アサヒカメラ1968年1月号-42013/01/05 11:16

 本題の福島菊次郎氏の写真のことに戻りたいと思います。資料によると氏は「ピカドン ある原爆被災者の記録」(現在は入手困難ですが下記のサイトでは数枚を観ることができます)を1960年に発表し、日本写真評論家賞特別賞を受賞(1960年)し、世間に知られるようになりました。氏は原爆症に侵された中村杉松さんを10年間にわたり撮り続けます。その症状が医学的になすすべもなくどんどん悪化し、ケロイドが悲惨な状態になったときには中村さんの家族はカメラを構えようとする福島氏に対して「何で写真なんか撮るんだ!」と叫び、協力を拒否します。
 同じ年に土門拳はざら紙に印刷をした100円写真集「筑豊のこどもたち」(パトリシア書店)を発表しています。九州地方の炭鉱の町の子供たちの様子を記録した、リアリズム写真の先駆け的な写真集です。
 
 後々触れることになると思いますが当時はアマチュア写真家が時の流れの中で写真を職業にするようになることは珍しいことではなかったと思います。氏は本来は時計屋さんで写真は独学のようです。
 http://bitters.co.jp/nipponnouso/

 その「ピカドン~」の延長線上に3.11原発事故の取材があり、WEBで見る限りでは今もご健在で「最後の執筆」活動をなされているようです。
氏自身のドキュメンタリー映画「ニッポンの嘘 ~報道写真家 福島菊次郎90歳~」を北海道浦河の大黒座という映画館で観たことは先に書きました。
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