僕の45年間-1372011/06/13 22:07

 昼過ぎ頃に中村さんが出勤してきました。いつものように広場の片隅に隙間を見つけてイーゼルを2脚立てて持参した絵を並べます。僕を見つけて「俺さ、腹減ってんだ。悪いけどここ見ててくれないか?」と、ジタンというくせの強いフランスのタバコを口にくわえていうのです。僕は「いいですよ。で、一枚いくらで売ればいいの?」と訊きました。200フランで売れたら良い方だよ、というのです。

 僕は少し張り切って、いかにも絵描きのフリをして絵の後ろに陣取りました。やがて、足を止める客がちらほら出始めました。僕は口から出まかせで「今日は天気もいいし、日曜日だし」と言いながら特別に200フランです、と売り込みを試みました。僕はフランス語は全くダメですからもっぱら英語で説明をしました。「広場のあそこの家並みの切れ目から眺めたサクレクール寺院です」と、その方法を指差して説明をしました。
 僕は、昨日も今日も広場を何度も徘徊していましたから、他の絵描きさんたちがどんな口調で売り込みをしているかは耳で覚えていましたからマネをしました。
 バナナのたたき売りではありませんが何度も同じ内容のことを言っているとだんだん滑らかに言えるようになってきました。そうすると英語を話す観光客たちが立ち止まり始めました。

 言葉は不思議なもので、内容を信用できるかどうかは別にして意味が分かれば安心感を与えるものです。外国にいて日本語で話しかけられると「ほんとかな」とは思いつつ、ついつい耳を傾けてしまう経験があるだろうと思います。

 中には180フランでどうだろうという客もいましたが、僕はがんばって、200フランで買ってもらわないと次の作品のための絵の具やキャンバスを買うことが出来とか、いろいろと並べ立てて200フランを堅持しました。
 中村さんは小一時間、戻ってきませんでした。

写真はテアトル広場 2004年12月
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