僕の45年間ー572011/01/20 19:43

 しばらく「僕の45年間」を書けずにいましたが、また、少しづつ、思い出しながら書きたいと思います。
 
 前回は「僕の45年間ー56」― 2010/09/17 21:32で終っていました。念のために下記にURLを記しておきます。
http://tadashi.asablo.jp/blog/2010/09/

 ブラッセルの駅に着いたのは昼すぎころだったと思います。路面電車に乗って目的のユースホステルへ向かいました。曇り空でパリに負けずに寒かったのを覚えています。ユースホステルはじきに見つかりました。ドアを開けてロビーに入りました。新鮮な木の香りが漂っていました。空腹と寒さで疲れ果てていました。重く感じ始めていたリュックサックとカメラ鞄を肩から下ろし、誰も居ないロビーに向かって、思い切ってハローと声を出しました。しばらくは何の反応もありませんでした。広々としたロビーの何処からか人が現れるのを期待してキョロキョロと見回しました。その建物はログハウスでした。何処もかしこも太い丸太で組まれ、ロビーの天井は吹き抜けで開放感に満ちていました。今でこそログハウスという言葉を知っていますが当時は見たことも、無論、中に入ったこともありませんでした。心身ともに疲れ果てていた僕らには木の香りがとても心地よく思えました。
 しばらくすると奥のドアが開き、女性が出てきました。後ろには3歳くらいの女の子が母親らしきその女性のスカートにつかまり顔をのぞかせていました。僕は早速に用意していたユースホステルの会員証をみせ、泊まりたい旨を伝えました。返ってきた言葉はフランス語でした。改めて、あ、そうだ、ここはフランス語だ思いながら「ウイ、ダコール」の返事に安堵しました。僕は幸いにもユースホステル規格のシーツを持っていましたが高橋さんは持っていなかったのでそれを借りるのに少し余分に費用がかかりました。
 
 女性は何やらいろいろと説明をしてくれましたが、分かったことは混んでいるので1泊しか泊まれないということ、ベッドが使えるのは夕方5時過ぎからだということぐらいでした。一休みをしたいとは思ったもののかなわず、僕らは荷物を預けてそそくさとまた、寒空の中に出ました。泊まれるところを確保できた安堵感の後には、強い空腹感が襲ってきました。安いキャフェを探して何かを食べたいと、そればかりを考えていました。結局、ユースホステル付近には何も無く、再度電車に乗って駅前に出て食事にありつきました。
  街をキョロキョロしながら、どこかのレストランのドアや窓に「皿洗い募集」の張り紙がないかと思いながらほっつき歩いて夕方まで時間をつぶしました。ユースホステルを出る前にフランス語で「皿洗い募集」の言葉を手帳に書いてもらったものの成果無しでした。

 ベッドに入る前に高橋さんと相談をし、明日はアムステルダムを目指すことにしました。アムステルダムでは本気でアルバイトを探そうよ、と互いに言いながら木の香りに包まれてバタンキューでした。

 写真は2005年12月。一般鉄道のブラッセル駅の地下に路面電車の駅がありました。ここだけが半分地下鉄のようになっていました。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://tadashi.asablo.jp/blog/2011/01/20/5643741/tb

Free Access Counter Templates