引っ越しました。2010/03/29 23:17

我々夫婦は郊外の閑静な住宅地でノンビリというタイプではなく、街の中が好きです。
そんなわけで、我々が心づもりをしていたマンション住まいの時期よりは数年早めですが今回決心をしました。

長いことこのブログを休んでしまいましたが、ぼちぼち再開できるかなと思っています。

マンションは東と南に面している6階の角部屋です。
僕の仕事部屋には東に面している窓があります。
目の前の道を真っ直ぐ行くとススキノです。
地下鉄のすすきの駅までは10分もかかりません。
タヌキ小路は七丁目から屋根付きのアーケードになっていますが、その七丁目まで5分くらいです。
一昨晩は六丁目にある名画座「キノ」へ夕食の後散歩がてら
出かけて「牛の鈴音」という韓国の作品を観てきました。
ドキュメンタリーですがナレーションは一切無く、「生きる」ことの意味を夫婦の会話と映像だけで、静かに示している傑作です。
まだでしたら、お勧めです。
http://www.cine.co.jp/ushinosuzuoto/trailer.html
街中に住むとこんなことができるのも楽しみです。

昨日、ようやく大方の段ボールを片付け、一段落しています。
今晩も雪です。

僕の45年間-202010/03/30 20:10

匂いが思い起こさせる記憶は人によっていろいろあるような気がします。
そのことを意識したのは前述のカンボジア号での油性ペンキです。
僕にとってのペンキの匂いは若い頃のいろいろな場面を想起させます。

イギリスで下宿生活をしていた頃です。
適当なアルバイトが見つからず、手持ちのお金を何度も計算をし、2週間くらいもしたら下宿代を払えなくなるな、と思った頃があります。今は分かりませんが当時の下宿代は週払いでした。アルバイト賃は無論、会社員も高給取りでない人たちは週給が普通でした。
下宿屋のおばさん(Fifyと呼ばれていた40歳代の、小学生の息子2人を持つシングルマザー)にその旨を話しました。つまり、下宿を出なければならないだろうから、食事なしの安いアパートを紹介してもらえないかと相談をしたのです。Fifyはしばらく考えてこう言いました。
Can you paint? 
If you can you can stay free of board while you paint all the rooms in the house.
(ペンキを塗れるなら、全部の部屋のペンキを塗り終えるまでは下宿代を無料にする。)
僕は少しですがペンキは塗ったことがありました。東京に住んでたときに庭の片隅に大工仕事が得意な兄が暗室を作ってくれたのですが、そのペンキ塗りは僕がやったので少しの経験はありました。そこではったりで
Yes, I can paint.と言ってしまいました。
この下宿は3階建で部屋が10室くらいある大きな家でしたからしばらくは食いつなげると算段しました。
僕はその日の内に、3階のその上にあった屋根裏部屋い引っ越しました。
3階の踊り場から通常のよりも狭く急勾配な階段を上った、物置のようになっていたほこりっぽい部屋を腰をかがめながら掃除をして、ベッドと机を入れました。新たな僕のお城ができました。広さは十分でしたが屋根の形と同じ三角の勾配があり背中を伸ばして立てるところは限られていました。所々に長い釘が出ていて、危ういところで頭にけがをするということもありました。
僕はFifyの気持ちを本当にありがたいと思いました。Fifyは夕食の時に他の下宿生に事情を話してくれました。大学受験の浪人生がほとんどで、イギリス人やアラブ人、みんなが拍手をして喜んでくれ、握手をしてくれました。
翌日から午前中の語学学校が終わると午後からペンキ塗りを始めました。夕食後は皿洗いもしました。

僕にとってのペンキの匂は、お世話になった下宿屋のFifyの親切さを昨日のことのように鮮明に思い出させてくれるものです。
また、この屋根裏部屋は僕の英語習得にもっとも大事な一場面を経験させてくれました。そのことはまた次回にでも。

写真はハンモックに揺られながらはえを追うマーケットの肉屋さん
(カンボジアのシュムリアップ)

僕の45年間-212010/03/31 20:13

僕が住んでいたのはブライトン(Brighton)というロンドンから電車で南に一時間ほど行った、当時は小さな海岸の街でした。
屋根裏部屋は快適でした。小ぶりのドアを開けると正面に小さな観音開きの窓がありました。実質4階からの眺めは近所の家々の屋根ばかりでしたが空は大きく広がっていました。
その窓の脇にベッドを置きました。寝ながらたびたび空を眺めては「こんな調子で念願の英語習得はできるのだろうか」と不安を覚えることしばしばでした。
ドアを入ってすぐ左に、やはり小ぶりの机を置き、スタンドもFifyに借りました。机の後方には洋服を入れるタンスがありました。これは元々この部屋にあったのですが僕には入れる衣類がありませんでしたから無用の長物でした。なにしろ全財産はリュックサック一つでしたから。

語学学校での授業は9時から12時までの3時間だけでした。無論、資金があれば午後の授業をもとれたのですが僕には無理でした。
下宿で昼食を食べてからペンキ塗りの仕事を始めました。まずは3階の部屋から取りかかりました。実際にはじめてから、これは容易なことではないと気がつきましたが投げ出すわけにはいきません。覚悟しました。
夕食後、皿洗いを終えて自分の時間になります。屋根裏部屋に入って寝るまで復習と予習をやりました。しかし、進歩を実感できず、「これをやっつけなきゃ日本には帰れないぞ」という不安ばかりが頭をよぎっていました。

学校は、土日は休みです。Fifyはペンキ仕事も休みなさいと言ってくれたので他のアルバイトを探しました。しかし、見つかりませんでした。
ある週末、いつもの英語習得への不安感やいらだちが僕を襲ってきました。僕は居ても立ってもいられず、屋根裏部屋を頭をぶつけないように背をかがめてうろうろぐるぐるとしていました。そのとき、そうだ、と思ったのです。それは、小学生の頃は国語の教科書を毎日、家でも学校でも音読をしていたことを思い出したのです。僕は英語を小学生のように取り組めばいいのだ、と思い立ったのです。
僕は机に向かって、スタンドをつけて、語学学校の教科書の一冊を取り出し、深呼吸をして、音読を始めました。夕食までの5時間ほど、ひたすら読み続けました。その本はイギリスの笑い話の短編集でした。英語の教科書ですから各ストーリーの終わりには問題が載っていましたがそれをすべて無視して本文だけを音読し続けました。
夕方、突然に「分かった」と思ったのでした。何が分かったのかは分かりませんでしたが、分かったと思ったのです。
イギリス人の発想の仕方か英語の発想の仕方が薄ぼんやりと見えたと思ったのです。これさえつかんで離さなければ英語習得は何とかなるという確信を持つことができたのです。
僕はフーっと息をして、声を出して「やった!」と自分に言いました。


閑話休題
今のマンションから徒歩で7~8分のところにシアター「キノ」という名画座があります。タヌキ小路六丁目です。今日はそこで「新しい人生のはじめかた」という作品を観ました。
久しぶりにロンドンの景色を見て、エマ・トンプソンの明瞭なイギリス英語を耳にして、心地のいい時間でした。(僕は反アメリカ英語ではありません。念のために。)彼女の英語を耳にするのは「日の名残り」という作品以来です。
お時間がありましたらどうぞ。お勧めです。
http://hajimekata.jp/

写真はおいしそうなフランスパンを売っていた店
(カンボジアのシュムリアップ)
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