横光利一の「旅愁」 22013/10/04 21:54

 小説の前半に「矢代」と「久慈」という若い男のパリでの会話が書かれています。二人は同じ船で神戸港からフランスに来たことでパリでもひんぱんに会ってパリの印象や日本のことを語り合います。

 「渋い鉱石の中に生えているかと見える幹と幹との間に瓦斯灯の光りが淡く流れ、こつこつ三人の靴音が響き返って聞えて来る。矢代はふとショパンのプレリュウドはここそのままの光景だと思った。しかも、その中を、腕を組まれて歩いている自分であった。
 『日本にこれだけ美しい通りの出来るまでには、まだ二百年はかかるよ。僕らはここを見て日本の二百年を生きたんだよ。たしかにそうだよ。今さら何も、云うことないじゃないか。』」

 「涙を浮べて云うような久慈の切なげな言葉を聞いては矢代もも早や意見は出なかった。アンリエットの薔薇の匂いが夜の匂いのようにゆらめくのを感じながら、これが二百年後の日本にも匂う匂いであろうかと、心は黄泉に漂うごとくうつらとするのだった。」

 僕がイギリスでお世話になった下宿の廊下にはガス灯の器具が当時のまま残っていました。器具は日常的に手入れがなされていつでも再登場が出来そうな気配を漂わせていました。
 西欧では一般の家庭でもロウソクから始まってオイルランプ、ガス灯、そして電灯と進化して今日に至っています。
 パリではありませんが僕はシャーロック・ホームズの映画を思い出します。シャーロック・ホームズを乗せた馬車が、ガス灯が照らす石畳の通りを走りぬけてゆきます。221B、221B Baker Streetの自宅に到着すると電報が届いているとメイドが告げます。
 つまり、馬車、ガス灯、電報の時代でした。一部では電灯の併用も始まっていたようですが。
 下記のサイトでは「シャーロック・ホームズの冒険 01 ボヘミアの醜聞」を観ることができます。やはり上記のような雰囲気です。
http://www.youtube.com/watch?v=jErbJ2g6E1g

 さて、横光利一がパリを訪れた1936年代のパリではどんな雰囲気だったのでしょうか。下記の映画の時代考証が正確であるなら、まさにこれこそ横光利一が呼吸したパリということになります。
 邦題は「幸せはシャンソニア劇場から」ですが原題は「FAUBOURG 36」で意味は(フランスの)郊外1936」のようです。ここでもガス灯と電灯の両方を見ることができます。DVDも出ています。機会がありましたらレンタルしてご覧になってみてください。
http://www.youtube.com/watch?v=sD_cS-9U41c

 一方、日本ではどうなのでしょう。一般家屋のみならず、通りにガス灯を設置して明るくするという発想はあったのでしょうか。
 『日本にこれだけ美しい通りの出来るまでには、まだ二百年はかかるよ。』と横光利一に言わせたのですが・・。あれからまだ77年しかたっていませんから、電線や電話線を地中化し、街路樹を美しく成長させ、絵になる、か、写真になる街並みを造るにはまだ時間があります。

写真はパリの北駅付近。2005年。

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