スーパー介護福祉士2014/02/26 00:00

 僕の母はグループホームにお世話になっています。ここで働く介護福祉士、いわゆる介護士さんたちは、僕に言わせるなら「スーパー介護士」の面々です。

 グループホームは認知症で介護を必要とする人にとって理想的な施設だと思います。そして、そこで働く人々は、多くの場合、家族が家庭で十分介護しきれない要介護者のお世話をしてくれるのです。

 先日、母は3度目の肺炎を患って入院をしました。肺炎の治療が終わった後、医師は数日、長くて一週間の命と宣告しました。その説明を聞いた「なるたきグループホーム」の施設長SさんとケアマネージャーHさんは担当の医師に「じゃ、うちで引き取って看取りをします」と宣言をしました。医師はしぶしぶ承諾をしました。

 病院では治療と看護を期待できますが介護は難しいのです。母が7年近くも生活の場としたグループホームが最後の看取りにかかわってくれることに僕たち家族はただ感謝の気持ちでいっぱいでした。

 SさんやHさんの介護への熱意は同時に的確な判断を生み、病院では考えられない入浴までも実行してくれました。
 母はベッドに横たわっているだけですが、2週間前に病院に入院していたときよりもはるかに快適で幸せのように見えます。

自然死2014/02/26 23:50

 僕は毎日グループホームに出向き母の様子を見ています。母が認識をしているかどうか定かでありませんが、「忠です。おはようございます」と耳元で声をかけます。しかし、反応はゼロです。その後は前日の様子と何か違いがあるか注意深くみます。母の場合は延命治療を施さないことになっていますから自然に枯れるのを待つのみです。

 母には病名はありません。したがって治療も投薬もありません。母の場合、多くの臓器が耐用年数を超えているわけで、点滴で何かを投与しても元の健康を取り戻せるわけではありません。僕は十分に老化し、固くなった血管に無理して点滴用の針を刺すことは母は
望んでいないと思っているのです。よって、点滴で水分の補給も行っていません。無論、本人が水分をほしがれば別ですがその兆候は全くありません。
 言い方が適当かどうかは別にして、放っておいて、様子を見ているだけです。残された時間をできるだけ苦痛なく快適にすごしてもらうための介護があるのみです。

 僕はそんな状況下で、日に6時間くらいは母と一緒にいるという経験をしています。

 写真は、少し春めいた気分にさせる今朝の青森湾。
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