静かな写真-12009/08/03 22:51

僕はいろいろな写真作家の作品を展覧会や作品集で見ます。そんなときに気持ちの中でつぶやいている言葉は、「これいいな」「これ好きだな」程度のことです。理由を言葉で考えることはほとんどありません。
時々じっと、数分間見つめてしまうこともあります。かといって理由を探しているわけでもありません。その作品が発している「何か」を感じるからだろうと思うのですが、それを言葉で表現することは、僕にとっては大変難しいことです。


写真雑誌には月例作品がたくさん掲載されています。そして、批評家が数行の文章で何がよくて、何が悪いかを説明しています。中にはまれにですがなるほどと思わせる文章があり、写真表現を文章化することの可能性を感じさせることもあります。しかし、僕には難しすぎることです。


さて、ここに掲載の作品は、僕は好きなのですが、何がと問われれば言葉に窮してしまいます。皆さんはどうですか。

静かな写真-22009/08/04 21:58

僕は方々を歩き回ってこっちでパチリ、あっちでパチリと、いわゆるスナップショットを撮ることが多いのです。ある情景を発見し、瞬間的にカメラを構え、構図を決めてシャッターを押します。多くの場合、それに要する時間はほんの一瞬です。その一瞬の間にその写真を言葉で表現する・・・などはとてもできません。自分のそのときの感性以外に何もないのです。


結果、後々その写真をモニターでじっくり見て、なぜこれを撮ったのだろうと考え込んでしまうことが多いのです。そしてちょっと情けない気分になるのです。


腕の良し悪しはその人のベタ焼きを見ればわかると言われます。
ベタ焼きには失敗作も含めて全部が写っていますから僕のような下手人間はすぐに見破られてしまいます。でも大丈夫。デジタルですから失敗作は即「削除」。傑作?ばかりの腕前を誇ることができるのです。

静かな写真-32009/08/05 23:13

僕が取り組んでいる類の写真表現では、文章や絵画で可能なような完全に想像をして表現することはできないのです。どうしてもある状況が必要なのです。人物や物、風景が存在しなければシャッターの押しようがないのです。夜は夜の写真でしょうし、雨降りには雨降りの写真なのです。



写真は、表層的には確かにある状況をあるままに記録してると思います。この写真は「海岸公園のベンチにたたずんでいる人」ということは確かなのです。しかし、この人の心中はどうなのかと思えば、写真を見る人によって様々な「心中」が想像されます。作者が伝えたいこととはかけ離れている可能性も十分にあります。


皆さんはこの写真とどんな会話をなさいますか。

静かな写真-42009/08/06 14:24

「こんな作品は削除!」という声と「ちょっと待って!」というのが僕の気持ちの中で行ったり来たり。


「アングルに工夫がないな」とか「もうちょっと何とかならなかったの?」「布巾はなかった方がよかったんじゃなの」「いや、普段着の感じがいいんだよ」などなど、ぶつぶつ一人言。

静かな写真-52009/08/07 18:13

WEBである写真家のブログを読みました。その中に撮影後、モニターを見ながら削除をするのが半分くらいで、「実際に使う写真は撮影したのの1%くらい」という記述がありました。それは百枚の写真を撮って1枚しか使わないということです。
僕はどうかというと・・と考えてみました。
「削除」する勇気が不足しているので20%くらいしか削除できないでいると思います。主に手ぶれやアウトフォーカスの類ですね。
今は使わないけれどあとあと使えるときがあるかもしれないという気持ちが働いて、あれもこれもと保存してしまいます。外付けハードデスクの価格が安くなるに従って削除を躊躇することが多くなっているような気がします。

お知らせ2009/08/09 23:44

貴重な書き込みをしてくださっている方々へ。
いつも見に来て頂いてありがとうございます。
恐縮ですが、今後の書き込みは、僕が「承認」をしてから表示されるようになります。不本意ですがしばらくはこの方法で対処しようと思います。


8月1日以降、昨日までのページは非公開にさせて頂きます。いかがわしい書き込みだけを削除したいのですが難しいようなのでご了承ください。



「言論の自由」は尊重し、辛口のコメントも大歓迎です。しかし、ポルノサイトの類の宣伝は固くお断りします。


今回の写真はトゲのあるバラです。

静かな写真-62009/08/10 14:33

年から年中観光客で賑わう小樽ですがつかの間、人通りが絶え、静けさが戻ってきたところです。
観光とは無縁な、地元の人々の生活が垣間見られる一瞬です。


いかがわしい書き込みを削除する方法が分かりましたので元に戻しました。
今後もどうぞよろしくお願いします。

静かな写真-72009/08/11 19:05

僕はどこへ行っても、古道具屋や骨董屋があると入りたくなります。
どこの誰か分からない、しかし、間違いなく、その時代に存在したであろう人の人生をちょっと覗きたくなるのです。
西欧の古本屋の入り口には昔の家族写真や実際に使われた絵はがきが乱雑に箱に入って売られています。そんなのを見るとその家族の会話が聞こえてきそうな気さえします。


最新の建材を用いた建物もいいのですが写真のようなのも好きです。
何十年も手入れをしながら住んできたという証のようなものが、また、その住人の人生すら見えるような気がします。
建物だけに限らず、古箪笥とかの家具や古本にも同じようなことを感じることがあります。

静かな写真-82009/08/12 19:47

札幌南区に芸術の森というのがあります。
http://www.artpark.or.jp/yagai/index.html

「起伏に富んだ緑豊かな自然のなかに広がる札幌芸術の森野外美術館。7.5ヘクタールの敷地には、日本を中心とした現代を代表する彫刻家の作品や、ノルウェーの彫刻家グスタフ・ヴィーゲランの作品、札幌の姉妹都市のからの寄贈作品など、64作家73点の彫刻が展示されています。」

併せて、 宮ノ森の彫刻美術館へも行きました。
http://www.hongoshin-smos.jp/

ということでたくさんの彫刻作品を鑑賞しました。
まだの方は是非お出かけください。
見応えがあります。


新しい言葉を学びました。「トルソ」です。
人間の頭部・腕・足・脚を除いた胴体部分のみを造形した彫刻作品で、イタリア語で「木の幹」や「胴体」を意味する torso が語源である、と教わりました。たくさんの作品の題にトルソが使われていたので疑問に思い解説員に尋ねました。
頭部・腕・足・脚を省略することで鑑賞者により多くの想像する自由を与えるのが目的だそうです。
ミロのヴィーナスも五体満足でないからこそ、様々な見方ができ想像をかき立ててくれる、ということでした。


モノクロや後ろ姿の写真にもそういう面がありそうな気がします。

静かな写真-92009/08/13 19:09

僕はあと10年、つまり75歳くらいまでは元気で写真を撮ることができればいいな、と日頃思っていました。僕の周りに75歳くらいの人がいると、なるほど、このくらい元気でいられるのかと、勝手にその人を目標のように思っていました。それが一気に5歳も伸びてしまいました。
僕の目標は75歳ではなくYさんになりました。


Yさんにお目にかかったのは火曜日でした。7~8年ぶりのことでした。
今は引退をしてオホーツク海に面した町に住んでいる方です。僕は30年ほど前に5年くらいホテルで働いたことがありますが、Yさんはその当時の総支配人だった方です。
札幌に出る用事があるので会いたいという電話を頂いてから、Yさんは幾つになるのかなァ~と妻と話しました。僕は電話の声の印象からずいぶんと老けたんじゃないかな、と思いました。


当日、今、地下鉄の駅に着きました、という電話を頂き迎えに行きました。歩きながら僕の頭の中は電話の声から想像した老けた感じのYさんが浮かんでいました。しかし、そんな想像は木っ端みじんに打ち砕かれました。駅前に立っているYさんは7~8年前とはさほど変わりなく、しゃきっと、にこにこと立っておられました。僕はドギッとさえしました。


僕は本当にドギッとしたのです。
一緒に食事をしながら3時間以上もおしゃべりをしましたがYさんの元気は本物でした。僕が使っている携帯電話よりも最新の複雑そうなのを何の苦もなく使いこなし、今もスキューバダイビングをし、
と元気120%でした。


あと15年たって、僕は60歳代の人をドギッとさせるほど元気でいられるだろうか?と、少々不安になってきました。


関東、関西方面は暑さが続いているようですね。
ほんの少しですが涼をお届けします。
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