街頭募金活動2009/08/30 19:57

今日は僕が所属しているある団体の街頭募金活動に参加しました。
例年のことですが僕の主な役割は記録用の写真を撮ることです。


毎回思うことは「人は見かけによらない」ということです。
駅前通りを通行中の人々にビラを配りながら「小児麻痺撲滅にご協力くださ~い!」と叫ぶのです。
僕は募金箱にお金を入れてくれる瞬間を狙ってパチリとやりたいので人の動きを目で追っています。心の中では「この人はビラを受け取ってくれるかな」とか「この若い男女は感心がないだろうな」などと勝手に想像しています。僕の想像が正しかったかどうかの結論はすぐに分かります。それは良いほうにも悪いほうにも大方はずれです。
ぼろぼろ風のジーパンを履いた若い男子数人がおしゃべりをしながら連なって歩いています。だんだんこっちに近づいて来ます。当然?僕の予想は「関心なし」なのですが結果は・・・はずれです。今にも破れそうなお尻のポケットからごそごそと財布を取り出して、ジャラン、ジャランと気持ちよく小銭を入れてくれます。
また、いかにも裕福そうな紳士や淑女には大いなる期待感を持って「お願いし~す」と声をかけます、が、「う~ん、残念」となることがほとんとなのです。が、ときどき、「あ~ぁ、募金箱を通り過ぎてしまった。」と予想が外れて悔しく思った瞬間、Uターンをしてスタスタと募金箱へ、ということもあります。



妻の経験則では、外出時にドアを開けて、お先にどうぞ、と声をかけてくれるのは不良っぽい若い男性が多いということです。



多分、その人の、その場面での思考や行動は僕の予想に反していることが多いのかも知れません。
僕はポートレートを撮るのが好きで、初対面でも撮らせてもらうこともあります。そのとき、被写体の人物のことをあれやこれや想像をしながら撮りますが、多分、はずれが多いのかなと思ってしまいます。



一般論として、我々が人物写真を見るとき、ある既成のイメージ(写真の文法)に当てはめてその写真を理解しようとしてしまうのかもしれません。少し極端かもしれませんが、しわだらけの手で農作業をしている人の写真なら、この写真は○○を表現したい、化粧品会社の広告塔のようにけばけばしい化粧をした女性の写真なら○○を表現しようとしている、と。


事実は小説より奇なり、と言います。自戒しなければと思います。
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