僕の45年間-252010/04/15 23:53

 ボンベイには3泊しました。
 最後の夜が12月31日でした。僕は横浜を出て以来、船に揺られている以外は何の予定もありませんでしたから曜日や日付の意識が薄れていました。31日になってそれが大晦日だと分かる始末でした。
 多分、周りではとうに大晦日のことが話題になっていたのだろうと思います。しかし、英語の不得意な僕には「情報収集」の源が限られていて、気づきませんでした。この経験は後々、役に立ちました。つまり、言葉のやりとりでは分かったことしか分かっていない、という単純なことなのです。
 自分が知りたいと思ったことは身振り手振りででも何とかしますが、それ以外のことはなかなか耳に入ってこないのです。レストランで、隣のテーブルの人たちが話していた内容を何気なく理解するなどということは無理だということなのです。それ以来、僕は人と話していても「分かっていないことがあるかもしれない」「聞き取れなかったことがあるかもしれない」という意識を強く持つようになりました。

 前に書いたイギリスの下宿屋でのことを思い出します。下宿のFifyおばさんは買い物に出かけるときにいつも同じことを階段下から叫んでいました。
「I want to be late.」そのたびに僕は「あ、遅くなるのだな」と思っていました。しかし、Fifyおばさんは「I'm back」と言ってすぐに戻ってきました。僕はそのたびに「あ、用事が早く済んだんだ」とペンキを塗りながら勝手に分かったつもりでいました。
この文章が「I won't to be late.=I will not be late.」であると気づくまで何日もかかりました。ここで白状するのも恥ずかしいくらいの英語力でした。
 日本の多くの人は英語について「単語さえ分かれば何とかなるよ」といいますが意外とそうでもないような気がします。

 船は元旦の早朝に出帆の予定でしたから、街に繰り出していた船客は比較的早々と船に戻ってきました。
11時頃から皆、そわそわし出しました。酒を飲める人たちはビールやワインを手にして甲板に集まり始めました。
 港にはたくさんの客船や貨物船が停泊していました。沖には入港を待っている船もいました。どの船もありったけの電飾を施したようにまぶしく輝いていました。
 12時になると、港に停泊をしていた船は一斉に汽笛を鳴らし始めました。
 1967年の始まりでした。

写真はマーケットの総菜店。(カンボジアのシュムリアップ)
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