ワールドカップ2018/07/01 13:54

 ワールドカップの決勝トーナメントがいよいよスタートしました。4年に一回ということですが、僕は生まれて初めてTV番組表を見ながら観戦しています。
 
 手当たり次第に、暇に任せてチャンネルを回し、試合とその前後の解説番組を観ています。そして、そのたびに思うのは彼の国の大相撲のことです。
 大相撲に関わっている人々が「日本の伝統」を持ち出して責任転嫁し、自己弁明を試みようとする視野の狭さ、未来の相撲への展望のなさ、海外から相撲に参加している力士への配慮の無さ、無責任さなどなどが僕の頭の中でうごめきます。

 スポーツの世界のことにとどまらず、です。為政者も然りです。
 何が問題で、何が重要なのかを自分自身に十分に説明できない思考回路が蔓延し、結果、大切なことを後回しにして、平然としているのです。

 さて、3日は日本チームがベルギーチームとの試合に臨みます。

憲法学者 木村草太2018/07/01 20:51

 添付のはTwitterからの記事です。
 木村草太氏は時々TVで見かけています。僕は憲法をしっかり勉強したことはありませんが、氏の説明は納得できます。箇条書き的というか理論的というか、大変整理されたお話をします。

 法律について教えるべきだというのには全面的に賛成です。

 願わくば、同時に、性についても伝授するべきだと思います。

 昔、専門学校や商業高校で英語を教えたことがあります。本来は英語の授業をするべきでしたが、時々、上記の2つについても話しました。
真剣に聞いてくれました。最後にはいつも「絶対、死ぬな。生きろ!」と締めくくりました。

サッカーワールドカップ2018/07/03 10:52

 久しぶりにサッカーをTV観戦しました。多分、2002年の日韓ワールドカップ以来のような気がします。
 プロ野球は日本ハムファイターズが地元なので、勝ちそうな試合だけは観ています。しかし、サッカーはルールもよくわからずに眺めているという程度です。それがなぜこんな事になったのか、よくわかりません。まあ、暇になったせいだろうとは思っていますが。

 今年は1月下旬から2月初旬にかけて新宿で2週間の写真展をやりました。3月には札幌で1週間、そして同じく3月下旬から4月初旬にかけて10日間銀座で、と大忙しでした。
 そして、8月には神戸での写真の勉強会に参加予定でしたが取りやめにしたので気持ちの上で空白ができました。
 という訳で、日本チームの試合を、今朝まで全部観戦してしまいました。

 拙宅のマンションはすすき野の端っこに位置しています。そのせいか、日本が後半2点目のゴールを決めたときには通りに「うおー!」という歓声が轟いていました。

 写真は過日の三越札幌店婦人服売り場です。近頃は散歩をしていても腰を下ろして一休みをしたくなることがあります。自分に「ここで休憩するのは意味がない」と気合を入れるのですが、徒労に終わることが多いように思います。

平等・公平2018/07/05 20:48

 平等と公平のことを考えながらWEBを眺めていましたら、添付の絵に遭遇しました。
https://buzzap.jp/news/20141111-equity-vs-equality/

 僕はなるほどと思いました。しかし、これらの言葉を明確に使い分けることができるかと問われれば自信がありません。

equity 公平 無私無欲
equality平等

 平等主義(egalitarianism)は、特定の資格・能力・責任・義務を有する範疇内の人間達、もしくは全ての人間が、法的・政治的・経済的・社会的に公平・同等に扱われるようになることを志向する思想・信条・主張のこと。

 もっとよく考えてみなければ・・・と思いました。

北海道開拓の村2018/07/06 19:47

 久しぶりに開拓の村へ行ってきました。ここ数日は悪天候が続いていましたが、今日は薄曇りで風もなく散歩日和ですた。
 我々夫婦の定番は、11時ころに車で家を出て、江別方面へ向かいます。30分くらいもすると百円寿司スシローに着きます。少し早めの昼食を済ませて15分くらいも走ると開拓の村に着きます。

 ここには52棟の建造物が道内のあちこちから移築されています。どの家屋の中にも入ることができます。家屋の中には当時の暮らしぶりがわかるように人形が配置されています。
 僕はいつも「こんにちは」と言って土間から上がります。僕が小さいころに使われていたちゃぶ台や火鉢、食器などが実際の生活がなされているかのように配置されています。

 小さい頃、夕方5時半ころになると決まって「母ちゃん、居るか~?」と言いながら、台所の土間から上がって立ち寄っていく同じ町内のオジサンがいました。母は時々燗冷ましの酒を湯飲みに入れて「飲む~?」と言いながら差し出していました。 
 僕はそんなときのオジサンの笑顔を思い出しながら、忙しそうに仕事をしている人形らに話しかけます。

 駅逓所で馬車を待つ客は一杯のお茶に、もしかすると安堵を覚えたのかもしれません。

 今日の散歩の成果は、おまけして5千歩でした。
 

北海道開拓の村
http://www.kaitaku.or.jp/

ウルグアイ2018/07/09 11:06

 ウルグアイという国をご存知ですか。僕はほとんど知識がありません。先日のワールドサッカーで対フランス戦を横目で見ながら思い出していたことがあります。

 「正式名称はウルグアイ東方共和国。南米大陸の南東部に位置し、北はブラジル、南はアルゼンチンに国境を接している。日本の約半分の国土に336万人が住み、そのうち約43%が首都圏に住んでいる。国土の90%以上が牧場であり、気候は温暖で、国民性ものんびりした鷹揚な性格の人が多い」と書かれています。
http://www.bitters.co.jp/whisky/uruguay.html

 あるいは世界で最も貧しい大統領として知られるウルグアイのホセ・ムヒカ大統領の国でもあります。
「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」
https://hana.bi/2012/07/mujica-speech-nihongo/

 で、思い出していたことというのは映画作品「ウィスキー」です。残念ながらYouTubeでは見つけることができませんでした。
 靴下工場を経営者している主人公ハコボは、マルタという女性事務員と長年働いています。しかし、二人は必要最低限の会話しかせず、そこにいろいろな行き違いが起こります。

 コメデー映画だという方もいるようですが、僕はちょっと違うような気もします。
 お時間があるときにでもレンタルをなさってご覧ください。

村上肥出夫さん2018/07/23 19:49

 これまで何回もここに書かせていただいたことがある、村上肥出夫さんが亡くなりました。
 12月には新たに画集が刊行されることになっていますが、その編纂者の池田さんからご連絡を頂戴し、知りました。

以下は地元の岐阜新聞のWEB記事です。
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村上肥出夫さん死去 画家「色彩の魔術師」
7/19(木) 8:03配信 岐阜新聞Web

 「色彩の魔術師」とも称され、厚塗りのマチエールと独自の色使いで日本やヨーロッパの風景を描いた画家村上肥出夫(むらかみ・ひでお)さんが11日午前3時40分、敗血症のため、岐阜県下呂市の老人福祉施設で死去していたことが18日、分かった。84歳。土岐市出身。葬儀は近親者で行った。

 土岐市に生まれ、養老郡養老町に育った。ゴッホに憧れて独学で絵を学び、20歳で上京。銀座の路上で絵を売っていたところ、彫刻家本郷新に見出され、才能を開花させた。1963年に銀座の個展で鮮烈なデビューを果たすと、画家林武、文豪川端康成らに称賛され、一躍時代の寵児となった。

 60年代には、戦後の面影を残す神宮や秋葉原などを重厚なマチエールで描き、見る者の心を揺さぶった。一転、パリ遊学などを経ると、描く風景画に青やオレンジの原色が加わり、大胆で鮮やかな構図から「色彩の魔術師」とも称された。79年に帰郷後は下呂市萩原町にアトリエを構えて創作を続け、20年ほど前に体調を崩し療養生活を送っていた。

 県美術館の廣江泰孝学芸員は「戦後の日本のアートシーンにきら星のごとく輝き、時代に愛された画家だった」と評した。岐阜新聞社
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村上さんのことは下記の僕のブログに書かせていただいています。
<僕の過去のブログ>
http://tadashi.asablo.jp/blog/2009/12/15/4758488
http://tadashi.asablo.jp/blog/2009/12/23/4773913
http://tadashi.asablo.jp/blog/2011/09/03/6087502
http://tadashi.asablo.jp/blog/2011/09/05/6088940
http://tadashi.asablo.jp/blog/2011/09/05/6089715
http://tadashi.asablo.jp/blog/2011/09/06/6090430
http://tadashi.asablo.jp/blog/2011/09/07/6091491
http://tadashi.asablo.jp/blog/2016/03/21/8054493
http://tadashi.asablo.jp/blog/2016/03/22/8055429

 村上さんに会ったのは僕が21歳の12月でした。フランス航路カンボジア号の一番格安の船底のキャビンでした。船賃はちょうど10万円でした。
 30日間の船旅で、朝から晩まで、寝て食べて、地中海はまだかな~と話しながら甲板を散歩しました、そして、氏は二段ベッドの上段に横になりながら、パリを目指しているにもかかわらず分厚いイタリア語の辞書を真剣なお顔で眺めていました。そして、1ページづつむしゃむしゃと食べて飲み込むのに苦労をしながらも、イタリア語を憶えたつもりでした。

 村上さんはそんな方でした。

 僕は今日までのいろいろな場面で村上さんのお人柄を思い出しながら生きてきたように思います。

 ご冥福をお祈りします。
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