一杯のお茶 ― 2013/12/01 13:10
特定秘密保護法案審議関連議員リスト ― 2013/12/01 21:54
下記のWebを活用してファックスを送りましょう。
http://www5f.biglobe.ne.jp/yabure/himitsuhogoho/stop/sangiin-kokka-ampo.html
ファックスに記載する参考文言は以下の通りです。
宛先:国家安全保障に関する特別委員会委員各位
件名:特定秘密保護法案の廃案を求める嘆願書
自分の名前:
住所:
本文:「特定秘密保護法案の廃案を求めます」を記載。
無論、ご自分の考えもお書きください。
廃案にしなければ、本当に疑心暗鬼に満ちた暗黒社会となります。秘密保護法で処罰されるのは我々国民です。それは歴史を見ると明らかです。熟慮の上、どうぞ行動を起こしてください。
デモに参加 ― 2013/12/05 22:44
帰宅後、TVニュースを観ると参院国家安全保障特別委員会では強行採決はなされるであろうという報道がありました。多分、今晩中に参議院でも採決がされて「決まり」となるのかと思うと強い憤りを覚えます。
自民党や公明党に投票をした有権者は勝ち誇った気分なのでしょうか、それとも、そんなはずではなかったと思っているのでしょうか。
「貝塚少年保養所」南川泰三著 ― 2013/12/07 21:16
母親である「玉撞き屋の千代さん」のことに触れて次のような記述があります。
『「戸籍謄本の母親の名前が違ってるやん!
お母ちゃんは本当のお母ちゃんと違うんか!」
と興奮して問い詰めたら、母は炊事をしながら
振り返りもせず、
「それがどうしたん?」 と答えた。』
主題は氏が14~5歳のときに患った結核とそのことの周辺での出来事ですから当然、母親のことが随所に書かれています。氏に今回の作品を書かせたのは、母親である千代さんの懐の大きな人間性であるような気がします。
(千代さんは今年の4月に96歳でお亡くなりになりました。)
また、氏と結核はなかなか縁が切れないようで、「グッバイ艶」には次の記述があります。
『ある日の夕刻、洗面所で僕を呼ぶ艶の声
がしたので飛んで行くと、洗面台が真っ赤に
染まっていた。
吐血したのだ。土気色の顔は恐怖で
引きつっていた。
僕は当然酒が原因による肝臓障害だと思った。
診断の結果は意外だった。』
ここで氏の人生で2度目の結核との戦いを強いられることになるのです。今度は南川泰三氏自身ではなく、妻の艶の結核です。
「貝塚少年保養所」においては母親が毎日明け方まで玉撞き屋を経営し、姑の機嫌をとり、浪費家の夫の世話をしながら往復3時間以上もかけて見舞いに来てくれたのです。
そして、「グッバイ艶」では、
「艶と結婚して4ヶ月目。寒風が肌を刺す
十二月十五日、師走の賑わいを横目に、
当時まだ武蔵野の面影が
残っていた清瀬市の郊外に向かった。」
南川泰三氏は放送作家でもあります。無数のテレビ番組やドキュメンタリーの台本を二十歳代からから書き続けています。その中でこれら三冊は異色の自伝的小説です。三冊をじっくり読んでみるのをお勧めします。
また、「貝塚少年保養所」の「文化祭」の記述に下記のがあります。
「僕が名誉を回復したのはその秋に
行われた少年保養所の文化祭だった。
僕は所属する中等部のクラスで演劇を
やることになり、僕が脚本・演出を担当
することになった。」
当時からすでに演劇に関心があったのか、下記のサイトに出版はされていない戯曲があります。『花の首飾り館「ローズマリーにようこそ」』という作品です。PDFですからそのまま画面で読むことも、プリントをしてじっくり読むこともできます。お勧めです。
http://taizominamikawa.zouri.jp/stock/story-01.pdf
共謀、教唆、扇動 ― 2013/12/09 17:04
「特定秘密保護法は、①特定秘密を暴こうと話し合う「共謀」、②教えて欲しいと持ちかける「教唆」、③明らかにしようと呼びかける「扇動」も5年以下の懲役と規定している。」
僕には、明らかに秘密警察が「暗躍」している図が浮かんできます。その秘密警察は一般市民をそそのかして、家族や、友人、同僚、隣人にそれらしき言動をしている者がいないかスパイをさせ、終いには、情報を提供しようとしない者を秘密保護法違反の罪を着せる、というものです。
(多分、ひとり一人の秘密警察官にノルマが与えられて、マジメな警察官はノルマ達成の為に家族や友人を「売る」という行為に至ると思います。)
記事は朝日新聞2013・12・5 朝刊
メメント・モリ(Memento mori) ― 2013/12/10 15:22
最近、この言葉に出会いました。写真家の磯山隆幸さんがfacebookに投稿していました。磯山さんとお会いしたのは僕が「下北半島にて」の展をむつ市の図書館を借りてやった2009年でした。
http://tadashi.asablo.jp/blog/2009/10/27/
記事は讀賣新聞2013年12月5日朝刊です。氏はコメントで「30年前、まず写真に衝撃を受け、言葉を添えられることによって写真のさらなる深みが増すことにも驚きを持ち、写真の概念が変わったことは事実です。色あせしない写真でした」とお話になっています。
この写真というのが「メメント・モリ 藤原信也著」に収録されている一枚です。下記のサイトでご覧いただけます。
「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」というキャプションが添えられています。
http://www.kahitsukan.or.jp/fuj.html
僕は早速この写真集を注文しました。僕が入手したのは氏が紹介している「情報センター出版局1983年」ではなく「三五館2008年」のですが内容はほぼ同じようです。
想像するに、この写真集が世に出た時には多くの人々が衝撃を受けたのではないかと思います。藤原信仰さえ生まれたのかも知れません。
僕の1983年はというと、ヨーロッパから戻り11年目の年、38歳の年です。僕は写真を考えることは全くなく、ひたすら英語で飯を食うこと、職員の給与をどうやって捻出するかばかりに精を出していました。
好き嫌いはあるだろうと思うのですが、僕が折に触れて考えている「写真と言葉」について或る示唆を与えているような気がしています。
いよいよかな ― 2013/12/13 10:04
吹雪きのすすき野 ― 2013/12/13 20:12
古い木造建築 ― 2013/12/14 20:19
僕は古い木造の建物を発見すると、何故か撮りたくなります。コンクリートの建物とは違って、冬は隙間風で寒いだろうなとか、夏はトタン屋根の熱で暑いだろうな、などと生活を想像させてくれます。また、改築をしたり修理をしたりの痕跡が見えやすく、その家の歴史を感じることができます。
僕はこの家屋を何度も撮影しています。しかし、なかなか納得のいくのが撮れずにいます。
昨日のことでした。やはり散歩途中に、この吹雪の中、重機の作業音が聞こえてきました。大変だろうなと思いながら角を曲がりました。左前方にこの木造の家屋が見えるはずでした。
僕は唖然としました。もうすでに跡形も無く、無惨な姿をあらわにして、その残骸が重機に平れ伏していたのです。何十年かの家族の歴史に区切りがつけられてしまったのです。
クリスマス ― 2013/12/24 20:07
イエスキリストを信仰しようがしまいが、創造主である神様の目から見ると、クリスマスは全ての人々にとって特別な日です。
僕はキリスト者です。が、教会には行かない、聖書をしっかり読まない、祈りは都合のいい時だけという、だめキリスト者です。
そんな僕にとってもクリスマスはやはり特別な日なのです。
キリスト者である僕にとって、僕の罪をあがなってくれたイエスキリストのことをいつもよりは長い時間、いつもよりは深く考える特別な日なのです。
そして、この特別な日があるがために大坂忠という罪深い一個人が「祈る」という特別な恵みを与えられ、創造主の神様と一対一でつながることができるのです。
イエスキリストの名において主に感謝して、 アーメン。
写真はフランスのディエップ (Dieppe、イギリス海峡に面した港町)の教会。2008年
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