村上肥出夫展ー32016/03/22 19:43

 人は一生の間で何人くらいと会い、お話をするのかという問いがあります。諸説あるようです。
 僕は70歳ですから、たとえばこんなことになります。
   70年X365日X1名=25550名

 村上肥出夫画伯は上記の人数の中の一人なのですが、僕の実際の思考の中で占める割合は極めて大きく、僕の人生を豊かにしてくださっている代表格です。無論、妻を除いてですが。

 一緒に過ごした時間は実際、どれくらいなのでしょう。初めてお会いしたのがマルセーユ行きの船でした。ちょうどひと月の船旅で、船底の同じキャビンでした。
  30日X24時間=720時間
その後は、1969年ころから僕が帰国するまで2~3度、僕はイギリスから週末、パリへ遊びに行きました。そして数時間一緒に過ごしました。僕が買うバケットのハムサンドイッチを半分づつ食べながら「僕たちはどうしてこんなにお金がないんだろう」とつぶやきあっていていました。互いにお金がないので村上さんの安ホテルで食べました。
それが何時間位かはよくわかりませんがさほどに長時間ではなかったと思います。

 村上さんに会ったのは僕が21歳の12月でした。フランス航路カンボジア号の一番の格安で船底のキャビンでした。30日間の船旅で、朝から晩まで、寝て食べて、甲板を散歩し、地中海はまだかな~と話していました。そして、氏は二段ベッドの上段に横になりながら分厚いイタリア語の辞書を眺めて、真剣なお顔で、憶えたつもりで、1ページづつむしゃむしゃと食べて、飲み込むのに苦労をしていました。

そんな村上肥出夫さんに45年以上は会っていません。しかし、僕の人生の時間の多くの割合を占める方です。

『パリの舗道から』
村上肥出夫著 彌生書房 1976年7月31日 初版印刷

「日本からパリに来て最もびっくりするものの一つは肉屋の店先です。豚や牛の頭がでんとすわっているのもそうですが、なかでも、兎が皮をはがれてぶら下っているのは、足首の白い毛が残っているだけに一層あわれです。子供の頃、第二次大戦の最中でしたが、村役場のわきの広場に、たくさんの兎が吊 されていたのを思い出してしまいました。」

「さあ、肉屋の前はさっさと通りすぎて、八百屋に行きましょう!
八百屋の新鮮な野菜や果物は、パリの街を輝かすものの一つです。トマトや レモンの山は見るものに暖かさを、また、さまざまの緑の野菜はやすらぎと生きる喜びを与えてくれます。こうした野菜こそ、人間にとって唯一の神聖な食 物なのではないでしょうか。お母さん、それは僕にとって、物言わぬ愛、人間への神からの贈り物としか思えません。」


石川達三(小説家)は村上肥出夫画伯が、放浪の画家として少し知られるようになった頃に印象を書いています。

「村上君は時には詩を書く、時には天才的なデッサンを描く、そして何を考えて生きているんだか、私には見当が付かない。一種の出来損ないであるのか、それとも天使のような人間であるのか、とにかくつきあいにくい。しかし笑った顔は以外に純真である。そして作品はこの上もなく強烈である。」

展は今月31日(木)まで。期間中は無休ということです。

兜屋画廊
住所: 〒104-0061 東京都中央区銀座8丁目8−17
電話:03-3571-6331
http://www.gallery-kabutoya.com/

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