僕の45年間-232010/04/03 21:44

船旅の場合、飛行機とは違って荷物の重量制限が無いようなものですからアジア系の人々が帰国するときの荷物の量は「よくもマァ、こんなに」と思われるくらいすごいのです。
ボンベイで下船するインドの人々は、日本で買い込んできた物だけでは足らず、船内の売店でも手当たり次第に買い物をして、段ボール箱を幾つも幾つも荷造りをしていました。

ボンベイの港に入ったのは昼前でした。接岸をすると大きな歓声が上がりました。今までのどこの港でも下船する人々はいましたがボンベイが一番多いような気がしました。
大きな荷物を肩に載せて、半ばふらふらしながらタラップを幾度も往復し、大事な土産を上陸させていました。

セイロンの時には、僕は下船が遅れてバスのひとり旅を強いられましたが今回は一人にならないように、同じ船室の人たちと行動をともにするように心がけました。
一緒に下船をして、かんかん照りのボンベイの街へ繰り出しました。
横浜を出帆して以来、どの地も激しく暑く、相変わらず冬物の衣類しか持たない僕にはこたえました。特にウールのズボンはどうにもならず、我慢、我慢でした。

ボンベイは、呼称が1995年に変わりムンバイとなりました。しかし、僕の記憶の中ではやはりボンベイです。
港からバスで街中に入ると、街の匂いが気になり始めました。
甘ずっぱい腐敗臭のようなのが漂っていました。道ばたにはたくさんの物乞いをする人々がいました。路上の子供達はまとわりついて金銭をねだっていました。
暑さと異臭と、彫りの深い褐色の人々の何かを凝視しているような大きな目は、僕を精神的に追い詰めていました。僕は精神的な疲労感を強く覚えました。

写真は米屋。奥には店番を昼寝をしながらする少年がいます。
黒く点々がありますがハエです。
(カンボジアのシュムリアップ)

コメント

_ 南川泰三 ― 2010/04/11 05:03

長い45年間の物語、再び快調にスタートしましたね。それにしてもこの記憶力すごいです。日記にでもつけていたんですか?僕は45年前なんて真っ白です。記憶を辿っているというよりも、まるで昨日まで旅して帰ってきたようなリアルさんに驚きます。

_ 大坂忠 ― 2010/04/12 22:04

書き込みをありがとうございます。
>日記にでもつけていたんですか?
あいにくそのような几帳面さはありません。
単純に憶えていることは覚えていて、覚えていないことは書けていない、ということだと思います。

僕は今月で65歳になります。しかし、45年前のカンボジア号での体験などは昨日の出来事のような気がするのです。
まあ、年中お金が無くて、腹一杯メシを食いたいと、そのことばかりを考えていたように思うのですが。

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