アサヒカメラ1968年1月号(休み) ― 2013/01/08 22:25
今日の朝日新聞夕刊文芸批評に大変刺激的な記事が2つ掲載されていました。
一つはインタビュー記事です。大見出しが「衰え行く言葉を鍛えよ」。小見出しが「古井由吉インタビュー」。
「~現代は、歴史から切り離された新造語が、特に経済で多いのではないか。例えばイノベーション。新しくするという意味だが、リフォームとかありふれた言葉を使わず、流れから断ち切られた言葉がなぜか突然出てきた。金融工学もイノベーションという概念に推されたはず。言葉はおのずと人の考えを検証する。思ったことを口に出してみたら、とんでもないことだったとか。その抑制力がずいぶんと失せてきた。」
自衛隊が「国防軍」に、脱原発が「卒原発」に。
言葉が重みを失ったなと僕は感じています。
反面、もう一つの記事というか、これは詩です。言葉の力を感じました。
「ねんねんころりよ=新井高子=」
前述の「衰え行く言葉を鍛えよ」の文脈でいえば「~日本人は、改革は苦手だが、弥縫(びほう)つまり取り繕いは得意。姑息に見えるが、なかなかの美徳と効用がある。」ということかと。
僕は電気料金が値上げされようが、それを抑えるために税金が使われようが、原子力発電は止めるべきだと思っています。弥縫(びほう)だろうが遅すぎることはない!と叫びます。
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