僕の45年間-18 ― 2010/01/11 21:55
少年は腰にそのナイフを無造作にさして、一本の椰子の木を実に器用に登り始めました。てっぺんまで登り切ると、下で様子を見ていたバスの運転手が何やら指示をしました。すると少年は腰からナイフをとって振りかざし、椰子の実をバサッ、バサッと切り落とし始めました。僕の足下近くに数個の実が上空から降ってきました。地面に落ちて割れるかと思いましたがそんなこともなく原型のままドサッという音を立てて落ちてきました。
数個の実を切り落として、少年はスルスルと椰子の木を滑るように下りてきました。ナイフを運転手に渡すと、今度は運転手が片手に実をもって、もう一方でナイフを振りながら白いココナッツが見えるまで削りました。最後に注意深く上部を平らに切り落としました。それを僕に差し出し、手真似で飲めと言いました。
僕はさっきまで身構えていたことをすっかり忘れて、素直に口をつけて実の中の液体を味わってみました。生ぬるい、かすかに甘みのある液体が僕ののどを通りました。運転手も少年も「どうだ、甘くて美味いだろう」という笑みを浮かべていました。
この液体がナタ・デ・ココの原料であることを知ったのはずうっと後のことでした。
他の少年らもみなココナッツ・ジュースを飲み終わった頃、運転手は再度、バスに乗れと言う仕草をし、僕らはタクシーまがいの路線バスで田舎を走り回りました。結局、最後まで乗客は僕が一人だけでした。僕にはそのバスが本当に路線バスであったのかどうかさえ分かりませんでしたが4時ころには埠頭に送り届けてくれました。
僕は、下船するときに両替した現地通貨はわずかでしたからバス賃がいくらになるのだろうと気になり始めていました。
料金を訊ねたところで分かるわけがないので、僕はポケットからお金を取り出して手のひらの乗せ、バス賃を取るように促しました。しかし、運転手は「いらない」というそぶりでエンジンをかけ「降りろ」と僕に言って走り去りました。
結局、僕はセイロンの埠頭近くの田舎をドライブしただけで、肝心の街を見物することはできませんでした。
翌朝、カンボジア号はインドのボンベイ、今のムンバイへ向けて、ゆっくりと埠頭を離れました。
写真は、僕が英語で自己紹介をした後、笑顔を見せる女生徒。

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