正月 ― 2014/01/02 19:51
僕が実家にいたのは14歳まででした。そのあとも学校が冬休みになると帰省をし、両親兄弟と正月を迎えてはいたはずなのですが、比較的鮮明に記憶に残っている家族との正月は14歳までです。
元旦には家族皆が新年の緊張感を持って早起きをしました。僕の役割はいつのように玄関を掃除することでした。玄関は4~5畳もあり、年末には餅つきもする大きさでした。掃除が終わったら来訪者が名刺を置くための紫の布を敷いた三方を一段高くなったところに据えます。
父は二つの神棚にお神酒を供えて手を合わせています。僕らも「早く拝んで!」と母にせかせられながら拝みました。母は台所で雑煮や来客のための準備に大忙しなのを知っていて、兄弟の誰かが「母さんは?」と言います。すると母は「父さんがワ(私)の分も拝んでる!」と大きな声が台所から返ってきていました。
当時の暖房はまきストーブと炬燵でした。話すたびに白い息が見え、雑煮を椀に盛るときにはもうもうと白い蒸気が部屋の中いっぱいに広がりました。
僕らが食べ終わる7時頃にはすでに次から次と父の仕事の関係の客が来て、玄関先で「新年おめでとうございま~す!」と声を張り上げています。
小さいころはそんな正月だったなと思いながら、僕はいつもと同じようにトーストを食べました。
写真は今朝10時過ぎのすすき野近辺
「9条にノーベル平和賞を」拡散希望 ― 2014/01/03 21:07
僕は「『憲法9条にノーベル平和賞を』実行委員会」の署名サイトを読んで署名をしました。(http://chn.ge/1bNX7Hb)
ご賛同いただける方には拡散をしていただけると幸いです。
東京新聞を(勝手に)世界イチにする会
◆「9条にノーベル平和賞を」 1人の母親の運動 広がる
(2014年1月3日 東京新聞朝刊)から抜粋
戦争放棄を定めた憲法9条にノーベル平和賞を―。神奈川県の女性が1人で始めた運動がある。荒唐無稽のようだが、ここにきて現実味を帯び始めた。ノーベル委員会への推薦資格のある大学教授らが協力を表明したのだ。
このアイデアを思いついたのは、神奈川県座間市の主婦、鷹巣直美さん(37)。一昨年、欧州連合(EU)が「地域の統合により、国家の和解と平和を進めた」として平和賞に選ばれた。 「戦後70年近くも日本に戦争をさせなかった9条にも資格がある」とひらめいた。安倍政権が改憲への動きを活発化する中、「受賞すれば9条を守れる」と思ったことも大きかった。
「社会問題に無関心な学生」だった鷹巣さんを変えたのが、留学先のオーストラリアで出会った各国の難民だった。戦火や暴力で心身共に深く傷つき、それでも立ち直ろうとする姿。「戦争に巻き込まれずに済んでいるのは平和憲法のおかげだ」と実感した。
7歳の長女と1歳の長男の子育ての傍ら、昨年1月からネット上で「9条にノーベル平和賞を」というキャンペーンを始めた。集めた署名は、ノルウェーのノーベル委員会に随時送った。しかし、委員会からはメールで「個人か団体に授与するもので憲法のように抽象的なものは候補になれない」との返信があった。
実は「9条にノーベル平和賞を」という運動は、今回が初めてではい。1991年に「第9条の会」を米国で立ち上げたオハイオ大名誉教授のチャールズ・オーバービー氏(87)が過去に推薦しようとしたが、鷹巣さんと同じ理由で委員会から断られた。
そこで鷹巣さんが考え付いたのが、「9条を保持している日本国民」という枠組みだった。 鷹巣さんが地元の市民団体などに話したところ、賛同する市民らによる実行委員会が昨年8月に発足した。石垣義昭共同代表(72)と、メンバーの岡田えり子さん(53)は「最初は受賞なんてできるのかと突飛に感じたが、署名を集めるうちに、それだけの価値が十分にあると確信するようになった」と口を揃える。
ノーベル平和賞のノミネートには、推薦人が必要となる。 資格があるのは、各国の国会議員や閣僚、大学の学長、社会科学や歴史学など一定分野が専門の教授。平和や外交政策の研究所長、国際裁判所裁判官、過去の受賞者やノーベル委員会の関係者も有効資格だ。
「実現性はある」と大学教授らに協力を呼び掛けると、推薦人が集まり始めた。その一人、勝村弘也・神戸松蔭女子学院大学教授(聖書学)は「戦争に直接関わらない国は世界で珍しい。それを改憲で崩そうとする動きに若い人の関心が希薄すぎると感じる。 こうした活動は日本社会がよって立つ土台を見直す機会になる」と評価する。
ノーベル平和賞の推薦締め切りは2月1日。昨年は259の個人、団体がノミネートされた。多くの推薦人が多様な理由で推薦することと、賛同する人の署名が多いほど、委員会へのアピールになるという。詳しくは「『憲法9条にノーベル平和賞を』実行委員会」の署名サイト(http://chn.ge/1bNX7Hb)
それは今でしょ! ― 2014/01/05 22:29
「常識を覆すか」は――年齢と共に自分に都合のいい時には常識的に、不都合があると無視をするという大変ご都合主義な面が強くなっているような気がします。
「今動くか~」は、流行語ではありませんがやはり、今でしょ!となります。しかし、それは次に続く「一生動かないか」との兼ね合いでは少し違います。多くの人の「一生」は定年退職をする年齢でほぼ終わっているような気がします。従って、今でしょ!は、ここ数年の間に行動を起こさなければ残された時間を有効活用ができないからという理由になります。
「未来の選択」もほぼ同じで、そろそろ一生を終えようという時季ですから「僕の未来はどうなるんだろう」の範囲は自分の葬式をどんなふうにやってほしいか程度のことです。
そんなことで、せいぜい考えるのは死ぬときには後悔をしないように、やれそうな事については即、今でしょ!。ちょっと無理かなと思える事なら気力が残っている間にあっさり、無理!ムリ!の引き出しに入れて忘れること、と思っています。
しかし、頭ではそんな風に思っているのですが気持ちも同じように整理がついているのかとなれば残念ながら凡人の僕には「否」です。
先日、中学時代からの友人に久しぶりに会いました。彼は「俺よう、大坂、あと5~6年して準備が出来たらヨットを買って日本を飛び出してさ~」「ヨットを買ったら一番にお前さんを招待するから乗ってくれ!」という話をしてくれました。
僕はその友人からの「ヨットを買ったゾ!」という吉報を楽しみに待っています。彼は本気でした。すでに必要な船舶関係の免許を取得し終わっています。僕も本気で連絡を待つつもりです。
読 書 ― 2014/01/09 19:09
しかし、本に興味がない人にとっては大変迷惑な助言なのかもしれません。
僕はというと、夢中になって手当たり次第に読んだ時代もありました。格好をつけて西田幾太郎やカフカを分からないまま読んだ時代もありました。今考えると赤面ものです。
同時に全く読まなかった時期もあります。ヨーロッパにいた数年はアルバイトに明け暮れていました。帰国して働きはめると小説を読むなどという時間は皆無でした。
僕が知っているのは遠藤周作の世代までです。1960年代後半から今の時代までの作家についは全くの空白というか無知です。
しかし、妻は本が大好きです。本と美味しいワインとコーヒーがあれば幸せというと方です。そのことは僕にとっては好都合で、妻が読んだ作品の感想を聴かせてもらって僕は読んだ気になっています。
僕は今、二十歳代前半のように一所懸命に本を読もうという気持ちがない時間を過ごしています。言い換えるなら本を読まない人の人生を経験しています。それでも何かが欠けていると思った事はなく、人生は楽しいと感じています。
報告
先の1月3日のブログに掲載した「世界各国に平和憲法を広めるために、日本国憲法、特に第9条、を保持している日本国民にノーベル平和賞を授与してください」のサイトでは「10,000人の賛同者が集まりました(1月6日現在)」と報告をしています。まだの方は是非、下記のサイトをご覧になってください。
http://tadashi.asablo.jp/blog/2014/01/03/7176438
署名サイト(http://chn.ge/1bNX7Hb)
ソロ~リ、ソロ~リの散歩 ― 2014/01/10 16:57
そんな中、午前中に2時間ほど散歩に出かけました。外出前に6階の拙宅の窓から外を見ると素晴らしい快晴でした。これじゃ、夕べは冷えたはずだと改めて思いました。
ここ2日ほどは降雪が無く、多くの歩道は歩行者によって踏み固められていました。マンションの玄関から恐る恐る一歩を踏み出しながら思いました。今日はあまりキョロキョロ周りを見ないで、歩くことに集中して前かがみで一歩づつ、と。
その圧雪状態の歩道が写真です。
どの人もいつもよりは歩幅を狭くして歩いているように思えました。
大通り公園に出てしまうと大方の歩道はロードヒーティングが施されているのでいつもの調子で勢いよく歩きます。しかし、道路を横切るときにはギアを入れ替えて速度を緩めてソロ~リと歩きます。
たくさんの大きなビルが立ち並ぶ駅前通りを札幌駅方面に歩いているとダークスーツを着たサラリーマンたちが大股で元気に歩いています。信号が変わると、とときどき「お~!」という声と共にカバンを持った手が空を泳ぎながら「あぶね~!」と叫んでいるのが聞こえます。雪の無いところから来た出張サラリーマン氏たちは夏靴のまま闊歩しているのです。
今日は正月明け初めて、キヤノンギャラリーへ立ち寄りました。獣医師であり動物写真家でもある竹田津実氏の展でした。見応えがある作品でした。合わせて、作品説明が随所に掲示されているのですがすべて縦書きでなされているのが新鮮でした。
http://cweb.canon.jp/gallery/archive/takedatu-life/index.html
もう夕方5時になります。日はたっぷりと暮れています。これから新年会がありますから出かけなければなりません。ソロ~リ、ソロ~リと参ろうか、です。
舟を編む ― 2014/01/13 22:34
以前から気になっていた邦画ですがようやく「舟を編む」をDVDで観ました。その中の会話に「右という言葉を説明できるか」というのがあります。僕は一瞬、ドッギっとしました。頭の中がぐるぐると動き出しました。少し間をおいて思いついたのは「多くの人の心臓がある側が左でその正反対の位置」と定義をしてみました。
http://fune-amu.com/
英語の方で有名というか、これの右に出る辞書はないと言われているのが「The Oxford English Dictionary (OED)」です。1857年に編纂が開始され、未製本の分冊版が発行され始めたのは1884年で、以来、今日まで綿々と補遺を重ねています。
新約聖書 ヨハネによる福音書 第一章一節には「初めに言葉ありき、言葉は神と共にありき、言葉は神であった。」と記されています。もっともここの「言葉」は神であり、この世界の根源として神が存在するという意味なので少し違うかもしれません。
写真は、寒波到来で凍った南9条西4丁目を流れる精進川と高層マンション。今朝11時ころの撮影。
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