんな部屋なのか想像してみました。
で、僕はその「驚きの孫の部屋」の写真を見たいと思いました。

平田さんの娘さん、つまり、部屋の住人である、「孫」のお母さんで、かつ、子供部屋室内装飾家interior decoratorであるマキさんに写真を送って頂きました。

平田さんはご自分のブログに写真を掲載することがうまくできないようなので、代わりにココに載せることにしました。

どうです?
この部屋の夢いっぱいなこと!

この道路を走っているのは環境に優しい電気自動車かもしれません。

先日、大阪でこの部屋の住人に会ったときには電車ごっごで遊んでいました。
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/denshagokko.html

今度はグレイハウンドの運転手かな。
http://1-43cu-in.blog.ocn.ne.jp/blog/images/2009/03/19/corgi_scenicruiser_1.jpg
もっとも、それは僕のユメなのですが・・。
60年代にアメリカを貧乏旅行をした人の本を読むと必ず出てきます。
むろん、モノクロ時代のアメリカ映画にも・・ですね。
以来、僕は、一度はこの長距離バスで北米を横断してみたいと思うのですが、かなうかどうか。
「驚きの孫の部屋」で眠ったら実現しそうな気がしますが・・。
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