3月なのに-~大荒れの天気2016/03/01 18:17

僕は今日、新千歳空港に6時間ぐらいいました。実家のある青森へ行く予定でした。JALとANA合わせて5便あるのですが、昼前の便はどれも欠航となっていました。

午後から夕方の便をと思ってまず、JALの切符購入カウンターへ。1時間半並んで最終便を確保しました。それからANAへ。もう少し早い便をと思いつつ、ここでも1時間半。いつもは4〜5人が並んでいる程度なのですが。

なんとか午後一番の便を確保し、荷物検査場を通過し、搭乗口へ。青森行きはいつもながら空港の端っこですから遠いです。やれやれと思いながら搭乗口一番へ向かいました。JALの切符の払い戻しは青森空港でやろうと思いながらベンチに座った途端に「青森行き ーー1時間半遅れーー場合によっては仙台空港へ着陸」の表示が。

ウェブで青森空港の天気を調べたら「湿雪降雪」。こりゃダメだと諦めました。今度はJALとANAの切符の払い戻しは窓口へ。ここでもそれぞれ1時間以上もの長〜い行列。
今日は何の成果もない千歳空港行きでした。
それにしても、と思いました。僕は空港内を5千歩歩き回ったのですが誰ひとり、列を乱すとか大きな声を出すということがありませんでした。

しかし、同時に為政者の悪行には声をあげて欲しいなと思いました。
写真はくたびれたせいか大ブレです(笑)

安倍政権は近々終わる2016/03/04 19:09

  僕は安倍政権は近々終わる、と信じています。国民が結集をしてしっかり意思表示をすれば、年内にでも終わらせることができると思っています。河合弁護士の粘り腰に負けないように、しつこく脱原発、反原発、立憲民主主義を唱えましょうよ。


  長く原告住民の勝ち目はほぼなかった原発訴訟。福島第一原発事故で、司法の責任にも厳しい目が向けられた。あれから5年、司法に変化はあったのか。果たすべきその役割は。

 ■「運転差し止め」変化象徴 河合弘之さん(弁護士)

 これまで約20年間に二十数件の原発訴訟で原告住民側の弁護団に参加してきました。

 裁判官たちは「原発安全神話」に毒されていて、私たちが「巨大な地震や津波によって重大な事故が起こる可能性がある」と主張しても、「オオカミ少年のように大げさなことを叫んでいる人たち」という風にしか、見てくれなかったように思います。

 そんな裁判官たちの姿勢が東日本大震災と東京電力福島第一原発事故の後、変わりました。ある原発訴訟の進行協議で裁判官と一対一で対面したとき、「こういう重要な事件に関与できるのは、裁判官としてやりがいを感じる」と言われたこともあります。

 そうした変化を象徴するのが、いずれも福井地裁の、関西電力大飯原発の運転差し止め判決(2014年)と、昨年の同高浜原発の運転差し止めの仮処分(15年)です。

 樋口英明裁判長(当時)は高浜原発運転差し止めの仮処分申し立ての審理のかなり早い段階から「この事件は私たちの裁判体で決定を出しますから」と話していました。

 15年4月に名古屋家裁に異動しましたが、その前に決定を出そうと考えていたのだと思います。仮処分の申し立てからわずか3カ月余りの3月中旬には審尋を打ち切りました。

 関電は大飯原発の判決を出した樋口裁判長に決定をさせまいとして裁判官忌避を申し立てていました。一方、樋口裁判長は異動後も決定を出せるように職務代行者の申請をしました。自分で決定を出したいという意気込みが強かったのではないでしょうか。

 樋口さんの転出と同時に福井地裁に着任したのは、最高裁事務総局勤務を経験した3人の「エリート裁判官」でした。この3人が、運転差し止めの仮処分に対して関電が申し立てた異議の審理を担当することになりました。

 最高裁は裁判の中身に直接介入することはありませんが、人事を通じて介入してくるのです。よほど鈍い裁判官でない限り、この人事の意味はわかるでしょう。「お前たち、わかってるんだろうな」という最高裁の強烈なメッセージが込められていると。

 異議審が出したのは、仮処分を取り消す決定でした。

 原発訴訟を担当する、他の下級審の裁判官への威嚇効果もある程度あったでしょうね。一連の人事は、「原発再稼働へと突き進む安倍政権に配慮する最高裁の姿勢は固い」という印象を与えたと思います。

 それでも私は悲観していません。裁判官は自分の腹さえ固めれば、最高裁が何を言ってこようと、良心に従って判決できるのです。樋口さんのような宝はほかにもいる。私はこれからもどんどん訴訟を起こしていきたいと思っています。

 (聞き手・山口栄二)

もうじきに3.11が来ます2016/03/05 13:09

たびたびですみません。
札幌での写真展のお知らせです。
お近くの方は是非、お出かけください。

もうじきに3.11が来ます。
風化させてはならないと思っています。
JRP札幌支部では例年、3.11関連の作品の展示を行っています。
今年は森住卓氏の「福島―放射線を視る」を展示します。
http://www.morizumi-pj.com/shashinten/


★日本リアリズム写真集団札幌支部2016年写真展
  
期間・・・3月8日~ 3月13日 9時~ 19時 (13日のみ16時)
会場・・・札幌市資料館(札幌市中央区大通西13丁目)

詳細はこちらをご覧ください。
http://jrps.exblog.jp/

僕の出展作品は「玉撞き屋の千代さん」です。新しいプリントで、新しい額装で、そして、札幌では初の展示です。額装と展示デザインはいつものように旭川の「ラボ・フューズ」にお願いをしました。写真はA3ノビサイズ9枚の千代さんです。
僕は毎日「出勤」しています。
どうぞお出かけください。

準備万端、明日から2016/03/07 21:11

 さて、準備万端かな。

 明日の朝9時に展が始まります。自分なりに「表現者として、もう逃げも隠れもできない」と覚悟を決めて、日曜日までの6日間、会場にいることになります。
お出掛け下さい。

★JRP日本リアリズム写真集団札幌支部合同写真展2016★
日時:2016年3月8日(火)~13日(日) 9時~19時(最終日18時まで)
会場:札幌市資料館 全展示室(2階) 入場無料/月曜休館
住所:〒060-0042 北海道札幌市中央区大通西13丁目
  (地下鉄東西線西11丁目駅 1番出口より西へ徒歩5分)
会場電話番号:011-251-0731
後援 :北海道教育委員会・札幌市・札幌市教育委員会・北海道新聞社

勇気ある裁判長=山本善彦裁判長2016/03/09 23:13

朝日新聞デジタル(2016年3月9日21時55分9から抜粋
高浜原発3・4号機、運転差し止め
大津地裁(山本善彦裁判長)が仮処分

 1~2月に再稼働した関西電力高浜原発3、4号機(福井県高浜町)をめぐり、大津地裁の山本善彦裁判長は9日、福井に隣接する滋賀県の住民29人の訴えを認め、2基の運転を差し止める仮処分決定を出した。福島原発事故の原因が解明されていない中で、地震・津波への対策や避難計画に疑問が残り、住民らの人格権が侵害されるおそれが高いと指摘。安全性に関する関電の説明は不十分と判断した。

原発がいかに効率的でも、事故が起きれば環境破壊の範囲は国境を越える可能性すらあると指摘。安全基準は、対策の見落としで事故が起きても致命的にならないものをめざすべきだとした。そのうえで、前提となる福島事故の原因究明は「今なお道半ば」と言及。その状況で新規制基準を定めた国の原子力規制委員会の姿勢に「非常に不安を覚える」とし、新規制基準や審査について「公共の安寧の基礎となると考えることをためらわざるを得ない」と述べた。

【安寧あん‐ねい】世の中が穏やかで安定していること。

「公共の安寧の基礎となると考えることをためらわざるを得ない」を僕流に言い換えれば「原発は、人々が安心して暮らすための社会基盤ではない」となります。つまり、「安心して暮らす為の役に立たないから不必要だ」と。勇気ある山本善彦裁判長に大いなる敬意を表したいと思います。

展が終わって2016/03/15 22:44

 JRP札幌支部展2016が終わって、まだ頭が少しボーっとしているような気がします。集中力にかけていて、浮遊しているような妙な気分です。この感覚は展が終わると必ず襲ってくるので慣れてはいるのですが・・。今日は昨日ほどではなく、少しづつ日常を取り戻しつつあります。
 
 一番の出来事は・・と考えれば「あなたのポートレイトをお撮りします」であったように思います。例年のことなのですが、その場でプリントを仕上げて、お渡しします。昨年は30名ほどでした。今年は50名を超えています。

 僕はポートレイトを撮るのが好きですから面倒に感じることはありません。しかし、集中力は絶対的に必要です。ほんの5分ほどの間に被写体を観察し、僕なりに仕上がりを想像して撮ります。少なければ5~6枚、多ければ10~20枚は撮り、プリントをする際に1~2枚を選びます。
撮影時の緊張、プリント用の1枚を選ぶ集中力、ノートPCの小さな画面で色調整など、50名分もやれば、やはり疲れます。

 今日は今回の「作品」をチラチラと観て、大方満足のいく結果でした。昨年よりは進歩していると自画自賛しています。

 ポートレイトは被写体を表現するのか、自分を表現するのか、いろいろあると思います。僕は時間がある限り、できるだけ2枚差し上げたいと思っています。
1枚は「期待されている写真」で2枚目は「僕の解釈が加わったポートレイト」というわけです。2枚目への反応は「いいね」とか「素敵」というのに加えて、「予想外の写真だ」、「こんな自分を見たことがない」「自分じゃないみたい」などとさまざまです。

 撮影に当たってはお名前を訊くことはありませんから、どこのどなたかは知ることはありません。しかし、それぞれ、きっと大事な写真の一枚になっているだろうという自負はあります。

村上肥出夫展2016/03/18 21:41

 村上肥出夫さんという画家のことは何度かここで書きました。
氏との思い出については下記のURLに書きました。大昔の話ですがお時間がありましたら覗いていただければ嬉しく思います。

<僕の過去のブログ>
http://tadashi.asablo.jp/blog/2009/12/15/4758488
http://tadashi.asablo.jp/blog/2009/12/23/4773913
http://tadashi.asablo.jp/blog/2011/09/03/6087502
http://tadashi.asablo.jp/blog/2011/09/05/6088940
http://tadashi.asablo.jp/blog/2011/09/05/6089715
http://tadashi.asablo.jp/blog/2011/09/06/6090430
http://tadashi.asablo.jp/blog/2011/09/07/6091491

 さて、昨年の7月に新宿のペンタックスギャラリーでパリの写真の展をやりました。その時にわざわざ会場まで足を運んでいただいた池田章さんという詩人の方がいました。池田さんは村上肥出夫氏が銀座の路上で絵を描いていたころからのご友人です。兜屋画廊で「村上肥出夫さんと同じカンボジア号で渡仏した大坂さんという人がパリの写真で展をやっている」とお聞きになり、新宿まで来てくださいました。2時間くらいもおしゃべりをしました。その時に池田さんが「僕は村上肥出夫さんの画集を自費出版します」というお話をされていました。
 それが届いたのです。と言っても2月中旬であったと思います。思いがけない小包でした。調度、僕はJRP札幌支部展の準備に追われていた最中でした。また、その展が終わってからは後始末に時間が取られて、ゆっくり拝見する時間がなく、今日になってしまいました。

 僕は来週には時間をとって銀座に出向きたいと思っています。
是非、たくさんの方々にご覧いただきたいと思います。ぜひ、お出かけください。

戦争させない2016/03/19 20:46

 今日は久しぶりにデモに出かけました。ここしばらく写真展にかかわることで忙しくしていたのですが、妻の提案もあり昨日から予定をしていました。
 ところが、僕は2度寝をしてしまいました。目が覚め時には妻の書いたメモが食卓の上に。「デモに出かけます」と。デモは12時から大通公園3丁目なのですが、目が覚めたのは11時40分でした。
 出だしは悪かったのですが会場で妻を見つけて安心して、一緒に約30分くらい、駅前通りを練り歩きました。
「解釈改憲、反対」
「勝手に憲法を変えるな」
「戦争する国にするな」
「アベは退陣」などなど。

 帰りは日生ビルの地下でお茶を飲んで、徒歩で帰宅しました。僕は7000歩を歩きました。

 報道ステーションが様変わりすることは再三、WEBで話題になっています。現政権のメディアに対する圧力が原因とされています。
そんな中、古舘 伊知郎氏は降板する、あるいは、させられるにあたり下記の番組を放映した。
ユーチューブでご覧になってください。

03-18 ワイマール
http://dai.ly/x3ym0kc

 現政権がどれくらい危険な方向を向いているか明確に示しています。
今年の7月の選挙でアベ政権が消滅しなければ、ますます日本の将来は危ういことになりそうな気配です。

村上肥出夫展ー22016/03/21 08:46

 先日、村上肥出夫さんの画集の紹介をしました。それを監修をされた詩人の池田章さんからメールを頂戴しました。
 「(兜屋画廊の)小澤さんから電話をいただき、大坂さんのブログに画集のことが書いていますと教えてもらいました。早速ブログを開き、展覧会や画集のことを書いていただいて・・・」

 僕は思いました。「文章の達人の方々も僕の拙いブログを読んでくださっている。さあ、もう少し緊張感を持って書かなければ」と。
 さて、ここでキーボードの上をダンスしている僕の2本の指がぱたりと止まってしまいました。

 いただいたメールには新聞の切り抜きが添付されていました。それと合わせて池田章さんが出版された画集の表紙をここでご紹介をさせて頂きます。

 来週には銀座の兜屋画廊に出向いて村上肥出夫さんの作品の数々と対面をしたいと思っています。
 展は今月31日(木)まで。期間中は無休ということです。

兜屋画廊
住所: 〒104-0061 東京都中央区銀座8丁目8−17
電話:03-3571-6331
http://www.gallery-kabutoya.com/

村上肥出夫展ー32016/03/22 19:43

 人は一生の間で何人くらいと会い、お話をするのかという問いがあります。諸説あるようです。
 僕は70歳ですから、たとえばこんなことになります。
   70年X365日X1名=25550名

 村上肥出夫画伯は上記の人数の中の一人なのですが、僕の実際の思考の中で占める割合は極めて大きく、僕の人生を豊かにしてくださっている代表格です。無論、妻を除いてですが。

 一緒に過ごした時間は実際、どれくらいなのでしょう。初めてお会いしたのがマルセーユ行きの船でした。ちょうどひと月の船旅で、船底の同じキャビンでした。
  30日X24時間=720時間
その後は、1969年ころから僕が帰国するまで2~3度、僕はイギリスから週末、パリへ遊びに行きました。そして数時間一緒に過ごしました。僕が買うバケットのハムサンドイッチを半分づつ食べながら「僕たちはどうしてこんなにお金がないんだろう」とつぶやきあっていていました。互いにお金がないので村上さんの安ホテルで食べました。
それが何時間位かはよくわかりませんがさほどに長時間ではなかったと思います。

 村上さんに会ったのは僕が21歳の12月でした。フランス航路カンボジア号の一番の格安で船底のキャビンでした。30日間の船旅で、朝から晩まで、寝て食べて、甲板を散歩し、地中海はまだかな~と話していました。そして、氏は二段ベッドの上段に横になりながら分厚いイタリア語の辞書を眺めて、真剣なお顔で、憶えたつもりで、1ページづつむしゃむしゃと食べて、飲み込むのに苦労をしていました。

そんな村上肥出夫さんに45年以上は会っていません。しかし、僕の人生の時間の多くの割合を占める方です。

『パリの舗道から』
村上肥出夫著 彌生書房 1976年7月31日 初版印刷

「日本からパリに来て最もびっくりするものの一つは肉屋の店先です。豚や牛の頭がでんとすわっているのもそうですが、なかでも、兎が皮をはがれてぶら下っているのは、足首の白い毛が残っているだけに一層あわれです。子供の頃、第二次大戦の最中でしたが、村役場のわきの広場に、たくさんの兎が吊 されていたのを思い出してしまいました。」

「さあ、肉屋の前はさっさと通りすぎて、八百屋に行きましょう!
八百屋の新鮮な野菜や果物は、パリの街を輝かすものの一つです。トマトや レモンの山は見るものに暖かさを、また、さまざまの緑の野菜はやすらぎと生きる喜びを与えてくれます。こうした野菜こそ、人間にとって唯一の神聖な食 物なのではないでしょうか。お母さん、それは僕にとって、物言わぬ愛、人間への神からの贈り物としか思えません。」


石川達三(小説家)は村上肥出夫画伯が、放浪の画家として少し知られるようになった頃に印象を書いています。

「村上君は時には詩を書く、時には天才的なデッサンを描く、そして何を考えて生きているんだか、私には見当が付かない。一種の出来損ないであるのか、それとも天使のような人間であるのか、とにかくつきあいにくい。しかし笑った顔は以外に純真である。そして作品はこの上もなく強烈である。」

展は今月31日(木)まで。期間中は無休ということです。

兜屋画廊
住所: 〒104-0061 東京都中央区銀座8丁目8−17
電話:03-3571-6331
http://www.gallery-kabutoya.com/
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