孤独のグルメ2016/06/13 20:13

 僕は、食事作法というのは他者に不快感を与えないように考えられたものではないかと思っています。つまり、食べる行為は、本来は大変野蛮な行為であって、見た目は美しいものではないとさえ思うのです。
 食べた結果の行為、つまり、排せつ行為も然りなのではないでしょうか。「食べて出す」の行為は人間が動物であることを証明している極めて重要な行為であって、いかに文化文明が変化してもこの二つのことは覆い隠すことは難しいように思います。

 僕はこの「孤独のグルメ」というTV番組が好きでよく観ます。今はすでに放送されていません、というか、それは定かには分かりません。僕が最初に観たのは何年か前に偶然、どこかのチャンネルで再放送をやっている時だったような気がします。あるいは、レンタルビデオ店で見かけて借りたのかもしれません。
 
 登場人物は主人公である井之頭五郎と食堂の店主やその周辺の人々です。原作は、僕は読んだことがありませんが久住昌之(原作)と谷口ジロー(作画)による漫画らしいです。

 個人で雑貨の輸入商を営んでいる井之頭五郎(松重豊)が、仕事の合間に立ち寄った店で食事をする様子を描いたもので多くは昼食です。従って、登場するのは東京やその周辺の商店街でのこととなります。また、高級なレストランなどではなく、居酒屋風であったり大衆的なエスニック料理店などがほとんどです。
 
 番組ではその井之頭五郎のことを冒頭でこう説明をします。

時間や社会に囚われず、
幸福に空腹を満たすとき、
つかの間、彼は自分勝手になり、
自由になる。
誰にも邪魔されず、
気を遣わずものを食べるという孤高の行為。
この行為こそが、
現代人に平等に与えられた最高の癒し、
と言えるのである。

 何が孤高なのかはよくわかりませんが、自由に生きたいという雰囲気は十二分に伝わってきます。当然、特定の恋人はいない、と設定されています。

 僕は「誰にも邪魔されず、気を遣わずものを食べるという孤高の行為」が冒頭で書いた動物的な行為であると思うのです。それは井之頭五郎の食べっぷりを見ると分かります。そして、もしかしたら、だれでも彼のように、つまり、文化文明によって隠された野蛮性か動物性を少しだけ露出し、むしゃむしゃ、ずるずるっと、皿や丼に猛攻撃をかける食事の仕方を実行したいという願望を保有しているのではないかと思うのです。

 僕が好きなのは・・・家人がいないとき、十分なしょう油をかけてネバネバ最高にした納豆を熱いご飯にかけて、茶碗からあふれ出ないように注意深く、しかし、思いっきりかき混ぜて、納豆の美味しさがご飯にしっかり移動した、ドロドロネバネバご飯にします。その茶碗を口元にもってきてズルズルっと口の中に押し込むように食らうという・・・孤高の行為です。

予告編
https://youtu.be/VI_ycDMijrE

コメント

_ ラボフューズ いとう ― 2016/06/14 21:41

今年のお正月頃の放映で、旭川にもロケに来られていましたね(^_^)
昔ながらの路地にあるお店を紹介していたように記憶しています。

ちなみに、納豆が苦手な私です(p_-)
ようやく昨年頃から、オクラを克服しましたが、ネバネバがどうしても苦手なのです。f^_^;

_ 大坂忠 ― 2016/06/15 01:17

いとう さん、旭川での作品にはまだお目にかかっていません。楽しみです。
そうですか、納豆にはてこずっていますか。残念(笑)
僕は塩辛とかすじこが・・全く手が出ません。
なかなか、温かくなりませんね。

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