僕の45年間ー76 ― 2011/02/05 20:15
仕事を探しながらコペンハーゲンの街を歩き回っていて気が付いたことがありました。
一つは車椅子を使っている人を多く見かけたことです。東京にいたときにはめったに見かけることが無かったので、浅はかな僕は当初「コペンハーゲンには障害者が多いんだ」と思ってしまいました。しかし、よく考えてみると東京よりも人口が少ないのに障害者が多いというのは不自然だと気が付きました。
コペンハーゲンは僕がいた1967年にはすでに車椅子利用者にとって外出がしやすい街だったのです。路面電車にしても鉄道にしても乗り降りが楽に出来るようになっていました。車椅子の人にとって利用しやすいと言うことは、同時にお年寄りや乳母車の利用者にとっても便利なわけです。
車椅子の人が歩道を横切る際には段差があって容易ではありませんが通行人が気軽に声をかけて車椅子を持ち上げる手伝いをしていました。そんな様子を目撃するのは日常のことでした。
自転車を電車に持ち込むと言うことも普通のことでした。それは自転車専用道路も同じでした。主要な道路は車道と歩道の間に自転車専用道路があり、歩行者の安全が確保されていました。
僕は市民の意識が違うのだなと思いました。
1971年に東京に戻ったときにはコペンハーゲンほどではありませんでしたが車椅子の利用者を以前よりも多く見かけたような気がしました。日本でも障害者への意識が変わってきているんだと思いました。
もう一つ大変気になったことがありました。それは僕の世代の若人の表情でした。何かしら無気力感を漂わせていたのです。僕は、衣食住が十分に足りて就職のことや医療のことを心配しなくてもよい社会に異論はありません。しかし、社会参加の目的意識が希薄になり、生気を感じさせない顔つきの若人が多くなるのは好ましいことでないような気がしました。
このような文面の手紙をコペンハーゲンから友人に書いたのを思い出しました。
後年、タイやカンボジア、ヴェトナム、ラオスを旅行したときには、青年たちの生気あふれる表情に圧倒されました。
写真はプラハ中央駅(プラハ本駅)。第2次世界大戦時、多くのユダヤ人が連行された通路だと聞きました。
コメント
_ nakky ― 2011/02/06 17:07
_ 大坂忠 ― 2011/02/06 17:48
毎年、会場へ出向くことは無いのですが近所に転居した義理もあり、散歩をしていました。
残念!!
次回、是非。
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今日は雪祭りの前日ですが、もしかして会場におられませんでしたか?
5丁目の「ライオンキング像」の前で、90%の確率でワタクシの脳内検索で大坂さんと合致しそうな方がリコーのデジカメで雪像を撮られている方がおりまして・・・
もちろん違った際のコッ恥ずかしさを考えると声を掛けるとかはできなかったのですが(笑)