がくぜんと2016/04/03 11:07

 東京から戻ってきて二日くらいで宅急便のスーツケースが自宅に届きました。いつものように妻はスーツケースを空にして後始末をしてくれました。
 僕の洗面道具の入った小さなバッグもスーツケースから出されてテーブルの上に置かれていました。このバッグには洗面道具以外にもいろいろ入っています。サロンパスとかかゆみ止めの軟膏とか、絆創膏なども。そして気づきました。何度見ても大事なものがありません。僕は自分のリュックサックかなとか、ショルダーバックかなと思いながら二度三度と確かめましたが・・やはり見当たりません。妻にはスーツケースを再度調べてもらいましたがやはりありませんでした。

 これまで何回ほど旅行をしたか分かりませんが自分のものを紛失した経験は稀です。数年前にアムステルダムへ行ったときにカーキー色の帽子を紛失したことがあります。気に入っていたので口惜しい思いをしました。今回はそれに次いでのことです。2度目くらいなら大したことはないだろうとも言えるのですが、アムステルダムの時とは僕の歳が違っていました。

 西新宿のホテルの部屋を出るときには洗面台も確認したな、とその状況を思い出してみました。しかし、やはり見当りません。
 妻も心配してくれました。そして、最後に「ホテルに忘れたんじゃないの?」と言いました。僕はまさかと思いながら「まあ、電話をしてみようか」と思いました。

 「はい、大坂様ですね。白いプラスティックのケースに入ったマウスピースですね。お預かりしています」とフロント氏。

 安堵しました。しかし、すぐに僕は少なからず不安を覚えました。アムステルダムのときはまだ63か64歳でした。そのときは自分の歳のことは考えもしませんでした。
 さて、これから歳が増えるたびに、忘れ物も増えるのでしょうか。今月は71歳になります。

 写真はアムステルダムの夕暮れ。2008年

ホセ・ムヒカ氏 ウルグアイ前大統領2016/04/09 11:28

 僕は感動しています。

 最近、「世界一貧しい大統領」と呼ばれるウルグアイの前ムヒカ大統領の訪日にともなって氏の言葉がさまざまなメディアで報じられています。
「貧乏とは無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」

「あなたが生きている限り、他者との衝突は避けられません。大事なのは、コンフリクトを起こさないことではなく、どうやってコンフリクトを解決していくかということです」

「私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません」

「お金があまりに好きな人たちには、政治の世界から出て行ってもらう必要があるのです。彼らは政治の世界では危険です。お金が大好きな人は、ビジネスや商売のために身を捧げ、富を増やそうとするものです。しかし政治とは、すべての人の幸福を求める闘いなのです」
http://matome.naver.jp/odai/2138861428534675801

 高校生だった3年間は僕にとって最も濃密な時間でした。5~6人の友人たちと放課後、中野駅の裏にあった喫茶店や新宿歌舞伎町の喫茶店で安いコーヒーを飲みながら喧々諤々議論をしました。そのころの僕は「お前は甘いよ」と言われながらもへこたれず議論を展開したのでした。

 1968年に10ヶ月ほどコペンハーゲンに住んだことがありました。当時から福祉国家としてデンマークは知られていました。僕は大学生になっていましたが高校の時と変わらず「幸福な社会とは」と考え、周りの人たちと議論をしていました。

 後年、31歳ころだと思いますが、ヨーロッパから帰国して就職をしたホテルで労働組合を立ち上げました。

 そんな頃のことを思い出しながらホセ・ムヒカ氏の言葉に聞き入っています。

 ウルグアイと聞いて妻が「あの映画憶えてる?」と言いました。それが 『ウィスキー』(Whisky)です。ご存知でしょうか。2004年のウルグアイその他で製作された作品です。

 ウルグアイの靴下工場の経営者であるハコボのもとには、マルタという女性が長年彼の助手として働いていましたが、二人は必要最低限の会話しかしませんでした。 ある日、ハコボの弟エルマンがハコボのもとに滞在することが決まり、困ったハコボは彼女に妻の振りをしてくれないかと頼みました。
 マルタは同意し、期間限定の奇妙な共同生活が始まりました。

 映画評によっては「喜劇」と書いていますが、僕は人生の縮図の作品のように思えます。生涯忘れられない作品だろうと思っています。まだでしたら、レンタルしてご覧になってみてください。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm22669173

村上肥出夫展 梅野記念絵画館2016/04/15 22:45

 再度、村上肥出夫展のご案内です。今度は長野県の東御市(とうみし)にある梅野記念絵画館での展です。
http://www.umenokinen.com/index.html
 僕が心から敬愛する村上肥出夫氏のことをいろいろとお教えくださる東京銀座の兜屋画廊の社長さんからご案内を頂戴しました。
 僕の気持ちは・・お伺いしたいのですが今回は難しそうです。もし、関東の方で、この天才画家の仕事にご興味がありましたら是非、とお勧めしたく思います。
 写真は今回の展の案内状です。その中の東御市梅野記念絵画館館長、佐藤修氏の文章の冒頭を紹介させてください。

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東御市梅野記念絵画館館長  佐藤修
 「痛々しいほど鮮やかな絵」……作家•北方謙三氏が村上肥出夫の作品を評しての言葉です。
荒川の鉄橋の下に寝泊りする放浪生活をしていた画家は、 銀座で絵を売っているところを見出され下積み生活から逃れ出ます。堰を切ったように描き出した激しいタッチの厚塗りの油彩画こよって、村上肥出夫は一躍時代の寵児となっていきます。~~ 
 1997年、画家が暮らしていた岐阜の住居兼アトリエが全焼しました。絵具もキャンバスも、2万刪こも及んだという蔵書も灰燼に帰したのです。
画家は燃え盛る炎と黒煙のなかに何を見たのでしょうか。失ったものはモノだけではなかったようです。アトリエを焼き尽くした炎は画家のなかの意欲と気力をも萎えしぼませてしまったのです。
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この北方謙三氏は2015.12.10の週刊新潮に下記のようにもお書きになっています。
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「十字路が見える」北方謙三 週刊新潮 2015.12.10
 ~~私の友人に、村上肥出夫という画家がいる。大学生のころ親しくなったが、十四、五歳は年長であった。会ったのは、神田駿河台下の、喫茶店であった。躰が臭い、むさくるしい親父だ、と私は思つた。むこうも、生意気な学生だ、と思っていただろう。躰が臭いのは風呂に入らないからだ、とあとで知つた。~~ その喫茶店のウェイトレスが好きらしい、と店のママから聞いて知つた。画家であることも知つた。襤褸のような服が、そう思うと恰好よく見えた。なんとなく、話すようになつた。眼差しに濁りがないのが、印象的だった。
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サクラレター2016/04/18 16:43

 僕にはラブレターを書いた経験がありません。小中高大でも無論ありません。大人になってからもありません。断言できるかって?はい、できます。本当に書いた記憶がないのですから。片思いをしたことは2度あります。高校の時と大学で。しかし、ラブレターは書いたことはありません。残念ながら。

 僕にとって女性は、何かしら、崇高な感じがしていました。だいたい、僕は学業がぱっとしませんでしたから劣等意識が強く、また、女子は誰でも成績が良いと思っていましたから恐れを覚えていたと思います。マア、その2人の女性は美しく、才媛でした。

 高校のときは「女子部」という名称で同じ学校でしたが、校舎も授業も全く別でしたから話したことがありません。グラウンドを挟んだ反対側の校舎を眺めるのがせいぜいでした。

 大学は共学で、同じ文芸学科でしたから一緒にたむろしていました。一回目に「こりゃまずい」と思ったのは、N子さんは詩を書く人だと分かった時でした。しかし、僕は詩は苦手でした。2回目に「こりゃまずい」と思ったのは、共通の友人からN子さんは「田園調布に住んいる金持ちだ」と聞いた時でした。当時、田園調布には叔父たちが住んでいて何度も遊びに行っていましたから、どんな人種が住んでいるところか分かっていました。中3で東京に出てきて4年目の田舎者には「無理」と思いました。

 大学2年の時だったと思いますが、何かの拍子に僕の住んでいた京王線の東府中の家に遊びに来たことがありました。記憶はしていませんが多分、文学論みたいなことを互いにしゃべったのだと思います。夕方、駅まで送って行きました。その途中、N子さんは僕に告白をしました。駅までは5分もかからない距離でしたからあっという間でした。当時の東府中駅は小さな駅で踏切を渡るとすぐにホームでした。 告白を聞いたのはその踏切を渡ったところででした。ホームにはすでに電車が入っていました。N子さんはそそくさと電車に飛び乗って新宿方面に消えてゆきました。
 告白は、僕が想像もしていなかった内容でした。N子さんは大学を中退して会社員と結婚をするというのです。僕は、そんな馬鹿なと思いながら「詩作はやめるの?」としか言えませんでした。

 2009年だったと思います。僕が新宿で「下北半島にて」という写真展をやった時に、大学時代の友人A君が来てくれました。42年ぶりにあれやこれや話しました。そして、話題の一つがN子さんという人がいたよね、となりました。A君は僕の当時の気持ちを知りません。
 「そうそう、いたね、N子。だけどね、彼女は亡くなったよ。数年前かな。乳がんだったって。早すぎるよね。」

 掲示の新聞記事を読みながらそんなことを思い出していました。

2016年4月20日2016/04/20 09:18

 2016年4月20日の東京新聞の「本音のコラム」斎藤美奈子氏の「止めない理由」。
・やっと再稼働にこぎ着けたのに、そう簡単に止められるかという意地
・ここで止めたら二度と再稼働できなくなるという不安
・危機を乗り切れば日本の原発の安全性が立証できるという期待
・停止を求める声に屈したら負けだというメンツ...

 僕の周辺では「熊本大地震」と「北海道5区補選」「脱原発運動」が渦巻いています。僕はどちらにも直接的な関わりを持ってはいません。しかし、結構忙しいのです。「熊本大地震」は、現政権が川内原発を一時的にせよ停止をしようとしないので「脱原発運動」と、「北海道5区補選」は、原発問題一つにしても独裁的な匂いが強くなっている現与党(自民・公明党)に国政を任せることはできないと思っているので「脱原発運動」が、という具合でそれぞれが絡み合っています。

 そんな状況下、妻の弘子さんと僕は右往左往しているのです。「枯れ木も山のにぎわい」程度だとは重々分かってはいるのですが、座視はできないという思いがあります。
 僕たちの行動の多くは「アベやめろー!」と叫ぶデモに参加することや、憲法の講演会、脱原発の映画上映会に参加することなどで限界はあります。
 もう一つ、PCの画面を見ながらファイスブック(FB)を丹念に読み、投稿をすることもやっています。

 これらをやっているだけで時間はどんどん過ぎ、あっという間に71歳になってしまいました。今日は僕の誕生日です。これから先の長くはない人生です。「メンツ」と「自己保身」を糧には生きたくないと思っています。弘子さんにも謝るべきは謝り、感謝の気持ちも言葉で言える最終章にしたいと思っています。
 TVでは熊本大地震の報道が続いています。

村上肥出夫の作品12016/04/21 09:55

 この作品がどこで、いつごろのか、という詳細は僕は知りません。詩人の池田章氏が私家本として監修され刊行した画集の表紙を飾っています。
 僕は好きです。
(残念ながら赤色を十分に再現できません。気持ち、明るい赤だと思います)

 いかがですか?

池田まき氏の挨拶2016/04/25 11:01

 昨晩の開票速報のTV中継を観ていました。池田まき氏の表情は何か晴れ晴れとしていました。
 僕は、自分の人生の最終章に特定の候補者を応援する経験をするとは思ってもみませんでした。
僕は今回の「市民選挙」で多くの可能性を体験し、学びました。

池田 真紀
2016.4.25 9時ころのFBへの投稿
【北海道5区補欠選挙】

 朝も晩も寝る間も惜しんで「私の選挙だ!」と、必死になって、一緒に闘ってくださった皆さん、心の底から本気で応援いただいた全国の皆さん、想いや願いを込めて投じてくださった皆さん、本当にありがとうございました。
結果は、力及ばず、本当に申し訳ありません。本当に、悔しくて、悔しくてなりません。

 この1票1票には、私たち市民の想いがいっぱい詰まっています。

 誰ひとりおいてきぼりにしない、すべての人が「安心」できる社会をつくるため、 「夢をもっていいんだ」、「みんな、チャレンジできるんだ」ということを私、池田まきが挑戦することで、「生きる希望」に叶えたい、その強い想いでこの選挙戦、どんな理不尽な力にも負けず闘ってきました。
「見えない生きにくさ」という社会の課題も顕著になったと思います。この課題については、権利を擁護する福祉の専門家として、必ず、みんなが夢や希望が持てる社会へ、道をきり拓いていきます。

 また、今回の選挙は、市民が主体的に参加し、そして動いた、初めての市民選挙でもありました。市民ひとり一人の力は小さいかもしれないけど、みんなが動き、つながれば、必ず何か変わるという、大きな、大きな、はじめの一歩になったと思います。

 このことをすべての市民の「勇気」にしたい。そして、日本にいるすべての人の「希望」に変えたいと思います。本当に皆さん、ありがとうございました。

 池田真紀はあきらめません。
 諍い(いさかい)のない、争いのない、暴力・武力・権力に怯えることのない、すべての人が「安心」して「あたりまえ」に生きていける「平和」な社会を。
 一市民として、一ソーシャルワーカーとして、池田真紀として、私に託していただいた願いや想いを実現する道を見つけていきます。

 また、このことは新しい政治へのスタートラインでもあり、この出発点を大事にして、皆さんの想い、大切な財産を政治にも反映していきます。

ありがとうございました。
無所属新人 池田まき 123,517票 
投票率 57,63%

アホノミックス2016/04/30 00:03

安倍首相の訪露・欧は5月1~7日と報道されています。

僕はこの時期にね~、とあきれています。外相に任せてもG7の皆さんは理解してくれると思うのですが。無論、G7の皆さんはとっくに日本の首相が在民主権をはき違えて「在アベ主権」になっているということを分かっているとは思うのですが。あるいは、アベにあやかりたいと思っているかもしれません・・。
浜矩子氏の講演の一部を添付します。
https://youtu.be/ypqB9DbFWbY
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