写真家ソール・ライター ― 2016/06/07 20:40
昨日は久しぶりにある写真家のドキュメンタリーDVDを観ました。
http://saulleiter-movie.com/
『写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』という作品です。原題は「In No Great Hurry: 13 Lessons in Life with Saul 」です。
全国で上映されているようですから、すでにご覧になっている方も多いかもしれません。しかし、北海道での上映は、どこの映画館の予定表にも見当たらず、悔しいです。ということでアメリカのアマゾンから英語版のDVDを取り寄せました。
ソール・ライターの人生のすべてが所狭しと散乱しているとしか見受けられない(映像では間違いなく無数の、さまざまなサイズの空き箱に入れられたネガやプリント、書きかけの文章らしきものが無造作に積まれている)部屋の中でぶつぶつとつぶやいている、というだけの映画です。そのドキュメンタリーの中で数枚の作品が紹介されているのです。
<ギャラリー>
http://saulleiter-movie.com/gallery.html
僕は年明けから、これまでの街撮り写真を整理する作業をしているのですが、その基準を示してもらったような気がしています。
僕は自分なりに取り組んできたカラー写真での表現の仕方に、ある種の方向性を探し当てたような気さえして、大変楽しい映画鑑賞でした。 お勧めです。
写真は拙宅の窓の下に見える駐車場です。2016年1月
玉突き屋の千代さん ― 2016/06/10 04:32
そう思っていた矢先、まっさんというニックネームの、何度かお店でお会いしたことがある方からこのブログを通して連絡をいただきました。
夕べ早速に拝見させてもらいました。久しぶりに保名倶楽部の雰囲気に触れて、大変うれしく涙が出そうになってしまいました。
千代さんは相変わらずいつものソファーの所にいてしっかりと店番をなさっています。
https://thepage.jp/osaka/detail/20160223-00000001-wordleafv
「ドラマのロケ地にも 昭和の雰囲気漂う阿倍野のビリヤード場へ」
を開いて是非ご覧になってください。
孤独のグルメ ― 2016/06/13 20:13
食べた結果の行為、つまり、排せつ行為も然りなのではないでしょうか。「食べて出す」の行為は人間が動物であることを証明している極めて重要な行為であって、いかに文化文明が変化してもこの二つのことは覆い隠すことは難しいように思います。
僕はこの「孤独のグルメ」というTV番組が好きでよく観ます。今はすでに放送されていません、というか、それは定かには分かりません。僕が最初に観たのは何年か前に偶然、どこかのチャンネルで再放送をやっている時だったような気がします。あるいは、レンタルビデオ店で見かけて借りたのかもしれません。
登場人物は主人公である井之頭五郎と食堂の店主やその周辺の人々です。原作は、僕は読んだことがありませんが久住昌之(原作)と谷口ジロー(作画)による漫画らしいです。
個人で雑貨の輸入商を営んでいる井之頭五郎(松重豊)が、仕事の合間に立ち寄った店で食事をする様子を描いたもので多くは昼食です。従って、登場するのは東京やその周辺の商店街でのこととなります。また、高級なレストランなどではなく、居酒屋風であったり大衆的なエスニック料理店などがほとんどです。
番組ではその井之頭五郎のことを冒頭でこう説明をします。
時間や社会に囚われず、
幸福に空腹を満たすとき、
つかの間、彼は自分勝手になり、
自由になる。
誰にも邪魔されず、
気を遣わずものを食べるという孤高の行為。
この行為こそが、
現代人に平等に与えられた最高の癒し、
と言えるのである。
何が孤高なのかはよくわかりませんが、自由に生きたいという雰囲気は十二分に伝わってきます。当然、特定の恋人はいない、と設定されています。
僕は「誰にも邪魔されず、気を遣わずものを食べるという孤高の行為」が冒頭で書いた動物的な行為であると思うのです。それは井之頭五郎の食べっぷりを見ると分かります。そして、もしかしたら、だれでも彼のように、つまり、文化文明によって隠された野蛮性か動物性を少しだけ露出し、むしゃむしゃ、ずるずるっと、皿や丼に猛攻撃をかける食事の仕方を実行したいという願望を保有しているのではないかと思うのです。
僕が好きなのは・・・家人がいないとき、十分なしょう油をかけてネバネバ最高にした納豆を熱いご飯にかけて、茶碗からあふれ出ないように注意深く、しかし、思いっきりかき混ぜて、納豆の美味しさがご飯にしっかり移動した、ドロドロネバネバご飯にします。その茶碗を口元にもってきてズルズルっと口の中に押し込むように食らうという・・・孤高の行為です。
予告編
https://youtu.be/VI_ycDMijrE
びっくり 228ヒット ― 2016/06/17 19:25
まあ、僕には調べようがありませんからこれをうのみにするしかありません。
そんなことで何かを書かなければと思いました。しかし、いつもながら大して気の利いた話題があるわけでもないので困っています。
僕がブログなるものを書き始めたのは2009年3月20日 20:45ということになっています。
http://tadashi.asablo.jp/blog/2009/03/
事の始まりは40年ぶりくらいで大学時代の同期生だった南川泰三氏に会うことができ、彼がブログを書いていたからです。
そのことはどっかで詳しく書いていますのでここでは省略します。
大まかに計算をすると初回以来、75ヶ月も経ったことになります。僕は多分64歳だったと思います。
長いこと書けないこともありましたが、それでもこのサイトを訪れてくださる方々に心から感謝したく思います。ありがとうございます。
これからもPCの操作を忘れない限りは駄文を書くだろうと思います。どうぞよろしくお願いします。
時々東京で写真展をやると、会場で・・・はどうなりましたか、とか、・・・の病気はもういいんですかなどなど声をかけられます。そのたびに僕はドギッとします。この方とはいつどこでお目にかかったのだろうと記憶をたどる作業をしても皆目見当がつかなく、そんな僕の表情を見てその方はハハハと笑い出します。
僕のブログを読んでくださっているほとんどの方を僕は知りません。僕が心臓発作を起こさないように、是非、投稿欄に書き込みをしていただきたいものです。
これを書いている間もカウンターは上昇気流に乗っています。僕は何か失態をやったのではないかと少しばかり心配になってきました。
「わたしの自由について」 ― 2016/06/26 21:19
表題のドキュメンタリーを札幌プラザ2・5で観てきました。
奥田愛基氏は「30年後にも、70年経った今と同じように、100年間戦争をやらない国で幸せだ」と言いたい。また、「後世の人々に誇れる社会を作りたい。あの時、自分は何もしなかった」とは言いたくない、と語っています。
僕も「何もしなかった」と思いながら残された時間を生きたくありません。僕は原発の安全神話を信じ、原発政策に何の疑念も持ちませんでした。それと同じ間違い、つまり、日本の為政者を盲目的に信頼するという過ちを2度とやってはならないと強く思っています。そのために、体力気力がある限り、能動的に自由を制限しようとする憲法改変や原発再稼働に反対し、次世代、次々世代の人々が戦争や原発事故におびえることなく生活ができる社会を実現したいものだと思っています。
この作品は3時間も大作です。しかし、途中で席を立つ人は一人もいませんでした。観客はたくさんの若い方々が懸命に憲法を勉強し、若い彼らの次の世代のことを心配している姿に感動を覚えていたと、僕は思います。上映が終わった時には館内に割れんばかりの拍手が起こっていました。
ホームページから
「終わったなら、はじめるぞ」
2015年夏、路上で声を上げ続け国会前を群衆で埋め尽くした学生団体「SEALDs」。
彼らの激動の夏に密着したドキュメンタリー。
東京を中心に立ち上がった、学生団体「SEALDs」(シールズ : Students Emergency Action for Liberal Democracy-s / 自由と民主主義のための学生緊急行動)は、2015年6月から毎週金曜日に国会議事堂前で安保関連法案に対する抗議活動を開始した。
その動きはメディアやSNSを通して幅広い共感を呼び、世代や信条を越え、「デモ」は瞬く間に日本全土に広がった。
この映画は、数名の若者たちが手探りではじめた社会運動の、半年間の記録である。
http://redemos.com/
「3分の2をめぐる最終攻防戦」 ― 2016/06/28 00:36
●自民党の憲法を変更する案が正式に公表されています。その中の注意すべきことの一例は下記のことです。
http://www.dan.co.jp/~dankogai/blog/constitution-jimin.html
<現在の文言>
第3章 国民の権利及び義務
第11条(基本的人権の享有) 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
<自民党の提案>
第11条(基本的人権の享有)を削除しようとしています。
つまり、赤文字のようなことが「基本的人権」です。自公が憲法を変えるなら、国民はこれらの権利を失うのです。
好きな仕事を選んだり、好きな勉強をしたり、むろん、好きな音楽を聴いたり、好きな本を読んだり、などの権利が保障されなくなります。万が一犯罪に巻き込まれた場合には公正な裁判すら受けられるかどうかわかりません。
よ~く考えて、投票しましょうよ。
●投票に行きましょう。
野党(自民党と公明党以外)を支えましょう。政権は取れなくてもいいのです。自民党に好き勝手(憲法の変更)にやらせないためのブレーキをかけることが出来れば今の生活の仕方(基本的人権に基づいて)を何とか守ることできます。
●3分の2をめぐる最終攻防戦
衆議院の2/3を獲得されないようにすることです。もし、自公が衆議院の2/3を獲得すれば憲法を変える発議がされるのです。
http://koredeiino-nihon.jp/2-3/
●7月10日まで毎日が投票日
<札幌市のHPより>
期日前投票ができるのは、次のような場合です。
http://www.city.sapporo.jp/…/keiha…/fuzai_kijitsu/index.html
・投票日に仕事や学校、冠婚葬祭などで投票所へ行けない見込みのとき。
・旅行やレジャー、買い物などで、投票日に出かける見込みのとき。
・病気やけが、身体の障がいなどのため、歩行が困難なとき。
届いたハガキを紛失したり忘れたりした場合でも、選挙人名簿に登録されている有権者であれば期日前投票をすることができますので、その場合は期日前投票所に備え付けてある期日前投票宣誓書にその場でご記入ください。
投票日に、選挙人名簿に登録されている市町村以外の市町村に出張や旅行などで滞在されている方や、指定を受けた病院や老人ホームなどに入院・入所している方及び身体に一定の障がい等がある方は、不在者投票により事前に投票することができます。
詳しくは下記のページをご覧ください。
・出張や旅行などの滞在先で投票する場合
http://www.city.sapporo.jp/…/k…/fuzai_kijitsu/031_fzn04.html
・入院・入所中の病院や老人ホームなどで投票する場合
http://www.city.sapporo.jp/…/k…/fuzai_kijitsu/031_fzn05.html
・身体に一定の障がい等があり自宅で投票する場合(障がいなどで投票に行けない方へ)
http://www.city.sapporo.jp/…/fuzai_kijitsu/yubintouhyou.html
★再度、選挙権を行使してください。棄権は危険です!!!
浜矩子氏が警鐘 ― 2016/06/28 18:17
「アベノミクスは極限的ファシズム経済学」
浜矩子・同志社大大学院教授(C)日刊ゲンダイ 2015年8月23日
経済政策の本来の役割は、崩れた均衡の回復と弱者の救済です。この2つは表裏一体で、切っても切れない関係にあります。例えば、ものすごいインフレになれば、たちどころに傷つくのは経済基盤が脆弱な人たちです。だから、経済の均衡を保ちながら、困っている弱者に手を差し伸べる。それが政治に与えられた使命なのです。
ところが安倍政権は、そういうところには目が向かず、盛んに強さをプロモーションしようとしています。「再び世界の中心で輝く日本になる」などと宣言し、強者をより強くする政策を推し進めています。こうした発想は、実にファシズム的ですね。
ムソリーニもフランコもスターリンも、歴史に名を残したファシストたちは、誇大妄想に駆られて強さを追い求め、国内外に力を誇示しようとしました。巨大建造物の建設に固執したり、世界的なスポーツイベントを誘致したりといった行動は、その表れです。実際にムソリーニはイタリアにワールドカップを誘致し、ヒトラーもベルリンでオリンピックを開催した。ヒトラーは、ベルリンを巨大な建造物が並ぶ「世界首都ゲルマニア」にしようという構想もぶち上げています。
2本の巨大アーチが目を引く新競技場を目玉にして、五輪の誘致に血道を上げていた安倍首相の姿は、過去のファシストたちと非常に似ています。
そもそも、一枚看板のアベノミクスからして、ファシズム的な経済政策です。
日銀のマネタリーベースは7月末で325兆円となり、GDPの6割を超えています。政府が発行する長期国債を市場からバンバン買っているためですが、GDP比の4割近くにまで達した終戦直前の異常な状態に比べても、さらに高いのです。中央銀行が通貨価値の番人としての位置づけの放棄を強いられて、国家のための通貨供給装置となるというのは、最も極限的な「ファシズムの経済学」だといえるでしょう。それを看板政策として推し進めているのが安倍政権なのです。
今年4月に訪米した際、米国の笹川財団で「私の外交・安全保障政策は、アベノミクスと表裏一体であります」とスピーチ。その真意を記者に聞かれると、「経済を成長させ、そしてGDPを増やしていく。それは社会保障の財政基盤を強くすることになりますし、当然、防衛費をしっかりと増やしていくこともできます」と解説しました。
明治維新の富国強兵は、富国のための強兵でした。欧米列強の植民地となり、国土を食い散らかされないための強兵です。しかし、安倍政権のそれは、強兵のための富国、防衛費を増やすためのアベノミクスにほかならない。まさに、過去のファシストが追求した強さや力に固執するために、経済を成長させようとしている。そのためには、弱者を切り捨て、日銀の自由も取り上げた。そう米国で白状したのです。
異論を認めず、多様性を否定したファシズムに取りつかれた指導者たちは、国家を崩壊させています。日本もその二の舞いになる危険性は高いでしょうね。
(浜矩子・同志社大大学院教授)
http://blogos.com/article/73760/
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