無言館 戦没画学生慰霊美術館 ― 2018/08/30 16:43
2018年7月7日(土)~9月9日(日)
休館日は月曜日。入場は16時30分まで。
開催時間 09:30~17:00
場所 北海道立文学館特別展示室
住所 札幌市中央区中島公園1-4
電話 011-511-7655
札幌での特別展を観てきました。戦没画学生の遺作の数々を観ていて、無性に腹が立つのを覚えました。
作品には、多少の説明が添えられていました。(「戦争から戻ったら仕上げる」と言って絵筆を置いた)とか(「「せめてこの絵の具を使い切ってから行きたい」と出征ぎりぎりまで描いていた)などです。そして、全作品には出身地や出身美術校、戦死した場所に加えて戦死した年齢が記されていました。「享年27歳」「享年23歳」「享年29歳」と。
あと数か月、数日早く戦争が終わっていたら死なないで帰還できたのにと思うといたたまれない気持ちになりました。
無言館の設立者であり館長の窪島誠一郎氏はHPに下記のように書いています。全文はぜひ、HPでご覧ください。
無言館 戦没画学生慰霊美術館
http://mugonkan.jp/
〒386-1213 長野県上田市古安曽字山王山3462
TEL: 0268-37-1650
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あなたの絵は朱い血の色にそまっているが
それは人の身体を流れる血ではなく
あなたが別れた祖国のあのふるさとの夕灼やけ色
あなたの胸をそめている父や母の愛の色だ
遠い見知らぬ異国で死んだ画学生よ
私はあなたを知らない
知っているのはあなたが遺したたった一枚の絵だ
その絵に刻きざまれたかけがえのないあなたの生命の時間だけだ
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自分の母や妻、子供を、故郷の景色を戦場へ駆り出される直前まで描き続けた画学生の気持ちを想うと、僕は現在の日本の平和を大事にしなければならないと改めて思いました。
コメント
_ いとうゆかり ― 2018/08/31 13:28
_ 大坂忠 ― 2018/09/01 12:40
僕の母の兄、一郎は沖縄へ派兵される途中、輸送船が撃沈されて戦死した、と聞いています。青森ですでに結婚をしていて2人の娘がいたのですが、大学で勉強をしたくて単身上京をしたらしいです。帰還はやはり何も入っていない箱であったそうです。一郎の妻と子らの人生は、何かと大変でした。
日本戦没学生記念会(わだつみ会) 趣意書
「戦争によって流された血は、ふ たたび、それが決して流されぬようにすること以外によってはつぐなわれない」との信念に立って設立されました。
http://www.wadatsumikai.org/info
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名もない一つの命でも、著名な権力者の命も、それぞれに関わる人たちの想いは、比べることのできないかけがえのないものと思っています。
以前にもお話ししました私の経験からも、重い気持ちになりますね。
「戦死したおじさん(享年27才)」の遺品は、戦場に持参した布製の袋と、その中に金属製の箱が一つ。その中の数個の石が”遺骨”の代わりと伝えられたそうです。
布袋には自筆で名前が書かれていますが、その文字を見ていると、自分の今携わる仕事のようなことが好きだったのかな…と想像します。
戦場への荷物であるはずの小物の文字に、不本意さや、帰国した後に携わりたいことが滲んでいるように感じます。
私の勝手な想像でもありますが。
戦争は、理由に関わらず、誰の幸せにもならないと改めて考えています。