僕の45年間ー562010/09/17 21:32

 パリの郊外まで電車で出ました、ヒッチハイクの経験は日本ではありませんでした。高橋さんの「指導」のもと、予め用意をしておいたスケッチブックに太いマジックペンで「For Brussels」と大きく書きました。
我々が目論んだのはとりあえずベルギーのブラッセルへ向かうことでした。幹線道路に立ってこの手製の看板を掲げて車が止まってくれることを期待しました。しかし、雨上がりの水しぶきをあげながら、猛スピードで走り抜ける車ばかりで、映画などで見るヒッチハイクのように容易なことではありませんでした。
多くの車が僕らの目の前をむなしく通り過ぎて行きました。高橋さんが言うように親指を立てて、何時間も歩きました。よく見ると車を止めようとしていたのは僕らだけではなく前方にも後方にも、道路沿いのあちこちに何組もの人たちが親指を突き出していました。

 雨足はだんだんと本格的になってきました。それに合わせるかのようにヒッチハイカーたちはどこかに消え始めて少なくなってきました。車を止める競争相手ではあっても仲間が少なくなると僕は心細くなりました。このまま車が止まってくれなかったらどうしようかと、雨の中で夜を迎えることに恐怖心さえ覚えました。しかし、高橋さんは雨に濡れながらでも慣れている様子で陽気に親指を高々と挙げていました。僕の持っていた衣類には限りがあり寒さが身に応えました。僕らは交替で親指を突き出し続けながら幹線道路を歩きました。寒い上に雨に打たれながら、車の来る方向を見ながら後ろ向きに歩くのは本当にくたびれました。

 どれくらいの時間歩いたか記憶にありませんが一台の大型のトラックが止まってくれました。僕らはその車の運転席に駆け寄って息をハアーハアーさせながら「Brussels?」と聞きました。運転をしていた男は何やら説明をしてくれている様子でしたが僕らにはさっぱり分かりませんでした。便乗をしてもいいという事だけは分かったので僕らは、とりあえず、と思って乗り込みました。どれぐらいの時間、そのトラックに乗っていたのか覚えていません。
雨は上がっていました。やがてトラックはどこかの街に着き、止まりました。男は前方に見える鉄道の駅のようなのを指して、何やら言いました。ここで降りて電車に乗ってブラッセルまで行け、と言われているような気がしたのでThank youと言いながら降り、その駅へ向かって歩きました。小さな駅でした。幸い駅員がいたので「Brussels?」と言いました。高橋さんの英語は僕の耳にでも明らかにブロークンでした。しかし、当時の僕としては南アフリカで仕事をしていた人というだけで尊敬に値する人でしたから情報収集はもっぱら高橋さんに依存していました。
その高橋さんが理解したところではブラッセルまでは3~4つの駅でさほど遠くはないということでした。僕の地図で現在地を確認しようと試みましたが、その町があまりにも小さいせいか探すことができませんでした。

 プラットホームに電車が入って来ました。駅員の指示通りに切符を買って乗り込みました。電車に乗り込むときに駅員が、僕にも分かる単語の「Terminal station終着駅」と言っていたことが安心感となり、ぐったりと疲れを覚えました。
 
 僕は電車の中でリュックサックからユースホステルのガイドブックを出し、ブラッセルのホステルを捜しました。どうやら、中央駅から路面電車に少し乗ったところにありそうでした。ベッドに空きがあるだろうかと思いながらうとうととしました。

 写真は2005年12月。 
 パリからブラッセルへ向かう電車。軽い朝食付きで快適でした。

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