僕の45年間ー982011/02/28 15:21

 その切符には「Brightonブライトン」と印字されていました。改めて地図を広げてロンドンの南の海岸沿いの街であることと「Brighton youth hostel」があることを確かめました。
 プラットホームには改札が無く、駅員も見かけませんでした。プラットホームの電車が僕の目当ての「ブライトン行き」かどうかを確かめたいと思いながらチョロチョロしていたらある年配の男性が声をかけてくれました。僕は切符を見せました。彼は「Yes, this is your train.これがあなたの乗る電車です」と教えてくれました。とたんに僕は猛烈な空腹を覚えました。
 駅の大きな時計を見ながらまだ時間があるな、と思いキャフェテリアを探し、サンドイッチとコーラを注文し、一息を入れました。とにかく今晩寝るところを確保しなければと思いながら、案内書を何度も確認しました。周りを見渡すとコペンハーゲン中央駅とは比べ物にならないくらいにたくさんの人々が往来し、肌の色も白人から黒人までありとあらゆる肌色の人種の人々が忙しそうに動き回っていました。

 駅はざわざわした話し声や足音の雑踏の音はありましたがラウドスピーカーが止むことなく案内を垂れ流しにするといううるささはありませんでした。

 後年、日本に帰ってきてから改めて日本の駅のうるささ加減に苛立ちを覚えました。小さな子どもにでも言い聞かせるように同じことを繰り返し放送し、神経を逆なでしているように思えました。

 電車は出発のベルが鳴るわけでもなく、いつの間にかプラットホームを滑り出していました。
 
 電車には通路が無く、走行中にコンパートメントから別のコンパートメントへ移動することは出来ない構造になっていました。各コンパートメントは向かい合わせのベンチシートがあり6人くらいが座れるようになっていました。

 写真はパリの北駅構内のレストラン。2005年12月
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