安倍晋三政権2015/09/21 10:43

 今朝の札幌は秋晴れです。雲一つなくどこまでも青空が広がっています。それとは正反対に、安倍晋三政権の暴挙に無性に腹立たしさを感じます。

朝日新聞デジタル2015年9月20日23時22分
安保法、反対51%・賛成30% 朝日新聞世論調査
http://digital.asahi.com/articles/ASH9N4TWPH9NUZPS004.html?iref=comtop_pickup_03

 「安全保障関連法が19日未明に成立したことを受け、朝日新聞社は19、20両日に全国緊急世論調査(電話)を実施した。安保関連法に「賛成」は30%、「反対」は51%で、法律が成立してもなお反対が半数を占めた。国会での議論が「尽くされていない」は75%、安倍政権が国民の理解を得ようとする努力を「十分にしてこなかった」は74%に上った。

 内閣支持率は35%(9月12、13両日の前回調査は36%)で、第2次安倍内閣の発足以降、最も低かった。不支持率は45%(同42%)だった。参院特別委員会で採決が強行され、本会議で可決、成立した国会での進め方は「よくなかった」が67%で、「よかった」の16%を大きく上回った。自民支持層でも「よくなかった」が48%で、「よかった」の34%を上回った。」

 僕が一番納得ができないのは、安倍政権は自分が権力者として実行したい法整備を正当な手順を踏まずに行ったことです。
 時代時代の権力者がそれぞれの理想を実行しようと、あれやこれやの政策を練るのは当然のことです。そのための法整備も行われるでしょう。しかし、いずれも憲法はもとより、関連法に制約されて行われるのです。特に憲法は為政者が暴走をしないようにするための歯止めなのです。

 「憲法学者211人が違憲、合憲は右翼の3人」

 大なり小なり多数の憲法学者が安全保障関連法は違憲であることを表明しています。僕には充分な知識がありませんから正直、判断できません。しかし、分かることもあります。
 国会での安倍首相の答弁は、誠心誠意国民に理解をしてほしい、と考えているようには聞こえないという事です。意図的にはぐらかす、感情的な言葉を発するという所作をTVで見ていると、安倍首相は国民の目から何かを隠そうとしているとしか思えないのです。
 国民に嘘を言ってだますつもりが無いのなら、野党の質問に真正面から答えるなり、国民に説明をすればよいと思うのです。国民のためを思って自らの理想を実行しようと思うならもっと正々堂々とした姿勢をもって答弁をしたらよいと思うのです。

 安全保障関連法が合憲かどうかはこれから全国的に起こるだろうと思われる訴訟の結果を待つことになるだろうと思います。

 写真は先日の特別委員会での採決の模様です。朝日新聞の写真です。
 先に書いた「法整備を正当な手順を踏まずに行った」ことを物理的に示しているのがこの写真です。
 このような採決の仕方をもって合法的に採決されたとするのは、僕は理解に苦しみます。繰り返しになりますが、僕にとっては安全保障関連法が合憲か否かの判断は難しいことです。しかし、この採決が合法か否かは分かります。この写真は単純に言力を否定し、暴力的に採決をしたことを示しているからです。

 僕は法的手順を踏まえず、国民の疑問に誠意をもって答えようとしない総理大臣は、日本国民にふさわしくないと考えています。

投票とデモは代議制民主社会を支える2輪2015/09/21 22:48

朝日新聞 2015.9.21 朝刊
「安保とデモ、刻まれた主権者意識 特別編集委員・山中季広」

 後世の人々が「2015年安保」をネットで検索したら、首相の写真よりSEALDs(シールズ)のデモ映像の方が多く見つかることだろう。

 「立憲主義って何だ」「戦争したくなくてふるえる」。戦地へ送られかねない世代の憤りをみごとに可視化した。

 批判も浴びた。国会審議中は「デモで政策を変えるなんて代議制の全否定」。成立後は「結局はムダだったじゃないか」と。

 言うまでもなく、投票とデモは代議制民主社会を支える2輪である。主輪はたしかに投票だろう。デモという補助輪なしでも安全に進む車が理想的だ。

 しかしドライバーが主輪1本で危険な運転を始めた時は違う。補助輪を回さねばならない。ドライバーが行き先をたがえた場合、補助輪の役割は大きくなる。

 昨年の総選挙で首相は、アベノミクスを唯一の争点かのごとく強調した。党の公約2万7千字中、安全保障はわずか数百字。「集団的自衛権」の文字もない。安保法案提出を明言したとはいえ、選挙戦は増税先送りの大宣伝だった。行く先を偽られたような感がぬぐえない。

 審議はぶざまな幕切れとなったが、落胆する必要はない。海外での大がかりな街頭行動を見ても、若者たちの望む政策がただちに実現した例は少ない。大切なのは、同時代の主権者の胸に何を刻んだかだろう。

 たとえば4年前の米ウォール街占拠の場合、行きすぎた経済格差に目を光らせる機運が生じた。公的資金の投入によって危機を脱した企業が経営陣にいくら報酬を払っているか、社会の目は厳しくなった。

 学生の就職志向も変わった。金融大手に憧れた就活生が「強欲企業」と呼んで避けるようになった。学費ローンの返済に悩む低所得の卒業生をどう救うか、議論は具体化してきた。

 民主選挙を求めた香港の雨傘革命では、学生たちが、香港政府を操る中国共産党の怖さを身をもって知った。「経済一辺倒で政治に沈黙し続けた親世代の轍(てつ)は踏まない」。そんな覚悟が10代にまで浸透した。

 米国や香港の若い世代には挫折感も残る。だがその主権者意識が以前の状態に戻ることはなかった。

 今回は日本でも、主権者意識が驚嘆すべき高まりを見せた。高校生や俳優、元裁判官ら勇を鼓し、しがらみを排して声をあげた人の何と多かったことか。

 政治色がタブーとされる日本では異例の現象である。今回到達した民意の地平は、今後もさらなる高みへ向かうはずだ。

 今後は、安保法制が有効かどうかを争う違憲訴訟が提起されるだろう。来夏には18歳と19歳が初参加する参院選が控える。

 この社会の主輪と補助輪を回すのは私たち有権者の仕事である。1億2千万人の乗った車をみすみす壊すわけにはいかない。

「政権の暴走」というキーワード2015/09/23 21:09

朝日新聞デジタル2015年9月20日(政治断簡)
「暴走」政権の行き着く先は    編集委員・前田直人

 死力を尽くすような連日の反対デモ。安全保障関連法の成立を譲らぬ安倍政権。その対立の一線で飛び交ってきた「政権の暴走」というキーワードがいま、脳裏をよぎる。

 あわせて思い出すのは、安倍晋三首相が今月4日に出演した民放テレビ番組で語ったこんな言葉である。

 「よく『暴走』と言いますがね。暴走してどこへ行くんですか。いったい、私が暴走して何をするんですか。むしろ『暴走する』と言う人に聞きたいんですよ」

 暴走しているつもりはない、ということらしい。反対する人たちとのすれ違いを象徴する発言だった。

     *

 国会が緊迫しつつあった16日朝、東京のJR恵比寿駅前。「安倍政権の暴走許さない」などと書かれたプラカードを掲げる人たちがいた。

 喜劇の老舗劇団テアトル・エコーの団員約30人。「安保法制と安倍政権の暴走を許さない演劇人・舞台表現者の会」が、それぞれの最寄り駅でおこなうよう各劇団に呼びかけた抗議行動だった。

 いつもは夢と笑いをふりまいている劇団員たち。静かにたたずむ駅頭の姿は、そのイメージとはまるで違った。

 演劇制作部長の白川浩司さん(42)が、思いつめたように話してくれた。

 「国会の答弁はしどろもどろなのに、数の論理で成立を押しつけてきた。なぜそんなに急ぐのか。まったく納得できない。私たちの先輩は戦前の反省を踏まえた反戦平和、民主主義を大切にしてきた。それが崩されるのが怖い。声をあげないと大変なことになると思っているんです」

 多くの「違憲」の指摘をかえりみず、国会答弁はブレ続け、自民党からは高圧的な発言が続出。思想や主張が異なる人の声を切り捨て、自らに同調する人のみを大事にする。そんな姿勢こそが、「暴走」と映っているのだ。

 「安倍政権に反対すると、『左翼だ』と切り捨てられるような空気すら感じる。うちはノンポリの劇団です。いま立ち上がらなければ、後悔してしまうという思いで個人が声をあげているんです」

 豊かな表現に生きる人が「暴走」におののき、「つぶされてしまう」と感じるほどの危機感。かたや自民党の新憲法草案は国防軍創設をうたい、表現の自由や基本的人権を制約し、個人主義を軽んじる。不安の根は随所にある。

     *

 これまで安倍政権は、二つの顔を使い分けてきた。「経済最優先」だと言って選挙に臨むときの顔。そして、大型選挙が遠いうちに、特定秘密保護法と安保法制という不人気政策を通す顔である。

 「後出しじゃんけんがひどすぎる。もうだまされないぞ」と白川さんの不信感は募る。デモに参加した多くの人からも同じ思いを耳にした。

 次なる審判のときは、来夏の参院選である。こんどは選挙のあとになったら、どんな顔を見せるのだろう。

 「暴走」してどこに行くのか――。切り捨てられた反対者たちは、まさにそれを知りたがっているのである。

「憲法」とか「9条」という言葉2015/09/25 21:27

 今日も札幌大通公園に大勢の人たちが集合し「安倍政権打倒」を叫びました。その後、大通り3丁目からテレビ塔前まで、右折して大通りを東方面へ、駅前通りで右折、札幌駅直前までと結構な運動量でした。
 
 家を出るときには、外の風が冷たいかなと少し心配し、カッパをリュックサックに入れました。しかし、心配したほどではなく、歩き終わったころには少し、汗ばんでいました。

 僕は「憲法」とか「9条」という言葉をこれほど口にしたことはないと思います。僕の人生70年分以上を全部足してもここ数ヶ月分には及ばないだろうと思います。多分、デモ行進に一回参加しただけでも一生分になるだろうと思います。言い換えればそれぐらいのんびりと平和を享受し、危機感を持っていなかったという事なのでしょうと、改めて思いました。

 今日の叫びの中で傑作と思ったのは・・・・「賛成した議員はふるえて待っていろ!」というのでした。僕は思わず吹き出してしまいました。

日刊ゲンダイ創刊編集長逝く2015/09/30 20:47

 僕が「日刊ゲンダイ」を知ったのは最近のことです。安保法制のことがフェイスブックFB上で盛んに話題になり多くの人々がこの新聞を引用しているのを読み始めたのが始まりです。

 僕は小さいころから主に朝日新聞を読んできました。当時の家では毎日新聞や経済新聞、地元紙が定期購読されていましたが、なぜか朝日に一番先に手が伸びていたように思います。今も同じようですが青森市での大手新聞は朝刊だけです。そのせいか、自宅に配達されるのは朝一番ではなく昼に近かったように記憶しています。

 土曜日の小学校は半ドンでした。父の仕事も半ドンでしたが帰宅は2時とか3時ころであったと思います。僕はお昼ご飯を食べたあと、新聞を読むのが楽しみでした。たくさん難しい漢字があったと思いますが飛ばして読んでいました。
 父が読む前の新聞ですから母は度々「お父さんはまだだからね」と言っていました。僕は注意深くページをめくりました。読み終わった後は気を付けて、余計なシワが寄らないように元のように折りたたみました。
 父は帰宅すると茶の間に座って、新聞に目を通します。しかし、ときどき、まだ読み終わってないのに僕に質問をしました。「何か面白い記事はあったか」と。折りたたみ方が上手でなかったのかなと不安に感じることもありましたが、多くの場合は記事への質問でした。そして、もう一回読んでおくように促されることもありました。

 そんなことで東京の学校に行った時も、今も、朝日新聞を読んでいます。しかし、度々、記事に批評の精神が不足しているなと感じることがありました。そんな時に日刊ゲンダイに出会いました。

 その論調は歯に衣を着せぬ単刀直入で、容赦なく為政者に向けられていると感じました。
 多くのスポーツ新聞のように子供には好ましくな記事もあります。それを差し引いても現政権に対する厳しい批判記事は一見の価値があると思っています。

 画像は初代編集長が亡くなったことを報じる2015年9月29日の記事です。
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