僕の45年間-152010/01/06 20:27

香港での48時間の滞在は初めての外国と言うこともあって胸の高まりを憶えるものでした。しかし、やはり英語力のなさを痛切に感じることにもなりました。学校での英語には苦手意識の方が先立って横文字を見ると拒絶反応を起こしていました。そのことが実践の場である香港のマーケットでも同じでした。正しい英語だろうが正しくない英語だろうが用を足す道具だと悟るまでにはしばらく時間がかかりそうでした。

僕は、船中では相変わらず赤い表紙の「英会話」の本とにらめっこをしていました。前述の日系カナダ人の女性が夫を訪ねて船室にくるときは、またしかられるかなと思いながらも少ずつ質問もして教えてもらいました。

画家の村上さんは相変わらずイタリア語の辞典を読み、読み終わったらムニャムニャと口に入れて消化をしようとしていました。


村上さんの下のベッドのポルノ小説の人は時々にやにやと笑いながら数ページづつ読み進んでいる風でした。この方は白井さんという海洋調査を専門としている方でした。インドネシアの海域でダイビングをしていろいろと調査研究をする仕事だと話してくれました。
白井さん「大坂君は何をしにヨーロッパへ行くの?」
僕「写真を撮りたいんです。しかし、その前に語学を勉強しなくちゃと思って。なにしろ、この有様ですから。」
白井さん「僕を見て。何とかなるもんですよ。だんだん慣れるから大丈夫。」
僕「そりゃ、基礎のある人にはそうかもしれないけれど。」
読みかけの、どぎつい表紙のペーパーバックを指して
白井さん「これだよ。前にも言ったでしょ。」「ところで、大坂君はどんなカメラを持ってきたの?」
僕はアサヒペンタックスであることやレンズの種類を説明しました。
白井さん「いいね。僕と一緒にボンベイで下船しない?僕と一緒にインドネシアへ行って僕が撮って欲しいのを撮ってくれないかな。旅費とか生活費は僕が出せるよ。」
写真の仕事を提案されるのは生まれて初めてのことでした。僕はドキドキしました。頭がボーっとしてきました。
白井さん「インドネシアは半年くらいで、その後はヴェトナムを考えているんだけどさ。」
僕「申し訳けないんですけど僕は泳げないし、水中写真は器材もないし・・」
白井さん「水中のは僕が撮るんだけど、陸上の環境とか、いろいろ撮るものがあるんでね。」
「東京で写真の仕事、やったことあるの?」
僕「撮影の仕事は経験がありません。暗室の仕事はアルバイトでやったことがあります。」
白井さん「どこで?」
僕「週刊文春です。」
白井さん「あ、そう。それで十分だよ。」
白井さんはとても簡単なことのように説明をし、一緒に仕事をやろう、と誘ってくれました。
僕は20歳で白井さんは32~3歳に見えました。小柄な方でしたがそのときはとても大きな人に見えました。

ということで僕はその晩は寝ずに悩み、悩み、考えました。
船は深夜に香港の岸壁を静かに離れ、外海へ向かっていました。
船室の円い窓からは遠くに香港の明かりが見えていました。

写真はカンボジア・シェムリアップ湖上小学校
3部授業をやっていました。
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