生きること2014/02/23 15:26

今さらとは思いながら、母のベッド脇に数時間座っていて「人はなぜ生きるのか」と自分に問いたくなっています。
学生のころは頻繁に友人らとこのテーマについて議論をしたことを思い出します。
自分が68歳を過ぎて、目前には尊厳死を待つ母がいる状況でのこの質問は、当然ながら18~9のときのそれとは異質なものです。当時の議論が青臭かったと一蹴する気はありませんし、今の自分の内面で起こっている対話が上等だとも思いません。
大きな違いは、自分もベッドに横たわっている母のような状況に、遅かれ早かれ置かれることを意識していることです。

誰しも願うように、母は若い頃から「ポックリ死にたい」と言っていました。僕自身のことについてもそう願うのですが、こればかりは自分の意思よりも神様の御心が優先ですから自由が効きません。
できることなら母も、自分の番が来た時にも痛みに苦しむことなく逝きたいものだと切実に願うばかりです。
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